デジタル大辞泉
「教育課程」の意味・読み・例文・類語
きょういく‐かてい〔ケウイククワテイ〕【教育課程】
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きょういく‐かていケウイククヮテイ【教育課程】
(一)〘 名詞 〙 学校教育の目的を達成するため、児童、生徒の発達段階に応じて順序だてて編成した教育の計画。教科課程。カリキュラム。
(一)[初出の実例]﹁今若し合理の教育課程を設けんと欲せば﹂(出典‥斯氏教育論︵1880︶︿尺振八訳﹀一)
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教育課程
きょういくかてい
教育課程は、一般に﹁学校教育の目的や目標を達成するために教育の内容を児童生徒の心身の発達に応じ、授業時数との関連において総合的に組織した学校の教育計画である﹂︵文部省編﹃小学校指導書 教育課程一般編﹄1979︶と解されてきた。しかし、この定義には、計画に基づいて展開される児童生徒の活動・実践は含まれていないし、児童生徒が非計画的で無意図的な活動から自ら学び、経験する事柄は含まれていない。いわゆる﹁隠れた﹂hidden部分も含めた、より広義の定義としては﹁なんらかの教育機関において、計画的ないし非計画的な教育活動を通して、学習者に身につけるよう求めた、ないし学習者が身につけた教育内容﹂となろう。
教育課程はカリキュラムcurriculumの訳語であるが、それはラテン語のcurrere︵走るコース、歩んできた道︶に由来する。カリキュラムや教育課程に含まれる意味内容は歴史的にも、理論的、実践的にも多様である。学校教育において教育課程という用語が一般的になったのは1950年︵昭和25︶以後である。それ以前には教育的見地から選択・構成された教材の区分を小学校では教科、中学校以上では学科とよんでいたので、教科・教材の学年配当を小学校では教科課程、中学校以上では学科課程といった。現在、教育課程は、小・中学校では教科、特別活動、道徳、および総合的な学習の時間によって編成され、高等学校では教科、特別活動、総合的な学習の時間によって編成される。
各学校が創意工夫をこらして教育課程を編成するのであるが、まったく独自に恣意(しい)的に編成してよいというのではない。公教育としての性格から、そこには、踏まえねばならない一般原則がある。教育課程編成の基準になるものが学習指導要領であるが、その総則の規定からみると編成にあたって留意すべき一般原則は、
(1)法令および学習指導要領に示すところに従うこと
(2)児童生徒の人間としての調和のとれた育成を目ざすこと
(3)地域や学校の実態を十分考慮すること
(4)児童生徒の心身の発達段階と特性を十分考慮すること
などである。
このように、教育機関における教育課程は、学習者の要求と社会的・文化的諸要求を構造的契機として成り立ち、その諸条件の変化が教育課程の改善を求める。
﹇天野正輝﹈
﹁カリキュラム﹂と﹁教育課程﹂とは原語と訳語の関係で、意味は同じであると考えられてきた。しかし、1970年代後半からはかならずしもそうはいえない使われ方になってきている。たとえば、学習者の﹁学びの履歴﹂とか、学習者自身が﹁結果として身につけた内容﹂すべてを含めて用いるカリキュラム観が強調されてきた。このようなカリキュラム観の出現は、学習観や指導観あるいは評価観が見直されてきていることの反映である。﹁教育課程﹂と﹁カリキュラム﹂という用語を比較してみると次のような相違を指摘できる。
(1)﹁教育課程﹂には、いわゆる﹁隠れたカリキュラム﹂hidden curriculumの意味が含まれない。つまり、非計画的で、無意図的な教育内容としての学校文化、校風、伝統といった﹁隠れた﹂ものは含まれない。
(2)﹁教育課程﹂は教える側からみた計画や枠づけ、つまり﹁何を教える︵教えた︶か﹂という視点が優先する。これに対して﹁カリキュラム﹂は、子供の側からみて、学習して身につける︵つけた︶ものという観点からとらえる。﹁子供は何を学習したか﹂﹁学びの履歴﹂といった意味を強く含みもって用いられる。
