スイス(読み)すいす(英語表記)Schweiz

日本大百科全書(ニッポニカ) 「スイス」の意味・わかりやすい解説

スイス
すいす
Schweiz


Schweizerische EidgenossenschaftConféderation SuisseConfederazione SvizzeraSwiss ConfederationSchwyzSchweizSuisseSvizzeraSwissSwitzerland412857415100200480353912011632

 23326


自然

地形

()68189.34.4()U()()

 193西4634


気候

4441()()maquis3500

 西西湿西西1000520


地誌

スイスの地誌的区分は、自然的境界に従ってミッテルラント、ジュラ、アルプスの、大きく三つに分けることができる。

[前島郁雄]

ミッテルラント

西

 4()姿


ジュラ

アルプスに比べると高度が低いジュラ山脈地域は農牧・林業が卓越するが、早くから時計工業が発達し、ラ・ショー・ド・フォン、ル・ロクル、フリュリエ、サン・ティミエなど時計の町がこの山中にある。

[前島郁雄]

アルプス

()


歴史

12世紀まで

紀元前のスイス地域にはケルト系のヘルベティア人が居住していたが、前58年カエサルの征服を受けて、以後ローマ帝国の版図に組み入れられた。各地にローマ植民都市が建設され、前15年には東部山地にいたラエティア人も征服されて全土がローマに属した。紀元後3世紀中ごろからゲルマン系民族の侵入を受けはじめ、5世紀には西部地域にブルグント人、北東地域にアラマン人、南部地域にはランゴバルド人が定住、現在のスイスの言語分布がこのころに決定された。1032年に神聖ローマ皇帝コンラート2世がブルグント王を兼ねると、全スイス地域は神聖ローマ帝国の支配下に入った。その後、多数の聖俗諸侯が割拠し、そのなかからハプスブルク家が東スイスを拠点に台頭してきた。ハプスブルク家は家領拡大政策をとり、1200年ごろ開削されたサン・ゴタルド峠に至る重要交易路を支配下に置こうとした。一方、ホーエンシュタウフェン朝の各神聖ローマ皇帝もイタリア経営のためにこの峠に注目していた。

[森田安一]

原初三州

経済的、政治的に重要だった峠への北の登り口に位置した地域がウリだった。皇帝フリードリヒ2世のドイツにおける代理者ドイツ王ハインリヒは1231年この地に自由と自治(帝国自由)の特許状を付与し、帝国直轄地とした。ついで、隣接のシュウィーツも1240年に同様の特許状を得て、中間権力たるハプスブルクからの自由を獲得した。ところが、大空位時代を経て1273年にハプスブルク家のルードルフが皇帝に選出されると、危機が訪れた。この地の保護者と敵対者が同一人物になっただけでなく、ハプスブルク家が強大になったからである。ルードルフの死後ただちに、1291年8月1日、ウリ、シュウィーツはニートワルデンの人々と永久同盟を結び(当初オプワルデンは名を連ねておらず、少しあとに加わり、ニートワルデンとあわせてウンターワルデンとよばれる)、外敵に対し相互の無償援助を誓約しあった(原初三州の同盟)。この日は現在のスイス連邦の建国記念日となっている。ハプスブルク家は1315年に原初三州を武力で制圧しようと試みたが、モルガルテンの戦いに敗れた。この戦いを勝利に導いたシュウィーツは、その後スイス誓約同盟全体をさす名称となった。モルガルテンの勝利後、永久同盟はブルンネンにおいて更新、強化され、スイス誓約同盟の基礎となった。

[森田安一]

