デジタル大辞泉
「漢詩」の意味・読み・例文・類語
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かん‐し【漢詩】
(一)〘 名詞 〙
(二)① 中国、漢代の詩。
(三)② 中国の詩。特に、口語による現代詩に対して、文語による古典形式の詩をいう。一句が四言、五言、七言からなるものが多く、平仄(ひょうそく)、脚韻をふむのが普通である。古詩、楽府(がふ)、絶句、律詩などに分類されるが、近体詩と呼ばれる絶句、律詩には平仄による発音上の約束がある。また、それらの形式で日本人が作る詩。からうた。
(一)[初出の実例]﹁吾国には漢詩を直訳的に朗吟する習慣あり﹂(出典‥抒情詩︵1897︶独歩吟︿国木田独歩﹀序)
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漢詩
かんし
中国の古典詩︵狭義では漢代の詩︶、およびその形式によって日本でつくられた詩。中国の伝統的な韻文文学である漢詩は、リズムの諧調(かいちょう)を尊ぶ。形体や形式が進歩して唐代に完成した。すなわち詩体は古体︵古詩と楽府(がふ)︶と近体︵律詩と絶句︶に分かれ、一編の句数と一句の語数の制限、各語の平仄(ひょうそく)の整斉、句尾の押韻の法則が決められた。詳しくは﹁詩﹂の項目の﹁中国の詩﹂の章を参照。
日本では近江(おうみ)朝に始まり、大友皇子や大津皇子が現れ、宮廷における応詔侍宴の詩が中心をなす。また六朝詩(りくちょうし)の影響を受けて詠物詩が現れ、詩宴では各人に一定の韻字が与えられて作詩する方法も行われたが、﹃文選(もんぜん)﹄や﹃玉台新詠集(ぎょくだいしんえいしゅう)﹄などに詩句の手本を求めた模倣の詩が少なくない。養老(ようろう)︵717~724︶から天平(てんぴょう)︵729~749︶のころには長屋王(ながやのおおきみ)や藤原武智麻呂(むちまろ)の邸などに詩人が招かれて詩才を競ったが、藤原宇合(うまかい)、石上乙麻呂(いそのかみおとまろ)らが活躍し、六朝詩だけでなく初唐の王勃(おうぼつ)や駱賓王(らくひんのう)の詩の影響がうかがえる。上代の詩の総集である﹃懐風藻(かいふうそう)﹄をひもとくと、五言詩が圧倒的に多く平仄の整っていないものが多い。平安初期は唐風文化の全盛期で﹃凌雲集(りょううんしゅう)﹄﹃文華秀麗集(ぶんかしゅうれいしゅう)﹄﹃経国集(けいこくしゅう)﹄の勅撰(ちょくせん)詩集が編纂(へんさん)され、嵯峨(さが)天皇を筆頭に小野岑守(みねもり)、菅原清公(すがわらのきよきみ)らが輩出した。新しく舶載された中国詩集の影響で詩句も豊富になり、新傾向の詩風や詩体が受容された。詩の内容も拡大し、奈良時代の五言詩から七言詩へと移行するとともに、長編の楽府や雑言体(ざつごんたい)の詩も急激に増加し、填詞(てんし)︵詞(し)︶も生まれている。なお空海には﹃性霊集(しょうりょうしゅう)﹄のほかに六朝から初唐の詩論を集めた﹃文鏡秘府論(ぶんきょうひふろん)﹄がある。次の承和(じょうわ)期︵834~848︶に﹃白氏文集(はくしもんじゅう)﹄が渡来し、邦人の嗜好(しこう)にかなったため模倣するものが多く、詩風が完全に一変する。﹃都氏(とし)文集﹄の都良香(みやこのよしか)、﹃田氏(でんし)家集﹄の島田忠臣(しまだのただおみ)を経て、﹃菅家文草(かんけぶんそう)﹄﹃菅家後集﹄の菅原道真(みちざね)により、自己の感情を率直に表現する日本固有の漢詩が生まれたが、日本語風の語法が潜んでいる。天暦(てんりゃく)期︵947~957︶の大江朝綱(あさつな)、菅原文時(ふみとき)や、寛弘(かんこう)期︵1004~12︶の大江匡衡(まさひら)らの華麗な作風は﹃扶桑集(ふそうしゅう)﹄﹃本朝麗藻(れいそう)﹄などによって知られるが、その秀句は﹃和漢朗詠集﹄に収められて人々に朗誦(ろうしょう)された。平安時代には内宴、重陽(ちょうよう)宴の年中行事はもちろん、頻繁に宮廷や摂関家で詩会が開催されて多くの詩が詠まれたが、句題︵古詩の一句を題にするものだが五字の題︶で七言律詩の型が決められ、表現の艶麗(えんれい)に対して内容は空虚である。漢詩の衰退した平安後期には、漢詩の類聚(るいじゅう)編纂と作詩指南書の流行に意義がある。
中世には貴族の間で作詩、連句の会が催されたが、京都の五山文学が中心をなす。前期には虎関師錬(こかんしれん)、雪村友梅(せっそんゆうばい)、中巌円月(ちゅうがんえんげつ)らが登場して宋詩(そうし)が尊ばれ、義堂周信(ぎどうしゅうしん)、絶海中津(ぜっかいちゅうしん)によって最高峰に到達し、中国の詩に比肩しうる境地に至る。その後は惟肖得巌(いしょうとくがん)、江西龍派(こうせいりゅうは)や一休宗純(いっきゅうそうじゅん)らの文学僧が出たが、あまり振るわなかった。この時期には唐宋から元の詩人の集が五山版として印行されたが、一般には﹃三体詩﹄﹃聯珠詩格(れんじゅしかく)﹄﹃古文真宝﹄などの通俗書が教養として広く読まれた。