(3)﹁教育課程﹂は一般に、教育内容についての国家的基準によるプラン、しかも立案︵構成︶レベルのものを表す用語であり︵教育課程行政用語︶その展開過程は含まれていない。﹁カリキュラム﹂は目標、内容・教材、教授・学習活動、評価の活動なども含んだ広い概念として用いられている。
このようなカリキュラム観の見直しは、OECD-CERI︵経済協力開発機構の教育研究革新センター︶の﹁カリキュラム開発に関するセミナー﹂︵1974︶での提唱を契機としており、そこでは、カリキュラムは﹁隠れた﹂部分も含めて﹁学習者に与えられる学習経験の総体﹂としてとらえられていた。
﹇天野正輝﹈
カリキュラムの編成にあたって、教育内容を選択し組織する原理をどこに求めるかによって異なったカリキュラムができあがる。たとえば、教育内容に着目すると教科カリキュラムと経験カリキュラムに類型化できるし、教科相互の関係に着目すると分化カリキュラムと統合カリキュラムに分類できる。また履習原理の違いに着目すると、年齢主義︵履習主義︶に基づくカリキュラムと、課程主義︵修得主義︶に基づくカリキュラムの類型化が可能である。ここでは、教科―経験、分化―統合という軸の組合せによるカリキュラム類型をあげておく。
(1)分離教科カリキュラムseparate subject curriculum 個々の教科はその背後にある親学問の論理的知識体系を教科内容とし、教科相互の間にはなんらの関連も考慮されない多教科並列のカリキュラム。
(2)相関カリキュラムcorelation curriculum 教科の区分を踏襲しつつ、学習効果の向上のため、二つないし三つの教科の相互関連を図ったカリキュラム。
(3)広領域カリキュラムbroad-fields curriculum いくつかの教科を融合して、より広い領域で教育内容を再編したカリキュラム。
(4)コア・カリキュラムcore curriculum 生活現実の問題解決を学習する﹁中心課程﹂と、それに必要な限りでの基礎的な知識や技能を学習する﹁周辺課程﹂からなる。中心課程の内容は経験カリキュラムとして構成され、カリキュラムの中核的位置にある。周辺課程は各教科によって構成されるから、まったく教科の存在を認めない経験中心カリキュラムに比べて教科カリキュラムに近いといえる。
(5)経験中心カリキュラムexperience centred curriculum 統合カリキュラム、生活カリキュラム、活動カリキュラムともいわれ、教科の存在は認めず、児童生徒の興味と目的をもった活動からなる統合的な単元で全体が組織される。総合単元の構成にあたって二つの立場が生じた。一つは、学習内容として社会の現実の諸問題をとりあげ、これを総合的に検討し、解決の方向を探らせるものであり、ほかは、子供の心性は未分化であるから統合的な内容で学習させるという、もっぱら心理的側面からの理由によるものである。
歴史的にみて、カリキュラム改革を動かしてきた基本的動機は、いかにして分離教科カリキュラムの欠陥を克服するかという努力、つまり生活・経験の重視や﹁統合﹂への要求であった。
分離教科カリキュラムが長く採用されてきた理由としては、文化の各領域について網羅的な知識・技能を習得させることを学校の任務と考える教育観が支配的であったこと、学問の体系がほぼそのまま教科内容の体系になりうるからカリキュラム編成が容易であり、知識・技術を体系的、効率的に教えることが可能だからである。しかし、この種のカリキュラムでは、学問の発達・分化につれて教科の数が増え、学習者の負担を重くすること、結果としての知識の伝達が主要任務であるから記憶的にのみ学習しがちで、創造的思考力や実践力は育ちにくいこと、学習内容が抽象的、一般的なものになりやすく、地域の特殊性、学習者の興味・関心を軽視した授業に陥りやすいこと、といった問題点が指摘されてきた。これらの問題点を克服するものとして、経験カリキュラムやさまざまな改造された教科カリキュラムが登場した。生活科や総合的な学習の時間がわが国の教育課程に登場した理由の一つもこのへんにあった。
