地頭(読み)ジトウ

デジタル大辞泉 「地頭」の意味・読み・例文・類語

じ‐とう〔ヂ‐〕【地頭】

 
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2 1185
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精選版 日本国語大辞典 「地頭」の意味・読み・例文・類語

じ‐とうヂ‥【地頭】

 

(一)  
(二) 
(一)[]使(1118)
(三) ()
(一)[](911)
(四) 
(一)[](1185)
(五) 
(一)[](1598)
(六) ()()
(一)[]()(1665)


(  ) ()

じ‐がしらヂ‥【地頭】

  1. 〘 名詞 〙 能楽、謡曲の演奏で地謡方(じうたいかた)の統率者をいう。二列に並ぶうち後列の中央に位置する。
    1. [初出の実例]「たかひ事・地頭ねめるやり子」(出典:雑俳・田みの笠(1700))

じ‐あたまヂ‥【地頭】

  1. 〘 名詞 〙 かつらなどをかぶらないそのままの毛髪の頭。
    1. [初出の実例]「『文治が演劇(しばゐ)をするてエが地天窓(ヂアタマ)か知ら』『イエ髢(桂)』」(出典:落語・恵方詣(1890)〈三代目三遊亭円遊〉)

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百科事典マイペディア 「地頭」の意味・わかりやすい解説

地頭【じとう】

 
()1185()()()()()()()()()()()()()()()()使
鹿使使  

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改訂新版 世界大百科事典 「地頭」の意味・わかりやすい解説

地頭 (じとう)




︿127︿

11851︿使使退1184寿33

1231230003︿西

123123




地頭 (じがしら)


1142調

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「地頭」の意味・わかりやすい解説

地頭
じとう

日本中世の在地領主の一類型、または荘園(しょうえん)・公領(こうりょう)ごとに置かれた鎌倉幕府の末端の所職(しょしき)をいう。

[義江彰夫]

地頭の源流


()

 12()12()


鎌倉幕府の地頭制度

鎌倉幕府の地頭制度は、平家の制度を前提とし、このような在地領主一般の地頭化の動きを踏まえて地頭を国家的制度に転化させる必要が生じてきたという状況下で成立した。すなわち、源頼朝(よりとも)は、まず1180年(治承4)の挙兵直後から武門の家人(けにん)への恩給として郡郷司(ぐんごうじ)、下司(げし)、公文(くもん)などのなかから地頭職を重視し、これを荘園・国衙(こくが)とは別個の次元から安堵(あんど)・補任(ぶにん)し、権益の保証と検察・収取の義務を与えた。これを基礎として平家滅亡後の1185年(文治1)11月源義経(よしつね)追討のために上洛(じょうらく)させた北条時政(ときまさ)を代理人として後白河(ごしらかわ)院と交渉させ、いわゆる文治(ぶんじ)勅許の一環として総追捕使(そうついぶし)(守護)、兵粮米(ひょうろうまい)などとあわせて地頭を朝廷公認の制度として幕府が組織することを認めさせた。

 この文治地頭勅許の内容については、明治以来長い論争の歴史があり、設置範囲を全国とみるか西国のみとみるか、設置された所領を平家没官領(もっかんりょう)のみとみるかより広く荘公一般とみるか、恒久的制度とみるか義経追捕までの制度とみるか、勅許された地頭のタイプを荘郷地頭とみるか国地頭(くにじとう)とみるか、権限内容を所領支配全般とみるか検察・収取など限定的にとらえるか、などの諸点について諸説が対立し、解決をみていない。しかし、これらの論争を経て、現在少なくとも、文治勅許によって地頭が国家的制度となり、幕府が国ごとに統轄する者を通して、前述の検察・収取の職権をもつ地頭を組織する体制をつくりだしたことは、疑いない事実として認められるようになった。設置範囲、所領類型、制度の恒久性などについては、13世紀初頭までの鎌倉幕府の歴史のなかでいずれも全国荘公一般を対象とする恒久的制度に発展したことを考えれば、そこへ至る段階の問題として処理できる。

