デジタル大辞泉 「能登島」の意味・読み・例文・類語 のと‐じま【能登島】 石川県能登半島東部にある島。七尾湾中央にあり、周囲72キロメートル、面積47平方キロメートル。最高峰は四(よむ)村(らづ)塚(か)山︵標高197メートル︶。海岸段丘が発達し、農漁業が中心。能登牛・マツタケの産地として知られる。能登半島国定公園に属する。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
日本歴史地名大系 「能登島」の解説 能登島のとじま 石川県:鹿島郡能登島町能登島 能登島町全域にあたる。南北朝期には東西に分れており、東方は野(のざ)崎(き)・半(はん)浦(のうら)を含む島の東岸から南岸周辺に、西方は島の北岸から西岸周辺に比定される。天平二〇年︵七四八︶の春、越中守大伴家持は出挙のために能登半島の諸郡を巡行した。現七尾市辺りに存在した香(かし)島(ま)津から船で熊(くま)来(き)村︵現中島町︶に向かう途中、﹁鳥総立て船木伐るといふ能登の島山今日見れば木立繁しも幾代神びそ﹂と詠じている︵﹁万葉集﹂巻一七︶。この歌は﹁名所歌枕﹂﹁五代集歌枕﹂にも収められる。 承久三年︵一二二一︶九月六日の能登国田数注文に能登島庄とみえ、公田数は同元年の検注で一九町三段三︵もと四三町一︶に定められた。康永二年︵一三四三︶六月二一日、伊勢外宮の造営に先立ち能登島御厨東方のうち野崎村から用途料の日食米が納められた。賦課の対象地は同村内の地頭自称分二町三段一で、反別七升八合の割合で米一八石余を負担していた︵﹁野崎村造外宮料日食米請取状写﹂天野文書︶。能登島が伊勢神宮に供祭物等を貢進する御厨︵神領︶となった時期は定かでないが、建久三年︵一一九二︶八月の伊勢大神宮神領注文︵神宮雑書︶にみられず、それ以降である。貞治三年︵一三六四︶の内宮式年遷宮の費用徴収に備えて作成されたという﹁神鳳鈔﹂には、能登島御厨は内外両宮に貢納する神領で、田積は七〇町とある。中世後期の外宮神領目録︵神宮文庫文書︶に上分米二五石、外宮神領給人引付︵同文書︶には一五石の負担分が載る。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「能登島」の意味・わかりやすい解説 能登島のとじま 石川県の能登半島東岸,七尾湾に浮かぶ能登島1島からなる地区。旧町名。 1955年東島村,中乃島村,西島村の3村が合体し町制。 2004年10月,旧七尾市,田鶴浜町,中島町と合併し,新市七尾市を設立。地区のほとんどが山林で占められ,集落は海岸部にある。耕地面積は少ないが,米作を中心にムギ,イモ類,タバコなどを栽培。養豚,養鶏など畜産業が行なわれる。山地ではマツ,スギなどの用材を産出する。七尾湾ではハマチ,カキなどの養殖が行なわれている。南部にある須曽蝦夷穴古墳は国の史跡に指定。 1982年,南西部に能登島大橋が完成し,七尾地区と連絡。北西部には 1999年,ツインブリッジのとが完成し,中島地区と連絡する。北岸の向田地区で毎年7月31日に行なわれる能登の火祭は有名。海岸はほぼ全域が能登半島国定公園に指定されている。 能登島 のとじま 石川県能登半島東岸の七尾湾にある島。東西 14km,南北 7km,周囲 72km。全島が七尾市に属する。七尾湾はこの島により北湾,西湾,南湾に分かれる。溺れ谷の地形で海岸線は複雑。海岸段丘が発達している。丘陵性の島で,西部に山地があり,最高点は四村塚山の 197m。加賀藩の流刑地となったことがある。南西部に能登島大橋,北西部にツインブリッジのとがかかり,能登半島とつながる。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報