ダーウィン

デジタル大辞泉 「ダーウィン」の意味・読み・例文・類語

ダーウィン(Darwin)

 
CR  
 

Charles Robert Darwin

 
1809188218315調1858AR  

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精選版 日本国語大辞典 「ダーウィン」の意味・読み・例文・類語

ダーウィン

 

(一)[  ] ( Erasmus Darwin  ) =
(二)[  ] ( Charles Robert Darwin = ) 調
(三)[  ] ( George Howard Darwin = ) =
 

ダーウィン

  1. ( Darwin ) オーストラリア北部の港湾都市。一八七二年電信基地として建設され、第二次世界大戦中に軍港として発展した。国際航空路の要地で、大陸横断道路の起点。白蝶貝採取の基地としても知られる。旧名パーマストン。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ダーウィン」の意味・わかりやすい解説

ダーウィン(Charles Robert Darwin)
だーうぃん
Charles Robert Darwin
(1809―1882)


212Robert Waring Darwin17661848()1825退調18315調CPrinciples of Geology()()1842()()

 ()

 1844稿稿1858AR1859231871The Descent of Man, and Selection in Relation to SexTHEH188241973

 2015721



ダーウィン(Erasmus Darwin)
だーうぃん
Erasmus Darwin
(1731―1802)


CF1755()1766Zoonomia217941796CThe Botanic Garden1789殿Temple of Nature1803



ダーウィン(George Howard Darwin)
だーうぃん
Sir George Howard Darwin
(1845―1912)


()186818831892189919051912調1898



ダーウィン(オーストラリア)
だーうぃん
Darwin


10941920011129.3724.9182751018391869Palmerston1911187219421974

 

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百科事典マイペディア 「ダーウィン」の意味・わかりやすい解説

ダーウィン

 
5184518581859
 
 

 
1869C.19742004125852011  
 

 
C.17941796  

ダーウィン

英国の数理天文学者。C.ダーウィンの次男。1883年ケンブリッジ大学教授。潮汐(ちょうせき),地球の弾性,三体問題等理論的研究が多く,月が地球から分離したという月の起源論を展開。

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改訂新版 世界大百科事典 「ダーウィン」の意味・わかりやすい解説

ダーウィン
Charles Robert Darwin
生没年:1809-82


E.Robert Darwin1766-1848退A.von1831-36C.18391842調

 1858A.R.J.D.HookerA.1858

 185918681001975

 1854T.H.1863E.186818711872187519721977197819816



ダーウィン
Darwin

オーストラリア,ノーザン・テリトリーの主都。人口11万1179(2005)。平均気温は最暖月(11月)29.6℃,最寒月(7月)25.1℃,年降水量は1536mmで,5~10月が乾季となる熱帯サバンナ気候である。同国北部の交通・通信の拠点で,港湾および国際空港がある。1839年,ビーグル号のストークスが来航し,科学者ダーウィンにちなみ命名した。69年に入植されパーマストンPalmerstonと名付けられたが,1911年に公式にダーウィンと改称された。1872年にアデレードとの間に陸上電信線を敷設。第2次世界大戦中は連合軍の拠点となり,日本軍の空襲を受けた(1942)。1974年,サイクロンの被害を受けた。
執筆者:


ダーウィン
George Howard Darwin
生没年:1845-1912

イギリスの天文学者。進化論で著名なC.ダーウィンの次男である。ケンブリッジ大学で天文学を専攻し,1868年に同学を卒業後,特別研究員を経て83年同学の天文学および実験物理学の教授となった。潮汐論,天体形状論,三体問題の周期解の研究などで多くの業績がある。とくに月が地球から分離したという月の起源論は歴史的に著名である。92年に王立天文学会の金牌を受賞し,99年には同会会長となった。主著に《潮汐》(1897)があり,また《科学論文集》全4巻(1907-11)が刊行されている。
執筆者:


ダーウィン
Erasmus Darwin
生没年:1731-1802


C.178991179496殿1803G.L.L.de

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ダーウィン」の意味・わかりやすい解説

ダーウィン
Darwin, Charles Robert

 
[]1809.2.12. 
[]1882.4.19. 
 E. (1825) 2退 (28)  J. 18315西沿37 (56) R. (58) C. (58) 59 T. () T.71 (80) 20  
 


Darwin Erasmus

 
[]1731.12.12. 
[]1802.4.18. 
 C. F. (175054)  (5456)  The Botanic Garden (92)  Zoonomia or the Laws of Organic Life (9496)  J.C.  
 


