生物学(読み)セイブツガク(英語表記)biology

翻訳|biology

デジタル大辞泉 「生物学」の意味・読み・例文・類語

せいぶつ‐がく【生物学】

生物および生命現象を研究する学問。対象とする生物の種類によって動物学植物学微生物学などに分かれ、研究手段・目的によって分類学生態学発生学生化学遺伝学分子生物学などに分かれる。
[類語]理科物理学化学地学

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精選版 日本国語大辞典 「生物学」の意味・読み・例文・類語

せいぶつ‐がく【生物学】

  1. 〘 名詞 〙 生物または生命現象を研究する科学。対象とする生物の種類によって動物学・植物学・微生物学に分け、対象とする現象や研究方法によって分類学・形態学・解剖学・発生学・生理学・生化学・細胞学・遺伝学・生態学・生物地理学・古生物学・進化学などに分ける。
    1. [初出の実例]「タイプとアダプテーションの両説相合して生物学の進歩をなしたり」(出典:覚書(1875‐78頃)〈福沢諭吉〉)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「生物学」の意味・わかりやすい解説

生物学
せいぶつがく
biology

生物に関する科学。バイオロジーともいう。とくにすべての生物に共通した生命現象の本質の究明に主点を置いた自然科学であるが、生物の多様性に基づく各論も含んだ広範な分野をさすこともある。また、自然科学の領域のうちで、物理学、化学、地学などに対して用いる場合もある。

[江上信雄]

生物学の沿革

人類は遠い昔から生物と深い関係をもち、とくに食料、衣料、住居や道具の材料としての生物は、人間の生活と切り離せないものであった。したがって生物に関する個々の知識は遠い昔から多く集積された。しかし実用上の目的を離れ、知的興味の対象として生物に関する一般法則が整理されたのは、古代ギリシアのアリストテレスによるところが大きいので、彼を生物学の祖とよぶ人も多い。その後、中世の暗黒時代を経て、生物学は徐々に歩みを進めてはきたが、科学として新しい姿をとるようになったのは、自然科学の他の分野に比べてずっと遅れ、「生物学」という用語自体は、フランスのJ・B・ラマルク、ドイツのG・R・トレビラヌスによって1802年に同時につくりだされた。彼らは動物、植物に共通の「生命過程」の重要性を認識し、研究の方法の点でも思索の点でも新しい科学に目覚め、この用語を使った。初期には生物学を、形態の研究を中心とする「形態学」と、その機能に目を向ける「生理学」とに二大別することがしばしば行われたが、今日ではより微視的な立場からみても、両者は一体として考えられるようになりつつある。

[江上信雄]

生物学の対象

生物学をその研究対象から、動物学、植物学、微生物学などに大別し、さらにより細かい脊椎(せきつい)動物学、昆虫学、魚類学などというように細分する場合もあるが、普通はこのような各論はむしろ生物学とはよばない。一方、対象の水準から分けることもある。すなわち、地球上に生息する多数の生物の相互関係や、環境と生物との関係を明らかにし、生物群集の時間的遷移などを知り、生物を集団としてとらえる環境生物学や生態学や集団生物学や進化学と、個々の生物個体またはそのなかの器官や組織の水準の研究と、さらに細胞や細胞下の水準の研究をする細胞生物学、さらには分子の水準から生物をみる分子生物学などの立場である。これらは生物に対する見方や研究方法の点でも相違がみられる。生物学を、主として野外での観察や直観に重きを置いた自然史的分野と、実験室内での分析的分野とに分けることも実質的には行われている。

[江上信雄]

近年の動向


1950()DNAAGCT4RNA


現在の生物学

現在の生物学は、基礎科学として重要であるだけでなく、医学、農学などとの境界も便宜的にすぎず、応用範囲は広く、産業の基礎として、また環境問題、人口問題、食糧問題など、生物界構成員としての人類が直面する多くの問題解決の鍵(かぎ)を握るものとして重要である。

 なお今日、生物学を生物科学、生命科学、ライフサイエンス、バイオサイエンスなどとよぶ場合には、完全な同意語の場合もあるが、ニュアンスに若干の相違がある場合もある。とくに新しい生物学をさす場合や、生物学のうちでも人間生活との関係の大きい部分をさす場合が多い。

[江上信雄]

生物学の歴史

生物学史の三段階



 1719

 1970

 


生物学の発端

人類の、生物にかかわる知識の集積は、人類の起源とほとんど同時に開始されたとみなされる。すなわち、他生物の収集と狩猟とにその食生活を全面的に依存するほかなかった原始人類は、原生の植物・動物の種類、発育の過程、行動、分布などについての本能的関心から、しだいにそれらについての知識を蓄え伝承することを始めた。食生活のための条件の充足が、他の衣・住への要求に優先する絶対要件であったことが、原始人の知的な発達が、まず生物にかかわる経験的知識の集積から始まった原因である。

 このことは新石器時代に入って農業を開始することを可能にした前提であったが、農業の経験を積むことによって、生物についての知識はますます増大したであろうことは疑いない。

[佐藤七郎]

