辻村伊助(読み)ツジムライスケ

デジタル大辞泉 「辻村伊助」の意味・読み・例文・類語

つじむら‐いすけ【辻村伊助】

 
18871923441911  

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20世紀日本人名事典 「辻村伊助」の解説

辻村 伊助
ツジムラ イスケ

 

,, 





19(1886)422



12(1923)91











42444310122稿


 

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朝日日本歴史人物事典 「辻村伊助」の解説

辻村伊助

 
12.9.1(1923)
19.4.22(1886)
,39(1906),2(1913),,3,,,10,12,,33,,(1922),,,<参考文献>  
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「辻村伊助」の意味・わかりやすい解説

辻村伊助
つじむらいすけ
(1887―1923)

登山家。神奈川県生まれ。第一高等学校から東京帝国大学農芸化学科卒業。明治中後期の日本山岳界のパイオニアの1人で、植物を研究し、北アルプスや木曽(きそ)山脈を中心に多くの足跡を残した。1911年(明治44)積雪期の上高地(かみこうち)に登山者として初めて入った。13年(大正2)ヨーロッパに渡り、翌年ユングフラウに登り、近藤茂吉(もきち)とグロースシュレックホルンに登り、下山中に雪崩(なだれ)にあった。そのころのことを記した『スイス日記』や『続スイス日記』『ハイランド』は山岳名著として名高い。

[徳久球雄]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「辻村伊助」の解説

辻村伊助 つじむら-いすけ

1886-1923 明治-大正時代の登山家。
明治19年4月22日生まれ。44年ガイド上条嘉門次(かみじょう-かもんじ)と冬季の上高地に登山家としてはじめて入山。大正2年渡欧,翌年ユングフラウ,グロース-シュレックホルンに登頂。のち箱根湯本に高山植物園をひらく。大正12年9月1日関東大震災で妻子とともに死去。38歳。没後「スウイス日記」「ハイランド」が刊行された。神奈川県出身。東京帝大卒。
【格言など】遺骨又は灰を成るべく保存せざること(遺言)

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367日誕生日大事典 「辻村伊助」の解説

辻村 伊助 (つじむら いすけ)

生年月日:1886年4月22日
明治時代;大正時代の登山家;園芸家
1923年没

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