河野一郎(読み)コウノイチロウ

デジタル大辞泉 「河野一郎」の意味・読み・例文・類語

こうの‐いちろう〔かうのイチラウ〕【河野一郎】

 
18981965  

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精選版 日本国語大辞典 「河野一郎」の意味・読み・例文・類語

こうの‐いちろう【河野一郎】

 

(一)
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「河野一郎」の意味・わかりやすい解説

河野一郎
こうのいちろう
(1898―1965)


192312()193275()19452019461951()1953195419551956()1937 

 

19581965196519662010

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新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「河野一郎」の解説

河野 一郎
コウノ イチロウ

 




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20世紀日本人名事典 「河野一郎」の解説

河野 一郎
コウノ イチロウ

昭和期の政治家 農相;建設相;衆院議員(自民党);自由党幹事長。



生年
明治31(1898)年6月2日

没年
昭和40(1965)年7月8日

出生地
神奈川県小田原市

学歴〔年〕
早稲田大学政治経済学科〔大正12年〕卒

経歴
朝日新聞記者、農相秘書官を経て、昭和7年衆院議員(政友会)に初当選。以来、当選11回。戦時中は非翼賛議員として興亜議員連盟に参加、反東条の立場をとった。戦後、自由党結成に参加して初代幹事長となるが公職追放を受け、一時日魯漁業社長をつとめる。26年解除後、鳩山擁立派として吉田首相退陣を要求し、28年衆院解散に際し分党派自由党を結成、選挙後の28年末分党派を解体し、三木武吉らと日本自由党を結成、幹事長となる。29年日本民主党に合流し民主自由党総務、同年第1次鳩山内閣の農相に就任。日ソ国交回復交渉及び漁業交渉に尽力した。のち、岸内閣の経企庁長官、池田内閣の建設相、東京オリンピック担当相、自由民主党総務会長など要職を歴任し、生粋の党人派実力者として活動した。

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百科事典マイペディア 「河野一郎」の意味・わかりやすい解説

河野一郎【こうのいちろう】

政治家。神奈川県出身。1923年早稲田大学卒,朝日新聞社入社。1932年衆議院議員となり,政友会に所属。1945年鳩山一郎を総裁とする日本自由党創立に参加,幹事長となるが,翌年鳩山とともに公職を追放された。1951年追放解除後,鳩山政権樹立を目指して吉田茂と対立,激しい党内抗争を繰り広げた。1954年第1次鳩山内閣の農相として初入閣,1956年には日ソ国交回復を成功させた。その後,経企庁長官・農相・建設相などを歴任,池田勇人(はやと)後の総裁指名を期待したが,政権担当の機会を得ぬまま死去。謙三(元参議院議長)は弟,洋平(衆議院議員)は次男。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「河野一郎」の意味・わかりやすい解説

河野一郎
こうのいちろう

[生]1898.6.2. 神奈川
[没]1965.7.8. 東京
政治家。 1923年早稲田大学卒業。『朝日新聞』記者となる。 32年衆議院議員初当選。 45年日本自由党結成に参画。同幹事長となったが,46年公職追放。 51年追放を解除され,吉田内閣打倒,鳩山政権実現に専念した。 54年鳩山内閣の農相となり,日ソ漁業交渉と日ソ復交に活躍。「河野執権」と称される実権者となった。その後も党と内閣の要職を歴任し,64年,池田首相退陣後の自由民主党総裁を佐藤栄作と争ったが敗れ,半年後急死した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「河野一郎」の解説

河野一郎(1) こうの-いちろう

1898-1965 昭和時代の政治家。
明治31年6月2日生まれ。河野洋平の父。東京朝日新聞記者をへて昭和7年衆議院議員(当選11回,自民党)。29年日本民主党結成にくわわって第1次鳩山内閣の農相となり,31年ソ連との国交回復を実現させた。のち岸,池田,佐藤各内閣の農相,建設相などを歴任。昭和40年7月8日死去。67歳。神奈川県出身。早大卒。著作に「今だから話そう」など。
【格言など】こんなことで死んでたまるか(最期の言葉)

河野一郎(2) こうの-いちろう

1930- 昭和後期-平成時代の英文学者。
昭和5年1月6日生まれ。45年母校東京外大の教授,のちフェリス女学院大教授。カポーティ「遠い声遠い部屋」,シリトー「長距離走者の孤独」など現代英米小説の翻訳が多数ある。大阪出身。著作に「翻訳上達法」。

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367日誕生日大事典 「河野一郎」の解説

河野 一郎 (こうの いちろう)

生年月日:1898年6月2日
昭和時代の政治家。建設相;衆議院議員
1965年没

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