生命への着想

人類は旧石器時代から比較的小規模の集団生活を営んでいた。生産力の発展に伴い、集団のなかの絆(きずな)はしだいに強化され、それに伴い、寝食をともにする個人間の精神的な結び付きも深まった。ここから霊魂の感覚が生まれ、集団の結束の象徴としてのトーテム、結束を確認する手段としての儀式、呪術(じゅじゅつ)などが生み出された。それらはまた、生産力の発達と対照的に、著しい停滞を続けていた医術の欠如を補うものとして、生命についての観念を育てた。人々は自らの内的体験としての人間の生命についてのより深い理解を願望したが、不幸なことに、それはあらゆる生物のなかのもっとも高度な構造をもった存在であったがゆえに、その理解希求の深刻さに逆比例して、理解の困難さを体験させられることとなり、この理解のための努力は、原始的な宗教の形をとるほかなかった。こうして生産を通じての、生物に関する唯物的な理解と、人間理解の障壁を通じての生命の観念的な理解とが、ときには互いに争い合いながら同時進行することとなった。この状態は、青銅器時代、鉄器時代を通じる古代、中世の間も基本的に変わることがなかった。

[佐藤七郎]

近代化への脈動

中世に至って支配階級が確立されるに及んで、階層としての医学への期待はますます増大した。その期待にこたえるためには、なによりも人体の構造を知る必要があり、主として宗教的な理由の下に禁じられていた人体解剖は、厳しい制約の下に実行されるようになった。

 古代から試みられていた薬用植物の栽培と採集および薬効処理の経験は、植物に関する知識を蓄積したが、中世には貴族の趣味としての植物観察が盛んになり、実用から離れた生物知識の収集も行われるようになり、博物学を形成した。ヨーロッパ諸国のアフリカ、アジア地域支配は、珍しい植物・動物の発見、収集に拍車をかけ、博物学は動物・植物に関する知識の急速な蓄積をもたらした。これは近代的な生物学の土台の一つを築くことになった。

[佐藤七郎]

科学革命の影響

17世紀に、物理学を中心として近代的様相を伴った科学が成立すると、これは生物学にも強いインパクトを与えた。生物の現象を経験的な方法と厳密な論理によって実証的に理解しようという試みが繰り返された。そのなかで代表的なのは、イギリスのハーベーによる血液循環の実験的証明(1628)と、R・フックによる細胞の発見(1665)である。

 ハーベーは人体内の血液の流れに関して、厳密な推論と明快な実験を行った。すなわち彼は、心臓から一定時間内に動脈に流れ出す血液の量が想像以上に多いことから、血液は閉じられた空間内を循環しているに違いないと考えた。ここに定量的な論理が用いられ、これがガリレイの影響を受けた新しいスタイルの推論であることが注目される。ついで彼は、人間の腕を紐(ひも)で縛って、動脈の血流は停止しないが静脈のそれは停止するようにし、静脈内の血液量の変化をみた。結果は、心臓から、縛ったところまでの間の静脈内に血液がたまり、反対側の静脈内には血液がほとんどなくなった。この結果から、彼は、血液は心臓から出て動脈に入り、ついで動脈から静脈に入ってふたたび心臓に戻るのだという結論を得た。こうして人間の血液の循環説がみごとに証明され、確立したのであった。これは今日でも通用する業績である。

 他方、オックスフォード大学の幾何学教授であったR・フックは、コルクという物質が著しく弾性をもち、軽く、しかも安定であるという特性をもっていることに興味を抱き、その原因を探ろうとした。その際、彼は、旧来繰り返されたようなコルクの存在理由・意義などに関する思弁に深入りすることを避け、その原因をコルク自体の内部に求めた。経験が自然の謎(なぞ)を解き、真実を明らかにする最高の方法であるというのが彼の哲学であったためである。彼はコルクの薄片をつくり、自製の顕微鏡で観察した。顕微鏡という道具を用いた理由は、人間の感覚を道具によって拡張することによって、より広くより深い経験が可能になるという点にあった。そしてそこに細胞を発見した。彼は、コルクが細胞の集団である事実を明らかにすることによって、コルクという物質の特性を理解することが可能になったと確信し、自らの科学方法論の正しさが保証されたと考えた。彼はさらに、木炭および数種類の生きた植物についても、その薄片の顕微鏡観察を行い、いずれの場合にも細胞が発見されることを知った。

 以上2人のほか、この時期には、マルピーギによる毛細血管(1661)と赤血球(1668)の発見、スワンメルダムの昆虫の詳しい観察(1658)、レーウェンフックの微小生物(1675、1680)および精子(1677)の観察、R・グラーフの膵臓(すいぞう)機能の研究(1664)、ボイルの呼吸の研究(1660)、ボレリの運動の力学的研究(1680)、シデナムによる経験主義医学の研究、カメラリウスによる植物の生殖器官の研究(1694)など、おびただしい数の先駆的な研究が続出している。これらの研究の共通した特徴は、生物現象を経験的に、実証的に解明しようとする姿勢にあり、当時、物理学を中心に進行しつつあった科学革命の影響をみることができる。

