石井柏亭(読み)イシイハクテイ

デジタル大辞泉 「石井柏亭」の意味・読み・例文・類語

いしい‐はくてい〔いしゐ‐〕【石井柏亭】

 
18821958()()  

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精選版 日本国語大辞典 「石井柏亭」の意味・読み・例文・類語

いしい‐はくてい【石井柏亭】

 

(一)
 

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百科事典マイペディア 「石井柏亭」の意味・わかりやすい解説

石井柏亭【いしいはくてい】

 
1910退宿
 

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改訂新版 世界大百科事典 「石井柏亭」の意味・わかりやすい解説

石井柏亭 (いしいはくてい)
生没年:1882-1958(明治15-昭和33)


190104西退0710-121321西35退宿

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「石井柏亭」の意味・わかりやすい解説

石井柏亭
いしいはくてい

 
[]1882.3.28. 
[]1958.12.29. 
 1904西退0710137235退2調20 (1912)  (1016)  (23)   

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「石井柏亭」の意味・わかりやすい解説

石井柏亭
いしいはくてい
(1882―1958)

洋画家。本名満吉。東京生まれ。幼少から父鼎湖(ていこ)に日本画を習う。浅井忠(ちゅう)について油絵を始める一方、无声(むせい)会の新日本画運動に加わり会員となる。1904年(明治37)東京美術学校洋画科に入学、太平洋画会展に印象派風の『草上の小憩』を出品し、翌年中退。07年『方寸』誌を同志と創刊し、近代版画運動の先駆となり、さらに「パンの会」を創始する。明治末にヨーロッパ各国を巡遊。14年(大正3)二科会の創立に参加。35年(昭和10)帝国美術院会員となり、二科を離れて同志と一水会を創立した。生涯を通じて、日本の風土に即した、平明堅実な自然主義的リアリズムの道を歩み、水彩画の発達にも貢献した。教育、著述の分野の功績も大きい。彫刻家石井鶴三は弟。

[小倉忠夫]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石井柏亭」の解説

石井柏亭 いしい-はくてい

1882-1958 明治-昭和時代の洋画家。
明治15年3月28日生まれ。石井鼎湖(ていこ)の長男。父に日本画を,浅井忠に洋画をまなぶ。明治34年无声(むせい)会に参加。40年山本鼎(かなえ)らと美術誌「方寸」を創刊し,翌年「パンの会」を結成。渡欧後の大正3年二科会を,昭和11年一水会を創立した。昭和10年帝国美術院会員。昭和33年12月29日死去。76歳。東京出身。東京美術学校(現東京芸大)中退。本名は満吉。代表作に「パリの宿にて」。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「石井柏亭」の解説

石井柏亭
いしいはくてい

1882.3.28~1958.12.29

明治~昭和期の洋画家。父は日本画家石井鼎湖(ていこ)。鶴三は弟。本名満吉。東京都出身。東京美術学校中退。浅井忠・中村不折(ふせつ)に学び,日本画の无声(むせい)会にも参加した。1907年(明治40)雑誌「方寸」を創刊,08年パンの会に加わる。13年(大正2)日本水彩画会の創立,14年二科会の創立,15年「中央美術」創刊にかかわる。35年(昭和10)帝国美術院会員となり,36年一水会を創立した。

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旺文社日本史事典 三訂版 「石井柏亭」の解説

石井柏亭
いしいはくてい

1882〜1958
明治末期〜昭和期の洋画家
東京の生まれ。浅井忠・中村不折らに洋画を学び,太平洋画会にも所属。1914年文展に反対して有島生馬らと二科会を創立,のち一水会の結成に加わった。代表作に『姉妹』など。

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