 幕府草創期に前記のような形で登場した地頭制度は、13世紀初頭までの曲折を伴う漸次的拡大を踏まえて、1221年(承久3)の承久(じょうきゅう)の乱の幕府方の勝利によって飛躍的に設置範囲を広げる。すなわち上皇方の膨大な没官領に一律に地頭が設置され、これらは新補(しんぽ)地頭とよばれ、否定された上皇方の武士の所職の権益を受け継ぐか、それがなくとも最低限11町ごとに1町の給田(きゅうでん)、反別(たんべつ)5升の加徴米、山野河海所出物(さんやかがいしょしゅつぶつ)の国司領家(こくしりょうけ)との折半、犯罪人跡所領3分の1の収得など制限付きながら権益が保証された。この新補地頭に対する規準設定にうかがえるように、幕府は地頭の存在や機能を積極的に肯定・拡大しようとした反面、一貫して一定の枠内に封じ込め無制限な成長を抑止しようとした。それは、鎌倉幕府が朝廷や荘園領主勢力と妥協した武家公権であり、かつ地頭の無制限な成長が幕府の存立を揺るがすと判断された結果と解されている。

[義江彰夫]

地頭の発展

しかし地頭は前記の枠内に収まる存在ではなく、幕府の抑制を踏み越えて鎌倉時代を通して一貫して所管荘公所領の全一的支配を志向し、地頭請(うけ)、下地中分(したじちゅうぶん)などを通して、全一的所領支配の制度的な足掛りをつくりだすようになった。こうして地頭は南北朝時代にはますます幕府の地方職員としての枠を超える者になっていったので、室町幕府は地頭を地方幕府行政の末端の役人として組織しないようになった。その意味で南北朝から室町初期に至る時代は幕府制度としての地頭の消滅期といってよいが、平安末期の発生以来の実態上の武力領主としての性格は、この間むしろ発展したとみるべきである。戦国・江戸時代においても、伝統的な開発領主の系譜を引き、検察力を背景として在地を領域的に支配しつつ大名の給人や軍役衆に連なる領主は、各地で地頭とよばれ続けた。

 地頭の中世社会のなかにおける位置については、荘園・公領や幕府の職の枠内の未成熟で制約された存在にすぎないという見方と、実態面を重視して中世領主の典型とする見解とがあるが、それらは制度と実態のいずれの側からみるかによって生ずるずれで、実際には両面をもっていたものとみるべきであろう。

[義江彰夫]

『三浦周行著『続法制史の研究』(1924・岩波書店)』『牧健二著『日本封建制度成立史』(1935・弘文堂)』『中田薫著『法制史論集 第2巻』(1938・岩波書店)』『石母田正著『鎌倉幕府一国地頭職の成立』(石母田正・佐藤進一編『中世の法と国家』所収・1960・東京大学出版会)』『上横手雅敬著『日本中世政治史研究』(1970・塙書房)』『大山喬平著『日本の歴史9 鎌倉幕府』(1974・小学館)』『義江彰夫著『鎌倉幕府地頭職成立史の研究』(1978・東京大学出版会)』『安田元久著『地頭及び地頭領主制の研究』(1985・山川出版社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「地頭」の意味・わかりやすい解説

地頭
じとう

 
101 (1185) 11(1) (2) 西37西946(3) 西36(4) 7 (1221)  ()   

