横井小楠(読み)ヨコイショウナン

デジタル大辞泉 「横井小楠」の意味・読み・例文・類語

よこい‐しょうなん〔よこゐセウナン〕【横井小楠】

 
18091869  

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精選版 日本国語大辞典 「横井小楠」の意味・読み・例文・類語

よこい‐しょうなん【横井小楠】

  1. 幕末から明治維新の思想家。熊本藩士出身。越前福井藩に招かれ、開国貿易・殖産興業など富国強兵策による藩政改革を指導、また幕府の公武合体運動を推進した。維新後、新政府の創業に参画したが、明治二年(一八六九)暗殺された。文化六~明治二年(一八〇九‐六九

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「横井小楠」の意味・わかりやすい解説

横井小楠
よこいしょうなん
(1809―1869)


()183910()()()()18585()()貿18622()()()()()西()()

 2016719

1938

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改訂新版 世界大百科事典 「横井小楠」の意味・わかりやすい解説

横井小楠 (よこいしょうなん)
生没年:1809-69(文化6-明治2)


184314︿1541

 5860162263

 68169

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朝日日本歴史人物事典 「横井小楠」の解説

横井小楠

 
2.1.5(1869.2.15)
6.8.13(1809.9.22)
,,,()10(1839)14,,,,()4(1851),,5,,1(1854)5(),,2(1862),,3,,,,,西1(1868)4,,<参考文献>,  
()
 

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

百科事典マイペディア 「横井小楠」の意味・わかりやすい解説

横井小楠【よこいしょうなん】

 
1839︿11858186218681869
 

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「横井小楠」の意味・わかりやすい解説

横井小楠
よこいしょうなん

 
[]6(1809).8. 
[]2(1869).1.5. 
305 (1858) 743退稿  

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「横井小楠」の解説

横井小楠
よこいしょうなん

1809.8.13~69.1.5

幕末・維新期の政治家。肥後国熊本藩士の次男。通称平四郎,小楠は号。藩校時習館で学んだのち江戸に遊学。帰国後私塾を開き,熊本実学党を結成して藩政改革を企図するが失敗,1851年(嘉永4)から諸国を遊歴する。58年(安政5)福井藩に招かれ,松平慶永(よしなが)の政治顧問となる。「国是三論」(1860)を著し,開国通商・殖産興業・富国強兵を主張して藩政改革を主導した。62年(文久2)慶永のブレーンとして公武合体運動を推進し,雄藩連合を構想するが,63年失脚し,熊本で閑居。儒学に立脚しつつ,幕末の内政および外交政策をとらえ直し,革新的な思想を唱えて,当時の有識者に大きな思想的影響を与えた。維新後,新政府の徴士・参与となったが,69年(明治2)1月保守派に京都で暗殺された。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「横井小楠」の解説

横井小楠 よこい-しょうなん

1809-1869 江戸時代後期の儒者。
文化6年8月13日生まれ。肥後熊本藩士。天保(てんぽう)10年江戸に遊学。帰藩後は家塾をひらき,実学派の中心となる。安政5年福井藩主松平慶永(よしなが)の藩政顧問となり,藩の富国策を指導。新政府のもと,京都で参与となるが,明治2年1月5日暗殺された。61歳。名は時存(ときあり)。字(あざな)は子操。通称は平四郎。別号に沼山。著作に「国是三論」。
【格言など】人必死の地に入れば,心必ず決す

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旺文社日本史事典 三訂版 「横井小楠」の解説

横井小楠
よこいしょうなん

1809〜69
幕末・維新期の政治家
通称平四郎。熊本藩士。儒学・洋学を修め海外情勢に明るく,熊本実学党を結成した。1858年越前藩主松平慶永 (よしなが) の政治顧問となり,殖産興業・開国貿易の必要を説き富国強兵をめざす藩政改革を指導。'62年慶永が幕府の政事総裁職につくと公武合体運動に活躍,翌年失脚した。のち明治政府の徴士・参与となったが開明的識見のゆえに保守派に暗殺された。

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367日誕生日大事典 「横井小楠」の解説

横井 小楠 (よこい しょうなん)

生年月日:1809年8月13日
江戸時代;明治時代の熊本藩士;論策家
1869年没

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世界大百科事典(旧版)内の横井小楠の言及

【実学】より


西︿()

【ワシントン】より

…首都ワシントン,ワシントン州をはじめ,国父としての彼を記念して名づけられている地名,施設が多い。 日本においては,早くも幕末に横井小楠が〈真実公平の心〉の持主(《沼山対話》1864),西洋列国の有名な人物の中では唯一例外的に〈徳義のある人物〉(甥あての書状,1867)とワシントンを称賛している。明治維新以降,アメリカの独立戦争・建国時ナショナリズムの,また自由の精神の体現者として,ワシントンは国権派からも民権派からも好意的に受けとめられた。…

※「横井小楠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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