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「武漢」の意味・読み・例文・類語
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ぶかん【武漢】
(一)中国湖北省の省都。揚子江と漢水の合流点に位置する。古来武漢三鎮と呼ばれた武昌・漢陽・漢口の三市が、一九四九年統合されて成立。ウーハン。
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武漢
ぶかん / ウーハン
中国、湖北(こほく)省中東部にある副省級市︵省と同程度の自主権を与えられた地級市︶で、同省の省都。略称は漢。別名を江城という。長江(ちょうこう)︵揚子江(ようすこう)︶と漢水との合流点に位置する同省の政治、経済、文化、交通の中心地である。2017年時点で13市轄区を管轄し、人口1089万2900︵2017︶。長江右岸の武昌(ぶしょう)、漢水左岸の漢口(かんこう)、同右岸の漢陽(かんよう)の3都市が統合されたもので、古くは武漢三鎮と称した。また﹁九省之会﹂︵9省から交通路の集まる所︶ともいわれ、水陸交通路が集中する交通の要衝であり、﹁兵家必争の地﹂でもあった。
年平均気温は15.8~17.5℃で温暖。年降水量は1150~1450ミリメートルで、初夏の降水量が多い。四季の区分は明瞭で、夏が約135日と長く、春と秋はそれぞれ60日程度である。大分市と姉妹都市提携を結んでいる。
﹇河野通博・編集部 2018年1月19日﹈
武昌は明(みん)・清(しん)代の武昌府の治所で政治都市的色彩が強く、1911年の辛亥(しんがい)革命の発火点となり︵武昌蜂起︶、現在も省政府が置かれている。漢口は旧称を夏口(かこう)とよび、古くからの交通や商業の中心地で、アヘン戦争以後は長江水運の要地として開港され、外国租界が設けられたこともある。1927年に漢口特別市︵1929年に一時武漢特別市︶が設けられたが、1931年に普通市に改められた。漢陽は隋(ずい)代に漢陽県となり、清代に漢陽府の治所となった。1949年この三鎮を合併して武漢市が成立した。
﹇河野通博 2018年1月19日﹈
かつては商業が主で、清末に創立された漢陽の製鉄所や兵工廠(へいこうしょう)︵兵器工場︶があったものの、活発な生産活動はみられなかった。中華人民共和国成立後、武昌南東部の青山(せいざん)区に大型鉄鋼コンビナートが建設されたのをはじめ、機械、造船、化学、石油化学、電子、紡績などの工業が立地し、漢口には肉類加工コンビナートもある。1990年代以降、三つの国家級経済開発区が設置され、武昌の武漢東湖ハイテク産業開発区︵高新区︶では光通信を中心とするハイテク産業が、漢口の武漢臨空港経済技術開発区では食品加工や電子機器製造が、漢陽の武漢経済技術開発区では自動車産業が発展している。2000年代後半以降は、外資系流通企業の進出により、小売市場が急成長を遂げている。
20世紀初頭に京漢鉄道︵北京(ペキン)―漢口︶が完成、ついで粤漢(えっかん)鉄道︵武昌―広州(こうしゅう)︶が通じ、北京と広州を結ぶ交通動脈の中継地となった。さらに1957年、武漢長江大橋が完成し、両鉄道は一本化して京広線と名称を変え、北京―広州の直通運転が可能となった。同大橋は漢陽の亀山(きざん)と武昌の蛇山(だざん)の間に位置し、長江に最初に架けられた鉄道と車道の二層式鉄橋である。その後、漢丹線︵武漢―丹江口(たんこうこう)︶、重慶(じゅうけい)に達する支線の襄渝(じょうゆ)線、九江(きゅうこう)に達する武九線のほか、武麻線︵武漢―麻城(まじょう)︶や長荊線︵長江埠(ちょうこうふ)―荊門(けいもん)︶も通じている。さらに、2012年に京広高速鉄道、2014年に滬漢蓉(こかんよう)高速鉄道︵上海(シャンハイ)―武漢―成都(せいと)︶、2015年に西武高速鉄道︵西安(せいあん)―武漢︶、2017年に武九高速鉄道が開通し、武漢は中国の高速鉄道網の中枢となりつつある。また漢口東部に武漢第二長江大橋が架設されている。
