竹越与三郎(読み)タケコシヨサブロウ

デジタル大辞泉 「竹越与三郎」の意味・読み・例文・類語

たけこし‐よさぶろう〔‐ヨサブラウ〕【竹越与三郎】

 
18651950()()  

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精選版 日本国語大辞典 「竹越与三郎」の意味・読み・例文・類語

たけこし‐よさぶろう【竹越与三郎】

 

(一)西
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「竹越与三郎」の意味・わかりやすい解説

竹越与三郎
たけごしよさぶろう
(1865―1950)


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改訂新版 世界大百科事典 「竹越与三郎」の意味・わかりやすい解説

竹越与三郎 (たけごしよさぶろう)
生没年:1865-1950(慶応1-昭和25)

明治時代から昭和前期に活躍した政治家,歴史家。号は三叉(さんさ)。武蔵国本庄に生まれ,のち竹越家を継ぐ。慶応義塾を卒業後,《時事新報》《国民新聞》などの記者となり,陸奥宗光,西園寺公望らの知遇をえ,《世界之日本》の主筆となる。この間に《新日本史》(1891,92),《二千五百年史》(1896)を刊行して民間史学を代表する歴史家として名声を博した。1902年から代議士に5回当選し,政友会に所属した。22年宮内省の臨時帝室編修局御用掛となり,翌年には貴族院の勅選議員に選任され,さらに40年枢密顧問官となった。この間に著した大著《日本経済史》(1919)は日本の経済史を詳述したものとして注目され,また西園寺についての伝記的著作《陶庵公》(1930)も,政治家西園寺の人間的側面を活写した好著である。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「竹越与三郎」の意味・わかりやすい解説

竹越与三郎【たけごしよさぶろう】

 
西190219231940
 

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「竹越与三郎」の解説

竹越与三郎 たけこし-よさぶろう

1865-1950 明治-昭和時代前期の日本史家,政治家。
慶応元年10月5日生まれ。「時事新報」「国民新聞」などの記者をへて明治29年雑誌「世界之日本」を創刊。35年衆議院議員(当選5回,政友会),のち貴族院議員,枢密顧問官となった。昭和25年1月12日死去。84歳。武蔵(むさし)本庄(埼玉県)出身。旧姓は清野。号は三叉。著作に「新日本史」「二千五百年史」「日本経済史」など。
【格言など】歴史とは則ち理想の老朽せるものなり(「個人乎(か),国家乎」)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「竹越与三郎」の解説

竹越与三郎
たけこしよさぶろう

1865.10.4~1950.1.12

明治~昭和期の新聞記者・政治家。号は三叉(さんさ)。武蔵国本庄の清野家に生まれ,親戚の竹越家を継ぐ。同人社・慶応義塾で学んだのち,洗礼をうけて群馬県前橋で廃娼運動に参加。1890年(明治23)「国民新聞」に入社。またイギリス的自由主義の影響をうけた歴史書「新日本史」を発表。95年国民新聞社を退社,翌年刊行した「二千五百年史」はベストセラーとなった。1902年政友会から代議士に当選。のちに貴族院議員・枢密顧問官。

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旺文社日本史事典 三訂版 「竹越与三郎」の解説

竹越与三郎
たけごしよさぶろう

1865〜1950
明治〜昭和期の政治家・歴史家
武蔵(埼玉県)の生まれ。大阪に出て新聞記者となり,三叉 (さんさ) と号した。1902年以来衆議院議員当選5回,'22年貴族院議員,'40年枢密顧問官となる。また歴史家として『新日本史』上巻(1891)・中巻('92),『二千五百年史』('96)を著した。民間史学者の一人で,成長期ブルジョアジーの啓蒙史学の立場を代表。1915年以後は日本経済史編纂会をおこし,『日本経済史』8巻(のち12巻)を公刊した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「竹越与三郎」の意味・わかりやすい解説

竹越与三郎
たけごしよさぶろう

 
[]1(1865).10.14. 
[]1950.1.12. 
西19025 19231940  

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世界大百科事典(旧版)内の竹越与三郎の言及

【クロムウェル】より

…広範な社会活動を展開した小説家木下尚江の出発点には,松本中学の歴史の教室でのクロムウェルとの出会いがあったし,また教育勅語の発布を契機に起こった〈内村鑑三不敬事件〉(1891)の背後には,カーライルの書物を愛読した内村のクロムウェルへの傾倒があり,その後も内村はしばしばクロムウェルの生涯を論じている。なお日本で最初に彼の伝記を執筆したのは,竹越与三郎であって,その《格朗穵(クロムウェル)》は,1890年民友社から刊行された。ピューリタン革命【今井 宏】。…

【明治維新】より

…民権運動が目標とした国会開設の原点は五ヵ条の誓文に代表される〈維新の精神〉に求められ,明治藩閥政府はそれを忘却したと攻撃されたのである。これは明治20年代前半の民友社の平民主義の主張にもうけつがれ,徳富蘇峰,人見一太郎,竹越与三郎(三叉(さんさ))らの主張に代表された。彼らは〈維新の精神〉こそが原点であって,今の政府は〈維新大革命の血脈に背くもの〉で,決して正統なあとつぎではない,と批判した。…

【リソルジメント】より

…その後日本では,イタリア建国の三傑としてガリバルディ,カブール,マッツィーニに焦点を当てたリソルジメントのイメージが作られるようになる。この場合も論者により三人への比重の置き方は違っており,竹越与三郎《新日本史》(1891‐92)は〈以太利は欧州の日本也〉と述べて,自由主義政治家としてのカブールに高い評価を与えた。また徳富蘇峰《吉田松陰》(1893)は,松陰の精神と横井小楠の理想を兼ね備えた人物としてマッツィーニを紹介し,三宅雪嶺は明治30年代初めの論文でガリバルディを西郷隆盛と比較しながらその人物像を詳細に描いた。…

※「竹越与三郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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