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「地頭」の解説

地頭
じとう


1185()()1221(3)3000

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旺文社日本史事典 三訂版 「地頭」の解説

地頭
じとう

中世,荘園・国衙 (こくが) 領における荘官・下司 (げし) などの権限や得分を継承した一種の管理者
平氏がその家人を地頭に補任したことがあるが,公的なものとして制度化されたのは,鎌倉時代,1185年全国的に地頭設置の勅許を源頼朝が得たことによる。頼朝は地頭職補任の形で御家人の所領を安堵・給与することにより全国的な支配を実現した。地頭には御家人本来の所領を安堵された本補地頭と,恩賞として新たに与えられた新恩地頭がある。承久の乱(1221)後,全国的に設置された新補率法地頭(新補地頭)も新恩地頭の一種。権限は警察権・徴税権・下地管理権が考えられるが,一定しない。13世紀ころより地頭請・下地中分 (したじちゆうぶん) などにより,しだいに荘園を侵略し在地領主化していった。南北朝の動乱期に守護の大名化が進展すると,地頭の多くは有力守護の被官となった。

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とっさの日本語便利帳 「地頭」の解説

地頭

 
 

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防府市歴史用語集 「地頭」の解説

地頭

 平安時代末から鎌倉時代末に荘園[しょうえん]や国司[こくし]の土地を支配するために置かれた職です。税の取り立てや治安維持などが主な仕事でした。

出典 ほうふWeb歴史館防府市歴史用語集について 情報

世界大百科事典(旧版)内の地頭の言及

【能】より

…地謡は前述のようにシテ方が担当するが,アイの部分の地謡は狂言方から出る。どちらもその統率者を地頭(じがしら)と称する。
【流派】
 各役籍の技法はいくつかの流れとなって伝承され,江戸時代になると,役籍別の流派制度として固定した。…

【加徴米】より


88(2)551198(9)53551192(3)3

【給人】より


殿使殿

【国地頭】より

…鎌倉幕府のはじめ,1185年(文治1)11月,源頼朝の代官北条時政の奏請によって,五畿山陰山陽南海西海の諸国を対象に,国ごとにおかれた地頭。このとき謀反人となって逃亡した源義経・同行家を追捕(ついぶ)するために,これらの国に地頭をおき,(1)荘園・公領をとわず,反別5升の兵粮米を徴収すること,(2)一国の田地を知行すること,(3)国衙の在庁や荘・公の下職(現地の役人)・惣押領使などからなる地頭の輩を幕府の支配下にくみこむことなどが予定されていた。…

【国衆】より

…一般的には南北朝・室町期の在地領主を指し,国人(こくじん)とも呼ばれた。鎌倉時代の在地領主の典型は地頭であるが,その地頭は幕府から地頭職という形で所領の充行(あておこない),安堵(あんど)を受け,血縁的結合を原理とする惣領制によってその所領を支配していた。所領規模は郡郷単位の大規模なものから,一村単位のものまで大小さまざまであったし,地域的にもまとまりを持っているとは限らず,数ヵ国以上にわたることもあった。…

【検断(撿断)】より

…日本の中世では司法警察・刑事裁判の行為・権限・職務を総称する。1177年(治承1)新興寺の寺領四至内に国衙検断使の不入が認められ,86年(文治2)の太政官符に諸国地頭が不法に検断を行うことを禁ずるなどとある例が,文書資料上の早い用例と思われる。もと朝廷―国衙の法体系で生まれた概念であろう。…

【職】より

…下司職のような下位の職に補任された者は,上位者に対して,その職務を忠実に履行する義務は負うが,それは封建的従者となったことを意味せず,したがって上位者に対し軍役奉仕義務を賦課されることはなく,またその上位者とは別人と封建的主従関係を結ぶこともありえた。ただ鎌倉幕府の成立とともに新たに源頼朝の申請により設置が勅許され,頼朝が全国にわたるそれの補任権を一括して獲得した地頭職は,頼朝がその家人に対し,主従制を前提として宛て行うものであって,これは封建的知行の対象であった。その意味で,荘園公領制的職の秩序は,地頭職の設置によって大きく性格を変えたのである。…

【地主】より


 1184(1)5()︿︿()

【新補地頭】より

…鎌倉時代,新たに補任した地頭の意。初めは本領安堵の地頭に対して新恩の地頭を意味した。…

【知行】より


()()()︿

【中世社会】より


使 

※「地頭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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