デジタル大辞泉
「映画音楽」の意味・読み・例文・類語
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えいが‐おんがくエイグヮ‥【映画音楽】
- 〘 名詞 〙 映画で、作品全体や場面場面を印象づけるために作られた音楽。
- [初出の実例]「映画音楽の名曲の数々」(出典:巷談本牧亭(1964)〈安藤鶴夫〉金魚玉)
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映画音楽 (えいがおんがく)
映画のために作曲,または選曲,編曲されてフィルムのサウンド・トラック︵録音帯︶に録音された音楽およびそれをレコード化したもの,演奏用に編曲したものを総称して映画音楽といっているが,サイレント映画にも音楽がなかったわけではない。1892年から10年間も続いたエミール・レノーの︿テアトル・オプチック﹀と呼ばれたアニメーション映画の世界最初の長期連続興行のときからピアノ伴奏がついており,以来,︿伴奏音楽﹀として,あくまでも映画のエモーションをかきたてるための補助的な役割にすぎなかったとはいえ,生の伴奏音楽をつけて上映するのが映画興行のしきたりとなった。
サイレント映画の伴奏音楽は以下の四つの形式と段階を経て発展したが,この過程において,現在に至る映画音楽のすべての基礎が築かれていたことがわかる。︵1︶ピアニストが画面を見ながらイメージに合わせて即興で演奏する。ショスタコービチも無名時代には家族を養うためにこうした映画館のピアニストをやっていたという。︵2︶やがて,映画のシーンの性格︵愛のシーン,悲しみのシーン,追跡シーン等々︶と音楽との関係に一定のパターンができて,伴奏音楽のために選曲,抜粋された小曲集が編まれ︵1913年に初めて出版されたが,もっとも有名なものは19年にベルリンで発行されたジュゼッペ・ベッチュ編の︽キノテーク︾であったといわれる︶,それを基に映画館で演奏されるようになる。例えば活劇で追いつ追われつのシーンになると,きまってオッフェンバックのオペレッタ︽天国と地獄︾の序曲が使われるというようなパターンを集めたもので,︿キュー・シートcue sheet﹀と呼ばれていた。1910年代には,長編劇映画の興行が一般化し,映画館も指揮者と小管弦楽団︵日本の活動小屋の吹奏楽隊は︿ジンタ﹀と呼ばれた︶を専属させるようになっていた。アメリカやヨーロッパの大都市にそのころ続々と誕生した︿ムービー・パレスmovie palace﹀と呼ばれた大映画館では,数十名のオーケストラによる演奏を売物にした。︵3︶あらかじめ映画監督が指揮者と打ち合わせて伴奏音楽のための選曲をし,その楽譜をフィルムにつけて映画館に送る。D.W.グリフィス監督は︽国民の創生︾︵1915︶のために,指揮者のJ.ブリエルとともに,グリーク,ワーグナー,チャイコフスキー,ロッシーニ,ベートーベン,リスト,ベルディ,それにさまざまなアメリカ民謡から選曲を行い,どうしても選曲ではそぐわないクー・クラックス・クランの登場シーンの音楽だけは2人で作曲したという。︵4︶名のある音楽家に映画のための作曲を依頼する。フランスのフィルム・ダール作品︽ギーズ公の暗殺︾︵1907︶のためにサン・サーンスが作曲したもの︵作品第128番︶が映画のために書かれたオリジナル曲の最初であった。これに次いで,フランスのみならず各国で,大作にかぎり特別に作曲,編曲されたスコアによる伴奏をつけて公開するという特別興行方式がとられるようになった。以下,そのおもな作品と作曲,編曲者をあげる。1919年,アメリカ映画︽散り行く花︾︵L.ゴットシャルト︶,22年,フランス映画︽鉄路の白薔薇︾︵A. オネゲル︶,アメリカ映画︽愚かなる妻︾︵S.ロンバーグ︶,23年,ドイツ映画︽ニーベルンゲン︾︵G. フッペルツ︶,フランス映画︽人でなしの女︾︵D.ミヨー︶,25年,ソ連映画︽戦艦ポチョムキン︾︵E.マイゼル︶,26年,フランス映画︽ナポレオン︾︵A.オネゲル︶,ドイツ映画︽メトロポリス︾︵G.フッペルツ︶,29年,ソ連映画︽新バビロン︾︵ショスタコービチ︶等々。
