島村抱月(読み)シマムラホウゲツ

デジタル大辞泉 「島村抱月」の意味・読み・例文・類語

しまむら‐ほうげつ〔‐ハウゲツ〕【島村抱月】

 
18711918西  

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精選版 日本国語大辞典 「島村抱月」の意味・読み・例文・類語

しまむら‐ほうげつ【島村抱月】

 

(一)
 

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百科事典マイペディア 「島村抱月」の意味・わかりやすい解説

島村抱月【しまむらほうげつ】

 
︿1913︿8
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「島村抱月」の意味・わかりやすい解説

島村抱月
しまむらほうげつ
(1871―1918)


4110()()西()1902351906()19091909()1913271152()



8197943 1967

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朝日日本歴史人物事典 「島村抱月」の解説

島村抱月

 
7.11.5(1918)
4.1.10(1871.2.28)
,,,(),(),()2,西27(1894),95,,,,,353,(2,1906),(1906),(1908)(1909),,姿,,,,2(1913),,西,,,2,<著作>8<参考文献>   
()
 

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改訂新版 世界大百科事典 「島村抱月」の意味・わかりやすい解説

島村抱月 (しまむらほうげつ)
生没年:1871-1918(明治4-大正7)


1894西190206調使13︿8

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「島村抱月」の意味・わかりやすい解説

島村抱月
しまむらほうげつ

 
[]4(1871).1.10. 
[]1918.11.5. 
 1894 () 西 (1895)  190205 (1906)  (07)  (13)  (1902)  (09)  (06)  (13)  (14)   

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「島村抱月」の解説

島村抱月 しまむら-ほうげつ

1871-1918 明治-大正時代劇作家,演出家。
明治4年1月10日生まれ。イギリス,ドイツに留学後,明治38年早大教授となる。「早稲田文学」を復刊し,自然主義文学理論を発表。坪内逍遥(しょうよう)の文芸協会創立にくわわる。大正2年女優松井須磨子(すまこ)と芸術座をつくり,新劇運動に専心した。大正7年11月5日死去。48歳。石見(いわみ)(島根県)出身。東京専門学校(現早大)卒。旧姓は佐々山。本名は滝太郎。著作に「近代文芸之研究」など。
【格言など】懐疑はいくら微細のものでもそれが真実であるかぎり貴い

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「島村抱月」の解説

島村抱月
しまむらほうげつ


1871.1.101918.11.5

退(1913)

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旺文社日本史事典 三訂版 「島村抱月」の解説

島村抱月
しまむらほうげつ

1871〜1918
明治・大正時代の評論家・新劇指導者
本名は滝太郎。島根県の生まれ。東京専門学校(現早稲田大学)卒。早大教授。自然主義文学運動の理論的指導者として活躍。また坪内逍遙らと文芸協会,ついで松井須磨子を中心に芸術座を組織し,新劇の確立に尽力した。

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世界大百科事典(旧版)内の島村抱月の言及

【芸術座】より

…劇団名。(1)第1次は,1913年(大正2)文芸協会を恋愛事件で除名された島村抱月松井須磨子が創立したもので,モスクワ芸術座の名称を借りたといわれる。須磨子の演目に中山晋平作曲の主題歌を挿入したのが人気を呼び,とくに《復活》(トルストイ原作)の〈カチューシャの歌〉が名高い。…

【新劇】より

…そして第1期生の卒業公演にも当たる《ハムレット》上演(1911)から解散の13年にいたるまで,文芸協会は活発な活動を行い,女優松井須磨子らを世に出した。逍遥はシェークスピア劇の移植と歌舞伎の改革を目ざし,また西欧近代を呼吸して帰国した弟子の島村抱月は,イプセンの《人形の家》など,逍遥以上に西欧近代劇の移入に熱心であった。 一方,歌舞伎俳優として初の渡欧体験を持ち,しかし帰国後の革新興行には失敗した2代目市川左団次と,1906年に〈新派〉を失望裡に離れた小山内薫は,共同して09年に自由劇場を創設,試演活動を開始した。…

【人形の家】より

…イプセンは晩年,この劇は女性解放ではなく人間描写の劇だと言った。日本での初演は1911年の島村抱月の訳・演出によるもので,松井須磨子のノーラが評判になった。【毛利 三弥】。…

【早稲田文学】より

…逍遥と森鷗外とのあいだでかわされたいわゆる〈没理想論争〉などをはじめ,〈文学〉に対する理解の未分化な時代に,〈明治文学の嚮導者〉として果たした役割は大きい。98年10月で第1次を終わるが,第2次は島村抱月を中心として1906年1月に始まり,自然主義文学運動の牙城として,その理論形成に貢献した。〈記実〉を旨とする第1次からの基本姿勢は,〈彙報〉を中心に引きつがれ,文学史料としての価値を高からしめている。…

※「島村抱月」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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