Darwin Sir George Howard

 
[]1845.7.9. 
[]1912.12.7. 
 C. (1883)  P.- ()  (99)  (1905) 1905  

ダーウィン
Darwin

オーストラリア,ノーザンテリトリーの行政中心地。アーネムランド北西端に位置し,ティモール海にのぞむ港湾都市で,パースからの沿岸航路の終点。 1911年まではパーマストンと呼ばれていたが,その後 C.ダーウィン (1838来航) にちなんで改名。シドニー,シンガポールを結ぶ国際空港もある。南東 500kmにあるラリマーまで鉄道が延び,南南東 1535kmのアリススプリングズと国道で結ばれる。ノーザンテリトリーの玄関として農牧産品,鉱産物が集散される。 74年 12月のサイクロンで大きな被害にあい,建物の大半が破壊され,人口が一時減少したが,復興した。人口6万 9809 (1991推計) 。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ダーウィン」の解説

ダーウィン
Charles Robert Darwin

1809~82

イギリスの生物学者。1831~36年測量艦「ビーグル号」に乗り込み,南半球の博物学的探検に従事。その間に生物の進化に想到した。そののち進化論を理論化し,59年有名な『種の起源』を刊行した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ダーウィン」の解説

ダーウィン
Charles Robert Darwin

1809〜82
イギリスの博物学者
1831年からビーグル号で南方諸地域をめぐり,動植物・鉱物の標本を採集。これをもとに自然淘汰・適者生存の進化論をたて,1859年『種の起源』として発表。この学説は自然科学・人文科学の両面にわたって大きな影響を与えた。

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367日誕生日大事典 「ダーウィン」の解説

ダーウィン

生年月日:1848年8月16日
イギリスの植物学者
1925年没

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世界大百科事典(旧版)内のダーウィンの言及

【ノーザン・テリトリー】より


1/4

【遺伝学】より


mutagenDNA
population genetics
 C.(1859)

【獲得形質】より


1819J.B.de(使使退)19C.E.H.

【ガラパゴス[諸島]】より

…1832年よりエクアドル領。1835年,C.ダーウィンがビーグル号でこの島を訪れ観察を行った。その成果は《ビーグル号航海記》や《種の起原》にとり入れられたため,この島は一躍有名となった。…

【屈性】より

…屈曲運動は刺激源に面する側とその反対側での生長の差によっておこり,刺激の種類に応じて屈光性phototropism,屈地性geotropism,屈熱性thermotropismなどに分けられる。屈光性の存在は,すでに1880年にC.ダーウィンがイネの子葉鞘(しようしよう)での観察にもとづいて指摘している。ウェントF.W.Wentは,アベナの子葉鞘の先端部で形成されたオーキシンが基部へ輸送される途中で片面を照射すると,光側のオーキシンの流れが影側へとそらされ,その結果として影側でのオーキシン濃度が増加し光側で減少することを明らかにした(1928)。…

【毛】より

… ヒトが無毛に近いことの理由づけは多彩である。C.ダーウィンはヒトがもと熱帯にいたから炎熱にさらされて毛を失ったとする説を紹介し,これでは頭髪を説明できないし,毛のないのはヒトに直接の利益とならないから自然淘汰ではないとする。彼は女性が男性より毛が少ないことから,体毛のないのは二次性徴の一つであり,まず女が体毛を失って後に男にも伝えられたと考えた。…

【形態学】より


19E.G.L.C.F.D.19C.E.H.

【古生物学】より


C.(1859)

【痕跡器官】より

…フランスのラマルクは《動物哲学》(1809)の中で,進化の要因としていわゆる用不用の説を述べ,ある器官が頻用されるのも廃用されるのも環境の影響によるとした。またC.ダーウィンは《種の起原》(1859)の中で独自の自然淘汰説を痕跡器官の起源に対して適用した。彼は哺乳類の雄のもつ乳頭,ある昆虫の雌で退化している羽など,雌雄間での器官の分化を含めて多くの痕跡器官の例をあげている。…

【サンゴ礁(珊瑚礁)】より


[礁形成についての諸説]
 サンゴ礁にはなぜこのような六つの主タイプができ,かつその分布に規則性があるのであろうか。かつてC.ダーウィンは1842年にサンゴ礁に裾礁,堡礁,環礁と三つの基本型を指摘し,陸地の沈降,すなわち海洋底の沈降にともない,裾礁から堡礁,さらに環礁へと順次移化していったとする沈降説subsidence theoryを唱えた。続いてJ.D.デーナは53年にサンゴ礁背後の島の海岸線の屈曲と溺れ谷の存在は沈降説の地形的証拠であるとした。…