水運は古くから盛んで、長江、漢水はもちろん、それらの河川を経由して湘江(しょうこう)などに通じる汽船も就航している。とくに長江の増水期には1万トン級の航洋船舶が漢口まで遡航(そこう)し、重慶へは3000トン級の船が就航している。空運では1995年に武漢天河国際空港が開港し、国内各都市への航空路線が開設されている。
﹇河野通博・編集部 2018年1月19日﹈
高等教育・科学研究機関が多く、華中科技大学、華中師範大学、中国地質大学など80あまりの大学が密集している。なかでも武昌区の珞珈山(らくがさん)山麓にある武漢大学は、1913年設立の武昌高等師範学校に由来する総合大学で、国家重点大学に指定されている。湖や山を擁し、中国の伝統的建築の校舎と近代建築の校舎が融和するキャンパスは、中国随一の美しいキャンパスといわれる。サクラの名所としても有名。
辛亥革命から国共合作にかけての革命史跡が多い。景勝地東湖公園には戦国時代の楚(そ)の詩人屈原(くつげん)の記念館がある。
﹇河野通博・編集部 2018年1月19日﹈
2019年12月に武漢市が報告した原因不明の肺炎は、2020年1月に新型コロナウイルスによる感染症(COVID(コビッド)-19)と判明した。感染を抑えるため、武漢市は同年1月から4月まで都市封鎖を行ったが、感染は広がり、3月にWHO(世界保健機関)は新型コロナウイルス感染症がパンデミック(世界的大流行)に至ったと発表した。
[編集部]
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武漢【ぶかん】
中国,湖北省の省都。1949年,長江と漢水の合流点に位置する武昌・漢陽・漢口︵武漢三鎮︶の3都市が合併し,中央直轄市となった。1954年省轄市となり,漢水鉄橋が完成して,漢口と漢陽が結ばれ,1957年長江の武漢大鉄橋が完成し,武昌と漢陽が結ばれ,3都市が一体となった。華中最大の工業都市だが,現在は高速道路網の整備などによって商業都市としても発展している。人口821万人︵2014︶。 武昌は武漢市の東部をなしており,呉の孫権が夏口城を築いたのに始まる。以後,武漢三鎮中でも政治の中心で,明代の湖広省庁,清〜民国には湖北省庁が置かれた。現在の京広鉄路︵北京〜広州︶,かつての粤漢(えつかん)鉄路の起点,長江の水運基地で,紡績・製糸・製麻・製紙工業が盛ん。漢陽は武漢市の西部をなす。古来,軍事上の要衝で,清末に製鋼所,兵器廠が設けられ,大冶の鉄,萍郷(ひょうきょう)の石炭による大規模な近代工業が発達した。漢口は武漢市の北部をなす。長江水運と京広鉄路の連絡点にあたり,1858年開港。
→関連項目漢陽|湖北﹇省﹈|中華人民共和国|老河口
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武漢 (ぶかん)
Wǔ hàn
中国,湖北省東部の都市で省都。人口831万︵2000︶,面積2746km2。長江︵揚子江︶と漢江の合流点に位置し,武昌,漢陽,漢口の3都市を合併して成った。古くはこの三つを併せて武漢三鎮と称され,交通の要衝でもあったので群雄必争の地となった。清末張之洞の努力で近代都市の基礎が固められ,新中国成立後,1957年には武漢大鉄橋の完成や,武漢鉄鋼コンビナートの建設により,華中における一大工業基地として発展している。
→武昌
執筆者‥谷口 規矩雄
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世界大百科事典(旧版)内の武漢の言及
【漢口】より
…中国,湖北省東部の大都市。武昌,漢陽とともに武漢市を形成し,いわゆる武漢三鎮の一つである。漢水が長江(揚子江)に流入する北岸に位置する。…
【漢陽】より
…中国,湖北省東部の重要都市。漢水が長江(揚子江)に流入する南岸にあり,いわゆる武漢三鎮の一つ。現在は武昌,漢口とともに武漢市となっている。…
【武昌】より
…中国,湖北省東部の都市。漢陽,漢口とともに武漢市を形成し,湖北省の省都である。漢水河口の対岸,長江(揚子江)の東岸に位置する。…
※「武漢」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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