トーキー以後
光学録音の発明とともに音と映像がいっしょにフィルムに密着することによって,音楽と映画の結びつきはより親密に,より実験的,前衛的になる。E.マイゼル︵1874-1930︶がW.ルットマンのアバンギャルド映画︽世界のメロディ︾︵1929︶で試みた音と映像の対位法や,ディズニーが短編アニメーション︽骸骨の踊り︾︵1929︶で,サン・サーンスの交響詩︽死の舞踏︾の旋律をシンクロナイズさせた試みなどを経て,30年代には,M.ジョーベール︵1900-40。︽巴里祭︾︽新学期操行ゼロ︾︽舞踏会の手帖︾︽北ホテル︾など︶,G.オーリック︵1899-1983。︽詩人の血︾︽自由を我等に︾など︶,F.ホレンダー︵1896-1976。︽嘆きの天使︾など︶,K.ワイル︵︽三文オペラ︾︽真人間︾など︶,ショスタコービチ︵︽呼応計画︾︶,H.アイスラー︵︽新しい大地︾︽外人部隊︾︶らが活躍した。さらにイギリスのドキュメンタリー映画の分野では,カバルカンティと組んだE.B.ブリテン︵︽コールフェース︾など︶をはじめ,A.ローソーン︵1905-71。︽都市︾など︶,そしてボーン・ウィリアムズらの仕事が注目されることになる。
ハリウッドの映画音楽
サイレント映画の撮影中に,ムードを盛り上げるために音楽がしばしば演奏されていたことはよく知られている。メリー・ピックフォードのように︿専属楽団﹀をもっていたスターもおり,D.W.グリフィス監督︽ベッスリアの女王︾,セシル・B.デミル監督︽カルメン︾などは,フル・オーケストラの演奏とともに撮影されたという。現代ではF.トリュフォーが75年の︽アデルの恋の物語︾で,M.ジョーベールの音楽を先に録音しておき,それを撮影中に流すことによってシーンのムードを作り,サイレント時代の︿音楽による﹀演出方式の再現を試みている。
トーキーの時代に入ってハリウッドの音楽監督の草分けの一人M.スタイナー︵1888-1971︶が,︽キング・コング︾︽男の敵︾︵アカデミー音楽賞︶などで,映画音楽の一般的なパターンを作り出したといわれる。まずオープニング︵たいていはクレジットタイトル︶で音楽が映画のムードを醸し出し,そのあとは監督の意図や嗜好に従って,音楽がサウンド・トラックに見え隠れして,アクションを盛り上げるというこの形式は,以後,A.ニューマン,E.コーンゴールド,F.ワックスマン,A.ノース,V.ヤング,D.ティオムキン,H.マンシーニ,M.ジャールといった音楽家たちに受け継がれ,1960年代までハリウッドの映画音楽の主流を形成する。
映画音楽の多様化
大編成のオーケストラ演奏による,こうしたアメリカ映画的なドラマチックな音楽が世界的にも類型化される一方,戦後,チターやギターだけの独奏で新鮮な効果を出すことに成功したイギリス映画︽第三の男︾やフランス映画︽禁じられた遊び︾のような作品も現れる。1950年代には,雅楽や能,謡,あるいはそこに西洋の管弦楽の音を絡ませたりした黒沢明監督作品︵︽羅生門︾︽七人の侍︾︶や溝口健二監督作品︵︽雨月物語︾︽近松物語︾︶の早坂文雄︵1914-55︶,あるいはインドの民族楽器シタールによるサタジット・レイ監督作品︵︽大地のうた︾︽大河のうた︾︶のラビ・シャンカル︵1920- ︶の新しいサウンドが世界の映画人の注目を浴びる。