藩政改革(読み)はんせいかいかく

改訂新版 世界大百科事典 「藩政改革」の意味・わかりやすい解説

藩政改革 (はんせいかいかく)


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日本大百科全書(ニッポニカ) 「藩政改革」の意味・わかりやすい解説

藩政改革
はんせいかいかく




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初期


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中期

徳川幕藩体制の経済的基礎である本百姓経営における生産力発展によって、本百姓の手元に剰余部分が残るようになる。つまり、自然経済を徐々に商品経済にかえていく事態は、一方では領主が立脚する生産物地代原則、すなわち貢租という形では農民の商品生産の成果を吸収することを不可能にさせるとともに、藩財政の貨幣支出をさらに膨張させる。他方、このような農民的商品生産の展開は、新しく国民的市場形成の方向へと結実していく。このことは都市商人資本の進出を生み出してくる。したがって各藩は、このような事態に即応しうる藩体制の質的な転換を迫られる。元禄(げんろく)~享保(きょうほう)期(1688~1736)以降、各藩で行われる改革は、このような性格を帯びていた。だから、そこでは生産物地代原則の強化、すなわち貢租の増徴と相まって、商品経済の進展に順応する姿勢がとられていく。その中核的な政策が、産物改所(国産会所)の設置と藩専売制の実施であった。

 藩専売は、各地の条件に応じた特産物を中心として取り組まれている。長州藩の紙・蝋(ろう)、阿波(あわ)徳島藩の藍(あい)、姫路藩の木綿・塩、土佐藩の紙、薩摩(さつま)藩の樟脳(しょうのう)・黒砂糖、信州上田藩の絹織物など多くの例を数えることができる。しかし、この専売政策も多くの場合、藩権力が豪農層や特権商人と癒着し、特産物の生産・流通過程に厳しい統制を加えたため、かえって一般農民層を窮乏に陥れるという結果を招き、藩経済を強化する方向には結び付かなかった。

 また、中期の藩政改革において注意しなければならないもう一つの問題は、後進地帯における、いわゆる「名君賢宰」による藩政改革である。その典型としては、肥後熊本藩54万石を受け継いだ第6代細川重賢(しげかた)と家老堀勝名(かつな)との関係、陸奥(むつ)会津藩28万石の第5代松平容頌(かたのぶ)と家老田中玄宰(げんさい)との関係、そして出羽米沢(でわよねざわ)藩15万石の第10代上杉治憲(はるのり)(鷹山(ようざん))と、改革派を代表する竹俣当綱(たけまたまさつな)との関係をあげることができるだろう。商品経済の遅れている後進地帯のこれらの諸藩では、封建貢租の過重と先進地帯の商人資本の収奪とが相まって、本百姓経営の再生産さえ不可能にしていた。こうした事態にあっては、本百姓経営の再創出こそが重要な改革の方向となっていた。

[泉 雅博]

後期




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旺文社日本史事典 三訂版 「藩政改革」の解説

藩政改革
はんせいかいかく

 

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百科事典マイペディア 「藩政改革」の意味・わかりやすい解説

藩政改革【はんせいかいかく】

 
18301844鹿調()  

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「藩政改革」の解説

藩政改革
はんせいかいかく

江戸時代,内外の危機に直面した諸藩が,その危機を克服するために行った政治刷新の動き。改革は前期・中期・後期・幕末期と江戸時代を通じて各藩で実施され,危機の内容も家臣団の分裂と対立,支配機構の弛緩と動揺,藩財政の窮乏や凶作などによる領民の疲弊,百姓一揆・打ちこわしの高揚などさまざまで,後期には外国船の来航による国際的危機の激化が加わる。危機を打開するための改革の主体や政策も時期や藩によって異なる。前期の改革では会津藩の保科(ほしな)正之,水戸藩の徳川光圀(みつくに),金沢藩の前田綱紀(つなのり),岡山藩の池田光政らの改革,中期では米沢藩の上杉治憲,熊本藩の細川重賢(しげかた)らのいわゆる名君の活躍がめだつ。天保期以降では萩・鹿児島・佐賀・高知などの西南雄藩における軍事力強化を含む改革の実施が注目される。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「藩政改革」の意味・わかりやすい解説

藩政改革
はんせいかいかく

江戸時代,各藩で行われた政治や経済の改革。財政の窮乏打開や家臣団統制の再強化を目標として行われた。幕府の三大改革をはじめ,各藩でも社会の進展状況を顧慮し,適応体制を整える必要があった。改革は初期,中期,後期に分けられる。初期は加賀藩,宇和島藩,長州藩などで農業振興を重点として行われたが,家臣団構成や知行制の変革も多かった。中期以降は,商品経済の発展に順応した殖産興業政策と藩専売の強化が行われた。幕末には,国産会所 (→産物会所 ) を設けて藩が商品流通を独占し,軍制の改革もあわせて行われることが多かった。西南雄藩の改革が典型的なものである。

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世界大百科事典(旧版)内の藩政改革の言及

【勧農】より

…裏作奨励に力を注いだ加賀藩でも,1675年(延宝3)裏作の小麦が翌年の田植時期を遅らせて稲作を害してしまうという理由で,本田での小麦作を禁止している。 中期以降になると,領主財政の立て直しを意図した藩政改革の一環として,流通過程での施策に対応した勧農が説かれる。米沢藩では財政整理の必要から諸士の次三男に土着を督励し,1801年(享和1)に酒田の本間信四郎などからの借用金を勧農金と名づけて新百姓の夫食(ぶじき)・家作・資材の資金に給付し,士分の土着を促進して開墾の実をあげた。…

【天保改革】より

…江戸時代後期の天保年間(1830‐44)に行われた幕政改革,藩政改革の総称。領主財政の窮乏・破綻,天保の飢饉を契機とした物価騰貴,一揆の激発などの社会的動揺,外国船来航による対外的危機などを克服し,幕藩体制の維持存続を目ざして行われた。…

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