﹇天野正輝﹈
﹃天野正輝編﹃教育課程――重要用語300の基礎知識﹄︵1999・明治図書出版︶﹄▽﹃安彦忠彦編﹃カリキュラム研究入門﹄新版︵1999・勁草書房︶﹄
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教育課程 (きょういくかてい)
curriculum
教育目的実現のために行う教育的働きかけの計画全体を指す。主として学校教育についていわれるが,学校外の生涯学習でも,たとえば公民館の講座で主題を設定し,数回の講義・話合いなどについてたてられた計画の全体は,教育課程といえる。第2次大戦前は学科課程または教科課程といい,教科指導の計画のみを指すことが多かった。戦後数年間はアメリカの教育の影響を受け,︿カリキュラム﹀の語がそのまま使用された。カリキュラムの語は,もと競馬場・競走路race-courseなどを意味し,これが教育に持ち込まれ,能力を発達させるために設定される課程courseの意味で使用されはじめた。戦後は,戦前の国家統制下にあった画一的な教育課程に対し,アメリカの経験主義カリキュラムが紹介されたが,1950年代に入り,基礎学力の低下を招くとして批判され,系統だった学習のための課程を求める声が強くなった。また同じころから教育的働きかけは教科指導だけで行われるのではないので,教科以外の学校行事やクラブ活動など多種多様な教育活動をふくめ,教育課程という用語が広く使用されるようになり,文部省も58年の学習指導要領と学校教育法施行規則の改訂において,︿教育課程﹀の語を採用した。この学習指導要領では,教育課程は各教科,特別教育活動,学校行事,特設道徳の4領域によって成り立つとされた。これには理論的根拠があったのではなく,︿道徳﹀の時間を特設する政策の必要から出された規定とみられることが多かった。68年改訂では,各教科,特別活動,特設道徳の3領域に改められた。民間教育研究運動や日教組の教育研究活動では,1950年代から,子どもの発達に即し,学習意欲を喚起しつつ科学や芸術などの文化をどう子どもたちに獲得させるかを探究しながら,自主編成の運動がすすめられてきた。教育課程編成は不断の自主編成ととらえることが重要である。
→学習指導要領 →教科
執筆者‥山住 正己
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世界大百科事典(旧版)内の教育課程の言及
【学習指導要領】より
…小学校,中学校,高等学校などの教育課程に関する大綱的な〈基準〉を示した文書。内容は〈総則〉〈各教科〉,〈道徳〉(小・中学のみ),〈特別活動〉からなっている。…
【教科】より
… 教科には現在も以下のようなさまざまな問題があり,教育改革の中心の一つとなっている。(1)教育課程は教科と教科外諸活動に大別されるが,教育活動全体の中での教科の位置や教科外との関連,さらには時間数の増減や必修教科と選択教科とのバランスなどをどう考えるか。(2)教科の内容を,科学や技術の発展とどう照応させたらよいか,また現代社会が直面している諸課題や生活との結合をどのようにはかるか。…
【クラブ活動】より
…ところが,19世紀末から第1次世界大戦にかけて,中等教育の大衆化の波のなかで,多種多様な青年文化がハイ・スクールにもちこまれ,開放的で民主的なクラブ活動が生徒によってつくられていった。学校当局は当初これに無関心であったり,弾圧的であったが,やがてその教育的価値を評価して奨励するようになり,第1次大戦後,[ホームルーム]活動や自治活動とともにこれを教育課程化curricularizeして,正規の時間を与え,単位認定を行うようになった。 日本の中等教育にあっては,クラブ活動は明治後年から自主的活動として,また指導者としての資質の訓練として組織されはじめたが,1909年の︿講演会記念会運動会等監督方﹀や24年の学校劇禁止の訓令に見られるように,文部省はこれに概して消極的かつ統制的であった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」