江戸時代の漢詩文は藤原惺窩(せいか)、林羅山(らざん)によって基礎が築かれたが、五山文学の伝統を受けて発展させたものにすぎず、漢詩には新鮮味がなく和臭︵日本的な特殊な傾向︶も甚だしい。詩人として名高かったのが石川丈山(じょうざん)と僧元政(げんせい)である。次の時代には俄然(がぜん)盛況を呈し、盛唐の詩を首唱した木下順庵(じゅんあん)の門下に新井白石(あらいはくせき)、祇園南海(ぎおんなんかい)らが現れ、明(みん)の李攀龍(りはんりゅう)、王世貞(おうせいてい)を崇拝し古文辞を首唱した荻生徂徠(おぎゅうそらい)の門から服部南郭(はっとりなんかく)、平野金華(きんか)らが出て﹃唐詩選﹄を流行させ、梁田蛻巌(やなだぜいがん)、鳥山芝軒(しけん)、秋山玉山(ぎょくざん)らも活躍した。古文辞派の厳格な古典主義に基づく模擬剽窃(もぎひょうせつ)を厳しく非難した山本北山(ほくざん)が性霊(せいれい)説を唱えてから、江戸後期には個性豊かな詩が喜ばれ、各地に詩社が生まれて漢詩が一般士民の間に広く浸透し、それを指導する専門詩人が輩出した。江戸では市河寛斎(かんさい)の門に出た柏木如亭(かしわぎじょてい)、大窪詩仏(おおくぼしぶつ)、菊池五山、関西では頼山陽(らいさんよう)、篠崎小竹(しのざきしょうちく)らが有名である。その高雅な詩風の菅茶山(かんさざん)と海西の詩聖と称された広瀬淡窓(たんそう)と弟の旭荘(きょくそう)は詩人としてぬきんでている。北山門下の梁川星巌(やながわせいがん)は領袖(りょうしゅう)をもって目されたが、その系統にたつ小野湖山(こざん)、大沼枕山(ちんざん)、森春濤(しゅんとう)らが明治にかけて詩壇に君臨し、それ以後しだいに衰退していった。
﹇大曽根章介﹈
﹃江村北海著﹃日本詩史﹄︵岩波文庫︶﹄▽﹃山岸徳平校注﹃日本古典文学大系89 五山文学集・江戸漢詩集﹄︵1966・岩波書店︶﹄▽﹃猪口篤志著﹃日本漢詩﹄上下︵1972・明治書院︶﹄▽﹃富士川英郎著﹃江戸後期の詩人たち﹄︵1973・筑摩書房︶﹄
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漢詩【かんし】
本来は日本人の作で,漢字を用い,中国詩の形式に従った詩をいう。漢詩という名称の使用は新しく,明治20年代ごろ新体詩と区別するために用いられた。それ以前はただ︿詩﹀といわれた。日本で漢詩が作られ始めたのは7世紀後半の近江(おうみ)朝といわれるが,伝存せず,︽懐風藻︾が現存最古の漢詩集である。平安時代には︽凌雲集︾︽文華秀麗集︾︽経国集︾が編まれ,中世には五山文学において絶頂を示し,江戸期〜明治期にも文人で漢詩をよくするものが多かった。中国詩の形式は周代の四言詩︵︽詩経︾など︶から六朝に至る,平仄(ひょうそく)の規定がない五言・七言を基本にした︿古体詩﹀と,唐代に確立された句数に制限があり平仄の規則をもった絶句・律詩などの︿今体(きんたい)詩﹀とに2分される。
→関連項目句|短歌
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漢詩
かんし
中国の言語文字を用いて創作した詩。一句が五言・七言からなるものが多く,通常,平仄(ひょうそく)や脚韻を踏む。奈良時代は宮廷を中心にした侍宴応詔の詩が多く,六朝(りくちょう)詩の影響をうけて詠物詩がうまれたが,五言詩がほとんどである。平安時代になると,唐詩の影響で七言詩へ展開するとともに題材も拡大し,﹁白氏文集(もんじゅう)﹂の渡来によってその詩風に影響された。鎌倉末期に留学僧や帰化僧らによって中国の禅林での詩文制作の風習がもたらされ,唐の李白・杜甫(とほ)や宋の蘇軾(そしょく)らが規範にされた。江戸初期は朱子学の文学観から軽視されたが,荻生徂徠(おぎゅうそらい)らの古文辞学派により盛唐詩を模する擬古主義が唱えられ,のちに自己の真情を率直に表現する自由な詩風が広がり,多数の詩人が登場して隆盛をきわめた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
世界大百科事典(旧版)内の漢詩の言及
【漢詩文】より
…聖徳太子の書いたと伝えられる〈憲法十七条〉や《三経義疏》の述作,諸家の家譜や帝紀・国史の編纂などは,推古朝における漢文の飛躍的な発達をうかがわせる。ついで天智朝では,唐の律令制を規範として諸制度の整備を行い,天皇以下唐風を奨励したため,大陸文化が重要視され,実用としてだけでなく漢詩もこのごろはじめて創作された。 奈良時代に入ると,中国文化尊重の気風はいよいよ高まり,大陸との交渉が頻繁になるなかで,その使節の送迎に際しても,公的私的な宴会などに際して侍宴応教の詩賦の制作が行われた。…
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