またアメリカでもモダン・ジャズをドラマチックなスタイルの中に吸収した︽黄金の腕︾のE.バーンスタインや,︽或る殺人︾のデューク・エリントンの︿シンフォニック・ジャズ﹀が出現し,さらに50年代末から60年代にかけて,フランス映画の中にもいち早くモダン・ジャズを映画音楽として取り入れ,若々しい現代的ないぶきの表現に成功する。マイルス・デービスの即興演奏による︽死刑台のエレベーター︾,MJQによる︽大運河︾,アート・ブレーキーとジャズ・メッセンジャーズによる︽殺られる︾等々がそれである。
ヨーロッパ映画の作曲家としては,フェリーニ監督作品︵︽道︾︽甘い生活︾等々︶を中心としたイタリアのN.ロータ︵1911-79︶,J.ドゥミー監督作品︵とくにせりふがすべて歌われた︽シェルブールの雨傘︾など︶を中心にしたフランスのM.ルグラン︵1932- ︶,マカロニウェスタン︵S. レオーネ監督︽荒野の用心棒︾︽夕陽のガンマン︾等々︶を中心にしたイタリアのE.モリコーネ,ミカエル・カコヤニス監督作品︵︽エレクトラ︾︽その男ゾルバ︾︶を中心にしたギリシアのミキス・テオドラキスらが輩出するが,やがてハリウッドに吸収されハリウッドの映画音楽を活性化することになる。
映画音楽のレコード化
ディズニーの長編アニメーション︽ファンタジア︾︵1940︶は,︿レコードのステレオ化に先立つこと18年,ステレオ録音再生を実現した最初の作品として記録すべきである﹀︵野口久光︶とされるが,同時に︿レコードのステレオ化﹀によって映画音楽のレコード化も飛躍的に促進された現象も注目されよう。映画音楽の最初のレコード化は,アーサー・ブリス作曲のイギリス映画︽来るべき世界︾︵1936︶︵アメリカでは1943年のV.ヤング作曲の︽誰が為に鐘は鳴る︾︶であるといわれる。もちろんまだサウンド・トラックそのものではなく,あらたに演奏されたものであったが,やがて映画のサウンド・トラックそのものがレコード化され,︿サントラ盤sound track record﹀が出るようになると,それまでは︿耳で聴く音楽でない音楽﹀︵アイスラー︶であったはずのものが,映画から離れて新しい次元を獲得し始める。1970年代以降,とりわけ71年の︽ゴッドファーザー︾以後は,サントラ盤が映画の公開と同時もしくはそれより先に発売されるようになり,マーチャンダイジング︵映画の総合的な商品化︶という新しい映像関連事業の一環にまでなるに至っている。
→映画 →トーキー映画
執筆者‥広岡 勉
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映画音楽
えいがおんがく
総合芸術である映画の一要素をなす音楽。音楽としての定まった形式はなく、映画の内容の多様化に従い、あらゆる種類の音楽が包括される。今日では映画のために作曲、あるいは既成曲から選曲された音楽が編曲、演奏され、台詞(せりふ)や効果音とともに映画フィルムのサウンドトラックに録音され、映写とともに再生され、これらサウンドトラック上の音声は聴覚的要素として、映像と一体となった総合的な効果を要求される。
映画に音楽をつけようとする試みは古く、1895年にリュミエール兄弟がパリで公開した最初のスクリーンに映写する方式の映画﹁シネマトグラフ﹂ではピアノの伴奏がつけられた。サイレント時代の映画には、欧米ではピアノ、オルガン、器楽アンサンブル、オーケストラなどにより、日本では弁士の場面説明と並行して和楽器、のちに洋楽器アンサンブルによる、既成曲演奏が行われていた。映画のためにオリジナルに作曲された音楽はサン・サーンスによるフランス映画﹃ギーズ公の暗殺﹄︵1908︶が最初とされ、アメリカ映画の大作では、製作者や監督などの指示により特定の伴奏楽譜を用意して、フィルムとともに映画館に配給するようになったが、その数は少ない。のちに音楽を吹き込んだ48センチ・ディスクを映写機とシンクロナイズするサウンド版へ移行した。
