山槐記(読み)サンカイキ

デジタル大辞泉 「山槐記」の意味・読み・例文・類語

さんかいき〔サンクワイキ〕【山槐記】

《「山槐」は中山大臣の意》平安末期の公卿中山忠親日記。仁平元年(1151)から建久5年(1194)に至る源平抗争期の記録

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精選版 日本国語大辞典 「山槐記」の意味・読み・例文・類語

さんかいきサンクヮイキ【山槐記】

  1. ( 山槐は中山内大臣の意 ) 平安末期、正二位内大臣中山忠親の日記。仁平元年(一一五一)から建久五年(一一九四)に至る記述がある。欠失箇所が多いが、源平抗争の時代についての史料的価値が高い。達幸記。貴嶺記

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改訂新版 世界大百科事典 「山槐記」の意味・わかりやすい解説

山槐記 (さんかいき)


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百科事典マイペディア 「山槐記」の意味・わかりやすい解説

山槐記【さんかいき】

内大臣中山(藤原)忠親(ただちか)の日記。書名は家名と大臣の唐名〈三槐(さんかい)〉に由来する。《忠親卿記(きょうき)》《貴嶺記(きれいき)》《達幸記(たつこうき)》などともいう。1151年から1194年までの日記が現存し,平安末期から鎌倉幕府成立期までの動きを知るうえで貴重だが,保元(ほうげん)の乱平治(へいじ)の乱の記事などが欠落しているのが惜しまれる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「山槐記」の意味・わかりやすい解説

山槐記
さんかいき


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山槐記」の意味・わかりやすい解説

山槐記
さんかいき

平安時代末期の貴族中山忠親の日記。現在,仁平1 (1151) 年から建久5 (94) 年までのうち,19年分の写本が断続的に伝わっている。彼の一流が中山を称し,彼自身が内大臣 (大臣の唐名を槐門という) に上ったことによって,それぞれの1字を取って後人が記名とした。別に『達幸記』『貴嶺記』の名がある。貴族の日記の常として,儀式や行事に詳しいが,彼にはほかに『達幸故実抄』や『貴嶺問答』など,その方面での研究書がある。また,源平合戦についてみずから京都で見聞した事柄を詳細に書きとめている点にも特色がある。『史料大成』所収。

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旺文社日本史事典 三訂版 「山槐記」の解説

山槐記
さんかいき

 

115194  

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