日本大百科全書(ニッポニカ) 「藤原教長」の意味・わかりやすい解説
藤原教長
ふじわらののりなが
(1109―?)
平安末期の歌人、能書家。父は正二位大納言藤原忠教(ただのり)、母は源俊明(としあきら)の女(むすめ)。正三位参議に至る。崇徳(すとく)院近臣歌人として﹃久安(きゅうあん)百首﹄などに加わったが、保元(ほうげん)の乱後常陸(ひたち)国︵茨城県︶に流され、出家して観蓮(かんれん)と号した。1162年︵応保2︶赦(ゆる)されて帰京、のち高野に隠棲(いんせい)したが、和歌活動は続け、77年︵治承1︶守覚法親王(しゅかくほっしんのう)に﹃古今集﹄を講述、﹃古今集註(ちゅう)﹄を著した。翌年3月15日﹁別雷(わけいかずち)社歌合﹂への出詠を最後として80年︵治承4︶までに没。歌風は素直だが味わいが深い。家集に﹃貧道(ひんどう)集﹄、撰集(せんしゅう)に﹃拾遺(しゅうい)古今﹄︵散逸︶があるほか、能書家として今城切(いまきぎれ)﹃古今集﹄、二荒山(ふたらさん)本﹃後撰(ごせん)集﹄など真跡を存し、また、入木道(じゅぼくどう)の書﹃才葉(さいよう)抄﹄がある。
﹇川上新一郎﹈
岩たたく谷の水のみおとづれて夏にしられぬみやまべの里
﹃小松茂美著﹃後撰和歌集 校本と研究﹄︵1961・誠美書房︶﹄