白旗城(読み)しろはたじょう

日本の城がわかる事典 「白旗城」の解説

しろはたじょう【白旗城】

 
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改訂新版 世界大百科事典 「白旗城」の意味・わかりやすい解説

白旗城 (しらはたじょう)


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百科事典マイペディア 「白旗城」の意味・わかりやすい解説

白旗城【しらはたじょう】

 
()440m  

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「白旗城」の意味・わかりやすい解説

白旗城
しらはたじょう

南北朝期~室町期の城。兵庫県上郡(かみごおり)町赤松(あかまつ)にあり、播磨守護(はりましゅご)赤松氏の居城であった。標高440メートルの白旗山山頂にあったことからこの名がある。築城年代については1333年(元弘3・正慶2)説と1336年(延元1・建武3)説とに分かれているが、赤松則村(のりむら)(法号円心(えんしん))が足利尊氏(あしかがたかうじ)に呼応してこの城に新田義貞(にったよしさだ)を迎え討ったことで広く知られる。則村ははじめ護良親王の令旨(りょうじ)を受けて後醍醐(ごだいご)天皇方として活躍し、建武(けんむ)政権成立に功があったが、やがて恩賞に不満をもち尊氏に応じた。城は、則村の孫満祐(みつすけ)の代のときに起きた嘉吉(かきつ)の乱(1441)により山名(やまな)・細川(ほそかわ)の大軍に攻められ、以後廃城となった。

[小和田哲男]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「白旗城」の意味・わかりやすい解説

白旗城
しらはたじょう

 
13 (1336) 2西51 (1441)   

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