【自然淘汰】より


C.A.R.1858 

【種の起原】より

C.ダーウィンによる進化論の古典的著作(1859)。正しくは《自然淘汰の方途による種の起原On the Origin of Species by Means of Natural Selection》と呼ばれるように,その内容は進化の要因が主に自然による淘汰にあるとする。…

【進化論】より


C.3

【精神分析】より

…〈エネルギー保存の法則〉を定式化したH.L.F.vonヘルムホルツの影響は,フロイトの徹底した決定論とエネルギー経済論に反映しているし,階層的・局所論的な心的構造論は,彼自身がかつてJ.H.ジャクソンの思想的影響を受けた神経学者であったことと関係していよう。さらにその人格発達論と退行理論にはC.ダーウィンの進化論の裏打ちがある。またJ.F.ヘルバルトの自然科学的・機械論的見地に立つ心理学とフロイト心理学の類似性もしばしば説かれている。…

【生態学】より

…それはE.H.ヘッケルが1866年に造ったÖkologieであった。彼はC.ダーウィンの影響の下に動物学の体系化を企てたが,その中において,従来の生理学や形態学その他の分野のほかに,〈動物の無機環境に対する関係および他の生物に対する関係,とくに同所に住む動物や植物に対する友好的または敵対的な関係〉を研究する分野を認める必要があることを述べ,その分野にÖkologieと命名した。このことばを英語化したものがecologyである。…

【生態的地位】より


C.(1859)︿the place in the economy of nature使(economy)C.S.(1927)

【動物行動学】より

…エソロジーということばは,I.ジョフロア・サンティレールが1859年に〈本能,習性など生物の表す行動と環境の関係を研究する学問〉として提唱したのに始まる(ただしこのことば自体は,それ以前にJ.S.ミルが〈人生学〉という意味合いで使っていた)。以後,さまざまな曲折を経るが,現在では〈ダーウィン以後の近代生物学のあらゆる手法を用いて動物の行動を研究する学問〉(K.ローレンツ)というのが,最も広く受け入れられている定義である。具体的には(1)行動の観察および記載,(2)その行動のメカニズム,(3)その行動の生物学的意味すなわち機能,(4)その行動の個体発生,(5)その行動の系統発生すなわち進化,以上五つのレベルに関する研究がある。…

【突然変異】より




 C.(1859)

【農学】より


J.von Sachs(183297)C.(180982)G.J.(182284)︿

 K.A.(18431920)

【博物学】より


1819C.()19

【ひげ(髭∥鬚∥髯)】より


C.西

【フエゴ[島]】より


19

【蔓脚類】より

… 蔓脚亜綱にはもう一つ無脚目Apodaというのがあった。進化論で有名なC.ダーウィンは蔓脚類の研究も熱心に行った。大英博物館にはそれらの標本が今もたいせつに保存されている。…

【痛み】より


1794E.19

【ウパス】より


18E.(178991)N.P.

【進化論】より


C.3

【不老不死】より

…まずビュフォンは《博物誌》の中で,ファウスト伝説のような不死者が医学的に存在しえないことを指摘し,科学的長寿法をもとめることが新しい科学の課題の一つであると主張した。イギリスではE.ダーウィンが《ゾーノミア》を書き,老化現象を肉体の反応機能の鈍化とみなして,興奮や緊張など過度な肉体反応を控える生活を長寿の秘訣とした。また20世紀に入ると,E.メチニコフが食菌作用の面から老衰の解明を行い,ヨーグルトを飲用するブルガリアの長寿村と乳酸菌の因果関係を指摘した。…

【ルナ・ソサエティ】より

…十数人から成る地域的団体であったにもかかわらず,医学,化学,博物学の一流学者と実業家が参集し,ここから新興都市の産業革命熱を背景に蒸気機関や紡績機械,陸運・水運の改良,工業用苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)や陶器の新製法,教育方法の改革など,応用科学を中心に多くの業績が生まれた。その発端は1765年に締め金具の製造者ボールトンMatthew Boultonと医師E.ダーウィン(C.ダーウィンの祖父),教育者スモールWilliam Smallがアメリカ人フランクリンとともに催した月例談話会にある。これに陶器業者ウェッジウッド,蒸気機関の開発者ワット,化学工業の開拓者キアJames Keir,馬車の緩衝装置を発明したエッジワースRichard Edgeworth,それに気体化学の先駆者J.プリーストリーが加わり,相互啓発によって多数の新くふうや理論を生みだした。…

※「ダーウィン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」