20世紀日本人名事典 「渋沢秀雄」の解説
渋沢 秀雄
シブサワ ヒデオ
生年 明治25(1892)年10月5日
没年 昭和59(1984)年2月15日
出生地 東京・日本橋
別名 俳号=渋亭
学歴︹年︺ 東京帝大法科大学仏法科︹大正6年︺卒
主な受賞名︹年︺ 勲二等瑞宝章︹昭和46年︺
経歴 田園都市株式会社取締役となり、東京の田園調布を高級住宅地として開発。昭和13〜22年東宝会長を務めたほか、帝劇、東急、後楽園スタヂアムなどの重役を歴任。戦後の追放解除後は実業界から離れ、40年より放送番組向上委員会初代委員長、電波監理審議会会長を務めたほかは、明治の粋人として、随筆、俳句、油絵、三味線、長唄、小唄と風流三昧の人生を歩んだ。なかでも随筆家としては軽妙洒脱な筆致で知られ、“現代の兼好法師”との評もあるほど。俳句は昭和11年以来いとう句会同人として作句した。著書は﹁明治を耕した話﹂﹁散歩人生﹂﹁明治は遠く﹂﹁父渋沢栄一﹂﹁筆のすさび﹂﹁わが町﹂など40冊以上に及ぶ。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報