徳川家綱(読み)トクガワイエツナ

デジタル大辞泉 「徳川家綱」の意味・読み・例文・類語

とくがわ‐いえつな〔トクがはいへつな〕【徳川家綱】

 
16411680416511680  

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精選版 日本国語大辞典 「徳川家綱」の意味・読み・例文・類語

とくがわ‐いえつな【徳川家綱】

 

(一)
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「徳川家綱」の意味・わかりやすい解説

徳川家綱
とくがわいえつな
(1641―1680)


43()()()1883164411645()16503()西165111()()()()85840()()()()

 

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改訂新版 世界大百科事典 「徳川家綱」の意味・わかりやすい解説

徳川家綱 (とくがわいえつな)
生没年:1641-80(寛永18-延宝8)


43165148181129633133︿殿

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百科事典マイペディア 「徳川家綱」の意味・わかりやすい解説

徳川家綱【とくがわいえつな】

 
416511680329
 

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朝日日本歴史人物事典 「徳川家綱」の解説

徳川家綱

 
8.5.8(1680.6.4)
18.8.3(1641.9.7)
43,()1(1644),4(1651)11,,,,調,,8(1680)30,40,,  
()
 

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「徳川家綱」の意味・わかりやすい解説

徳川家綱
とくがわいえつな

 
[]18(1641).8.3. 
[]8(1680).5.8. 
4 ( 165180) 4 (51) 8183  

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「徳川家綱」の解説

徳川家綱
とくがわいえつな


1641.8.380.5.8

4(1651.8.1880.5.8)3()11()()退

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「徳川家綱」の解説

徳川家綱 とくがわ-いえつな

1641-1680 江戸幕府4代将軍。在職1651-80。
寛永18年8月3日生まれ。徳川家光の長男。母はお楽の方(宝樹院)。慶安4年11歳で将軍となる。病弱のため,保科正之(ほしな-まさゆき),酒井忠勝(ただかつ)らの補佐により,大名の末期養子の承認,人質(証人)の廃止,殉死の禁,浪人取り締まりの緩和などの文治政治をおこなった。延宝8年5月8日死去。40歳。幼名は竹千代。法号は厳有院。

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旺文社日本史事典 三訂版 「徳川家綱」の解説

徳川家綱
とくがわいえつな

1641〜80
江戸幕府4代将軍(在職1651〜80)
3代将軍家光の長男。由井正雪らの慶安事件(慶安の変)直前に将軍をつぎ,年少で病弱のため叔父の保科正之 (ほしなまさゆき) や松平信綱らが補佐し,老中政治を確立した。治世中は文治政治への転換期で,末期養子の禁緩和,殉死の禁などを実施した。また明暦の大火が発生。晩年は大老酒井忠清が実権を掌握した。

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367日誕生日大事典 「徳川家綱」の解説

徳川家綱 (とくがわいえつな)

生年月日:1641年8月3日
江戸時代前期の江戸幕府第4代の将軍
1680年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の徳川家綱の言及

【寛文印知】より

…江戸幕府の4代将軍徳川家綱の領知判物(はんもつ)・朱印状が1664年(寛文4)諸大名に,翌65年公家・寺社に一斉に発給されたことをいう。家康・秀忠・家光3代にわたり区々に発給されていたものが統一的・同時に発給され,大名領知権が将軍の全国的支配権に完全に包含されたことで,将軍権力の強化・確立をもたらしたといえる。…

【武家諸法度】より


()1615(1)7713︿輿

【保科正之】より


1617(3)31(8)353(2)36204323

【本朝通鑑】より

…本書ははじめ羅山が徳川家光の命で1644年(正保1)から通史の編修に当たり,50年(慶安3)に神武朝から宇多朝までを完成して《本朝編年録》の書名で幕府に提出したが,明暦の大火で焼失した。62年修史継続の命が徳川家綱から羅山の子鵞峰に下り,64年から忍岡林邸内の国史館で作業が開始され,《本朝編年録》の稿本を復元校勘して正編とし,続編を林梅洞,林鳳岡,人見友元,坂井伯元らが分担起草し,鵞峰が統轄して完成し幕府に献上した。中国の《資治通鑑(しじつがん)》を模範にし,《通鑑綱目》を参考とし,事実を直叙して後代の鑑戒とすることを目ざした。…

※「徳川家綱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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