正宗白鳥(読み)マサムネハクチョウ

デジタル大辞泉 「正宗白鳥」の意味・読み・例文・類語

まさむね‐はくちょう〔‐ハクテウ〕【正宗白鳥】

 
18791962  

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精選版 日本国語大辞典 「正宗白鳥」の意味・読み・例文・類語

まさむね‐はくちょう【正宗白鳥】

 

(一)
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「正宗白鳥」の意味・わかりやすい解説

正宗白鳥
まさむねはくちょう
(1879―1962)


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改訂新版 世界大百科事典 「正宗白鳥」の意味・わかりやすい解説

正宗白鳥 (まさむねはくちょう)
生没年:1879-1962(明治12-昭和37)


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20世紀日本人名事典 「正宗白鳥」の解説

正宗 白鳥
マサムネ ハクチョウ

明治〜昭和期の小説家,劇作家,評論家



生年
明治12(1879)年3月3日

没年
昭和37(1962)年10月28日

出生地
岡山県和気郡穂浪村(現・備前市穂浪町)

本名
正宗 忠夫

別名
別号=白丁,剣菱

学歴〔年〕
東京専門学校(現・早稲田大学)〔明治34年〕卒

主な受賞名〔年〕
文化勲章〔昭和25年〕,文化功労者〔昭和26年〕,菊池寛賞(第5回)〔昭和32年〕,読売文学賞(第11回・小説賞)〔昭和34年〕「今年の秋」

経歴
小学校時代から文学書を耽読する。またキリスト教に傾倒し、明治30年に植村正久によって受洗する。34年「読売新聞」の「月曜文学」欄に評論を発表する。36年読売新聞社に入社、7年間在籍。この間、37年「寂寞」を発表して小説を書きはじめ、40年の「塵埃」、41年発表の「何処へ」で自然主義作家の登場と目され、以後小説、評論、随筆の面で幅広く活躍。昭和25年文化勲章を受章。32年批評活動で菊池寛賞を、34年「今年の秋」で読売文学賞を受賞した。他の代表作に「微光」「入江のほとり」「人を殺したが…」「今年の秋」「リー兄さん」などの小説、「人生の幸福」などの戯曲、評論「文壇人物評論」「作家論」「内村鑑三」「自然主義文学盛衰史」、自伝「文壇五十年」など。「正宗白鳥全集」(全30巻 福武書店)がある。

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百科事典マイペディア 「正宗白鳥」の意味・わかりやすい解説

正宗白鳥【まさむねはくちょう】

 
1950
 

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朝日日本歴史人物事典 「正宗白鳥」の解説

正宗白鳥

 
37.10.28(1962)
12.3.3(1879)
(),(),,,,29(1896)(),,,,,36,4041(1911),,,(1916),(1926),34(192829),,(1938),,(1961),<参考文献>()  
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出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「正宗白鳥」の意味・わかりやすい解説

正宗白鳥
まさむねはくちょう

[生]1879.3.3. 岡山,穂浪
[没]1962.10.28. 東京
小説家。本名,忠夫。 1901年東京専門学校文学科卒業。島村抱月に師事し,美術,文芸,演劇などの痛烈な批評で注目され,『塵埃』 (1907) により新進作家として認められた。 08年『何処へ』『五月幟』などを相次いで発表,自然主義文学運動の中心作家の一人となった。虚無,冷笑といった否定的人生観を『微光』 (10) ,『泥人形』 (11) に定着,『入江のほとり』 (15) ,『牛部屋の臭ひ』 (16) ,『死者生者』 (16) で円熟を示した。以後,従来の作劇術を無視した『安土 (あづち) の春』 (26) ,『光秀と紹巴』 (26) などの戯曲,小林秀雄との「思想と実生活」論争にみられるようなシニカルな目をもつ評論に活躍。ほかに『文壇人物評論』や『自然主義盛衰史』 (48) ,小説『日本脱出』 (49) ,『今年の秋』 (59) など。 40年芸術院会員。 50年文化勲章受章。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「正宗白鳥」の解説

正宗白鳥 まさむね-はくちょう

1879-1962 明治-昭和時代の小説家,劇作家,評論家。
明治12年3月3日生まれ。37年第1作「寂寞(せきばく)」を発表。「塵埃(じんあい)」「何処(どこ)へ」などで自然主義作家として知られた。のち活動の主力を「内村鑑三」「作家論」などの評論執筆にそそぐ。芸術院会員。日本ペンクラブ会長。昭和25年文化勲章。弟に正宗敦夫・得三郎。昭和37年10月28日死去。83歳。岡山県出身。東京専門学校(現早大)卒。本名は忠夫。
【格言など】畢竟人生は知るにあらで味うにあり(「通人」)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「正宗白鳥」の解説

正宗白鳥
まさむねはくちょう

1879.3.3~1962.10.28

明治~昭和期の自然主義の小説家・劇作家・文芸評論家。本名忠夫。岡山県出身。東京専門学校卒。代表作「何処(どこ)へ」「入江のほとり」「牛部屋の臭ひ」「毒婦のやうな女」「光秀と紹巴(じょうは)」「今年の秋」。文芸評論では「文壇人物評論」「自然主義盛衰史」が代表作。

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旺文社日本史事典 三訂版 「正宗白鳥」の解説

正宗白鳥
まさむねはくちょう

1879〜1962
明治〜昭和期の小説家
本名は忠夫。岡山県の生まれ。東京専門学校(現早稲田大学)卒。1908年発表の小説『何処へ』以来自然主義作家として平凡な生活を虚無的な筆致で描く。戯曲・文芸批評にも異色を示した。'50年文化勲章受章。ほかに『入江のほとり』『牛部屋の臭ひ』など。

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367日誕生日大事典 「正宗白鳥」の解説

正宗 白鳥 (まさむね はくちょう)

生年月日:1879年3月3日
明治時代-昭和時代の小説家;劇作家;評論家
1962年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の正宗白鳥の言及

【ダンテ】より

… ダンテの作品は,約言すれば,政治と文学との激しい葛藤のなかで生み出された。日本においては,明治時代から《新生》と《神曲》を中心に,かなりの翻訳と紹介が行われてきたが,その傾向を大別すると,第1は上田敏を頂点とする純文学的動機によるもの,第2は内村鑑三,正宗白鳥ら宗教的関心に基づくもの,第3は阿部次郎が築こうとした哲学的・倫理的傾向のもの,そして第4にダンテの文学を政治と文学の葛藤の角度から(とくに第2次世界大戦下の日本の状況と照らし合わせて)とらえようとしたもの(矢内原忠雄,花田清輝,杉浦明平ら)となる。《神曲》の翻訳としては,文章表現と文体に問題は残るが,最も原文に忠実で正確なものとして,山川丙三郎訳を挙げねばならない(1984年現在)。…

【何処へ】より

正宗白鳥の初期代表作。1908年(明治41)1~4月に《早稲田文学》に発表。…

【文壇人物評論】より

正宗白鳥の評論。1932年7月,中央公論社刊。…

※「正宗白鳥」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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