映画が自前の音をもつフィルム式トーキーが完成︵1929︶してから映画音楽は急速に発展した。主としてオーケストラ演奏による登場人物などの性格を提示する劇音楽、および映画主題歌などの歌曲が映画音楽の構成要素となり、表現方法も多種多様になる。トーキー初期には純音楽作曲家や舞台音楽作曲家に依頼していたが、しだいに大衆性と職業的熟練を兼ね備えた専門の映画音楽家が進出してくるようになった。アメリカのマックス・スタイナー、ディミトリ・ティオムキン、ビクター・ヤング、アルフレッド・ニューマンなどがその例である。また旧ソ連ではプロコフィエフやショスタコビチなどの現代作曲家が映画音楽を晩年まで手がけ続けた。
第二次世界大戦後になって、オーケストラ音楽以外の音楽を積極的に取り入れようとする動きがあり、アントン・カラスのチターによる﹃第三の男﹄︵1949︶、ナルシソ・イエペスのギターによる﹃禁じられた遊び﹄︵1952︶、マイルス・デービスのジャズによる﹃死刑台のエレベーター﹄︵1957︶などのように多様化した。また1950年代後半より日本では映画音楽のテーマ曲、主題歌をラジオ放送、レコードで楽しむ映画音楽が流行した。
1960年代に映画音楽の流れが変わった。フランスのミシェル・ルグランの﹃シェルブールの雨傘﹄︵1964︶、フランシス・レイの﹃男と女﹄︵1966︶などイージー・リスニング系のなじみやすい曲想は、世界の音楽に影響を及ぼした。アメリカでは、﹃卒業﹄︵1967︶がサイモン&ガーファンクルによるポップ曲を利用して成功し、音楽業界を動かして既成楽曲を映画にとり入れる条件を変更させた。複数グループによる多数曲で成功した﹃イージー・ライダー﹄︵1969︶はロックにサウンドトラックへの道を開いた。複数のヒット曲、既成曲を劇音楽と融合させる傾向は﹃トップガン﹄︵1986︶のように一般化した。﹃スター・ウォーズ﹄︵1977︶のジョン・ウィリアムズ、﹃タイタニック﹄︵1997︶のジェームズ・ホーナーなどは劇音楽を守り、ディズニーの長編アニメ﹃美女と野獣﹄︵1991︶、﹃アラジン﹄︵1992︶は﹃白雪姫﹄︵1937︶以来の独自のオリジナル劇音楽、歌曲スタイルを貫いている。
﹇日野康一﹈
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映画音楽
えいがおんがく
film music
映画の劇内容の進行に合せて,作曲家がその映画のために作曲,あるいは既成曲を編曲して,画面効果を高めるために用いる音楽。純音楽との根本的な違いは,視覚芸術としての映画の映像に従属する聴覚的要素であること,なまの演奏ではなく,フィルムのサウンド・トラックに録音された再生音楽であること,したがって,描かれる状況やせりふの内容表現と密接に関連し,監督の意図に従って作曲・演奏されること,などである。標題音楽的伴奏音楽としての役割から発し,映画技術の発達とともに多種多様な使命が課せられ,現在,自由,複雑な映画音楽の方向へ進んでいる。﹃巴里祭﹄ (M.ジョベール) ,﹃真昼の決闘﹄ (D.ティオムキン) ,﹃死刑台のエレベーター﹄ (M.デービス) ,﹃サウンド・オブ・ミュージック﹄ (R.ロジャーズ,編曲 I.コスタル) などの映画音楽は特に有名。
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