新撰 芸能人物事典 明治~平成 「山路 ふみ子」の解説
山路 ふみ子
ヤマジ フミコ
職業 女優 社会事業家
肩書 山路ふみ子文化財団会長
本名 大久保 ふみ子
生年月日 明治45年3月13日
出生地 兵庫県 神戸市菅原町
学歴 森高等女学校︹昭和5年︺卒
経歴 昭和4年ミス神戸に選ばれたのをきっかけに、5年森高等女学校を卒業と同時に帝国キネマ(のち新興キネマに改組)に入社。同年志波西果監督の時代劇﹁時代の反抗児﹂でデビュー、同年印南弘監督﹁神戸行進曲﹂で初主演。7年日活に転じるが、10年新興キネマに復帰。以来新興の看板スターとして活躍、19年に退社するまで﹁国境の町﹂﹁露営の歌﹂﹁あゝ故郷﹂﹁元禄忠臣蔵﹂など100本を超える作品に出演。この間、12年溝口健二監督の﹁愛怨峡﹂で温泉宿の若主人と駆け落ちして転落していく女中役を熱演、溝口の指導により演技に開眼したと話題になった。戦後は山路ふみ子劇団を率いて地方巡業を行う傍ら2本の映画に出演したが、25年引退、母とともに東京・芝公園で料亭・山路を経営。39年料亭を売却した資金1億円で山路ふみ子自然科学振興財団を設立、少壮科学者や研究団体に奨学金・研究助成金を贈った。51年には山路ふみ子文化財団を設立、会長となり、映画関係者の表彰・援助を行う“山路ふみ子賞”を制定した。その後も平成元年災害遺児を対象に山路ふみ子奨学基金、2年ネパールに女性のための職能施設を創設、3年公益信託山路ふみ子専門看護教育助成基金を設立するなど、私財を投じて公益事業の助成に尽くした。自伝に﹁命あるかぎり贈りたい﹂がある。
受賞 藍綬褒章︹昭和47年︺,ネパール国ゴルカ・ダクシン・バフ(外国人最高位勲章)︹平成5年︺ 中央公論賞(第2回)︹昭和39年︺,東京都知事表彰︹昭和39年︺,日本映画ペンクラブ賞︹昭和57年︺
没年月日 平成16年12月6日 (2004年)
伝記 命あるかぎり贈りたい―山路ふみ子自伝新興キネマ―戦前娯楽映画の王国 山路 ふみ子 著佐藤 忠男,登川 直樹,丸尾 定 編(発行元 草思社山路ふみ子文化財団,フィルムアート社︹発売︺ ’94’93発行)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報