[佐藤七郎]

17世紀生物学の限界

これらの事実は、あたかも生物学に新時代が到来した、いいかえれば生物学の革命が起こったかのような印象を与える。事実、17世紀において生物学も近代化されたとみる史観もある。しかしそれは表面的な見方であって、これに次ぐ時代がどのような時代であるかをみれば、それが誤りであることが明らかである。

 ハーベーのみごとな実験的証明があったにもかかわらず、この発見から生物の他のなんらかの問題を解決する新しい理論はなにひとつ導出されることがなかった。ハーベーの方法論はポンプとのアナロジーで成立しているものであって、生物現象の謎を解く普遍的な有効性はなかった。同時代に、デカルトはハーベーの実験を高く評価し、ハーベーの説を神経系に持ち込んで神経作用を説明しようとしたが、なんらの成功も得られなかった。

 フックの細胞の発見も、生体の基本構造としての細胞の位置づけ、それを基盤とした生物研究の新しい芽を展開させたという事実はなかった。生体の顕微鏡的観察はその後盛んになり、18世紀末には医学において、人体の顕微鏡的構造の知識が深まったが、重点は細胞よりも組織に置かれていた。

 実験的研究者ではないが、この時代の生物学の先進性とともに前近代性を示すものとして、いま一つの例をあげるならば、イギリスの分類学者J・レイの種についての見解がある。彼はイギリスの植物・動物の優れたモノグラフを書き、そのなかで、種について、交配によって両親によく似た子孫をつくりうる生物は、同一の種に属するものとみられるという、今日の実験分類学の基礎ともみられる種の見解を表明している。そして種の諸特徴が固定した不変のものではないことまでも認めていた。それにもかかわらず、種の数は神による創造以来、一定不変であるとする観点からは抜け出ることはできなかった。

 ここに、この時代の進歩的な生物学の限界があった。そしてこの限界は、反動的に、次の世紀、とくにその前半において顕著に現れた。

 18世紀が旅行家・採集家・分類家の偉大な世紀であったことはよく知られている。海外探検の成果が新知識として、生物に関する知見を飛躍的に豊富にした。とくに熱帯地方の生物についての知見は、生物の分布、地理、地質との関係についての考察を興味あるものにした。そうしたなかで、リンネは植物の分類の原理を示し、今日にまで及ぶ分類学の基礎を確立した(1751)。しかし彼は、種が神の創生にかかわるものであり、不変であるとの信仰を捨てようとはしなかった。全自然が創造主の英知を現すためにつくられたものであるという自然観に挑戦することはできなかった。そのゆえに、リンネの種は、基本的に「種類」以上のものに出ることはできなかった。

 これらの事実は、この時代においても生物学の近代化の革命は起こっていなかったことを証している。

[佐藤七郎]

生物学近代化の条件

1718()191970

 1838綿()1839

 1800

 191809

 C1859

 

 171861

 191836Theodor Ludwig Wilhelm Bischoff183718551857185918601865

 20


現代生物学の展開



 2017

 

 

 

 

 201970

 1936

 

 



GR197619771973

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改訂新版 世界大百科事典 「生物学」の意味・わかりやすい解説

生物学 (せいぶつがく)
biology


biology1802J.B.G.D.使K.F.Burdach1800bioslogos424

C.von1581-871543W.1628R.1665A.van17

 18C.F.L.C.A.18

1617S.18A.von1756-6619︿

19M.J.1838;T.1839C.1859W.18941877L.C.1878-79J.P.H.L.F.vonE.1894

 18P.L.M.de1819J.G.KoelreuterT.A.KnightC.F.von GärtnerC.Naudin1866調

20E.189720=1940TCAH.A.1932O.MeyerhofF.A.Lipmann1941ATPJ.B.Sumner1926J.H.Northrop1930

 ︿︿20H.J.H.H.J.J.D.F.H.C.DNA19531961M.W.NirenbergS.OchoaDNARNA1958調F.J.︿調︿1970︿DNA21980

320︿︿19A.vonecologyE.H.1886︿201916F.E.C.S.1927

 1920K.vonK.N.1973W.D.HamiltonE.O.1975

120R.A.19301980

20

 ︿︿
 

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百科事典マイペディア 「生物学」の意味・わかりやすい解説

生物学【せいぶつがく】

 
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「生物学」の意味・わかりやすい解説

生物学
せいぶつがく
biology

生物あるいは生命現象を対象とする自然科学の一分野。生物はまず物としての見方から博物学的に研究されたが,物理学,化学などの進歩に伴い,その研究方法が生命現象の研究のうえにも取入れられ,今日の生物学にと発展してきた。生物は形態,作用,それに歴史性をもっている。そのいずれに重点がおかれるかによって,いろいろの分科がある。すなわち形態学,分類学,生理学,生態学,発生学,遺伝学,古生物学,進化学などである。また生物にはいろいろの種がみられる。それに準拠すれば生物学は動物学,植物学,菌学,微生物学,さらに脊椎動物学,昆虫学,シダ学,藻類学,細菌学というような分科が立てられる。

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