八州同盟

13321351135213531386138814151436()14607


十三州同盟

14761481151501151317981615151


宗教改革の時代

ツウィングリがチューリヒで行った宗教改革は、1528年にベルンでも受け入れられると急速にスイス全域に伝播(でんぱ)し、旧教を固持する諸州に脅威を与えた。とくに「共同支配地」に新旧どちらの宗派を受け入れさせるかをめぐっては厳しい対立を生んだ。二度にわたったカッペルの戦いで、ツウィングリは戦死し(1531)、旧教側がいちおうの勝利を得たが、宗派対立はその後、緩い連合体にすぎない誓約同盟の分裂を招きかねない要因となった。1536年以降ジュネーブではカルバンによる宗教改革が実施され、1566年ツウィングリ派との間に「第二スイス信条」を成立させた。この改革派教会は、西洋世界一般の精神的、文化的発展だけではなく、社会経済的、政治的発展にも寄与した。

 ところで、このスイス内の新旧宗派の分裂・対立はスイス中立政策を生み出す主要因となった。国際的宗教戦争の三十年戦争(1618~1648)が隣国ドイツを戦場として戦われたが、スイス内の新旧宗派を支持することになれば、ふたたび誓約同盟の分解を招くおそれがあったからである。「不偏不党」の立場を表明し、両宗派からの助力要請を断り、国境保全のために1640年に国境防衛軍を創設した。1647年にはスイス各州は「防衛軍事協定」を結んで初めての全スイス国防規定を定めた。これが事実上のスイス武装中立の出発点となった。ついで1674年に、スイス誓約同盟会議によって外交基本政策として武装中立が明確に宣言された。フランス王ルイ14世が引き起こしたオランダ戦争(1672~1679)の最中のことである。なお、これより以前の1648年に、三十年戦争を終結させたウェストファリア条約でスイスは神聖ローマ帝国からの完全な独立を法的に認められている。

[森田安一]

ナポレオン体制から永世中立へ

フランス革命時のスイス国制の基本は十三州同盟であるが、多数の「従属州」「共同支配地」、各州独自の臣従支配地を抱えていた。このようなスイスに、革命の「自由と平等」の理念は多大な影響を与え、スイス革命を起こした。革命は1798年ナポレオンの軍事力を背景に成功し、フランスの「1795年憲法」に基づいて「ヘルベティア共和国」が樹立された。この中央集権的国家は、500年来のスイスの歴史的な地域主義の伝統にあわず、ただちに混乱の極に達した。ナポレオンは「スイスは自然によって連邦制国家に運命づけられている」として、この混乱を調停した。「従属州」「共同支配地」からザンクト・ガレン、グラウビュンデン、アールガウ、トゥールガウ、ティチーノ、ボーの6州を自立させ、19州からなるスイス連邦を成立させて、ナポレオン体制の衛星国家とした。しかし、ナポレオンの敗退はこの調停条約下の連邦制を崩壊させ、スイスも復古時代を迎える。ただし、単純に昔のスイス体制に戻ったわけではない。ナポレオン時代にフランスの直接支配下に置かれていたジュネーブ、バレー、ヌーシャテルのフランス語圏の3州が正式に加入し、22州のスイス連邦となった。保守反動のメッテルニヒ体制下で、スイスの永世中立が国際法的にヨーロッパ列強によって承認された。

[森田安一]

分離同盟戦争

1830年フランスに七月革命が起こると、スイスにも影響を与え、都市州を中心に自由主義に基づく新生運動が起こった。しかし、しだいに急進主義が台頭し、保守主義と厳しく対立していった。アールガウの修道院解散問題、ルツェルンのイエズス会への教育権付与問題から対立は激化し、保守主義の立場にたつルツェルン、シュウィーツなどの7州は分離同盟を結んだ。ヨーロッパ保守体制維持に努力していた諸国に援助されて内乱を起こしたが、分離同盟側の敗北に終わった(分離同盟戦争)。この結果、1848年に憲法が新しく制定され、従来の小国家的連合体制から、22州からなる連邦制が敷かれた。ついで、ドイツとイタリアが統一国家を形成したことに影響され、中央集権を強化する動きが生まれた。1874年に憲法が改正されて、現在のスイス国家制度の基礎が確立された。

[森田安一]

第一次・第二次世界大戦下のスイス

1001938退()()20


第二次世界大戦後のスイス

19811986375.730.2411990KFOR20023231255()9PKO19942001651

 EUECEU12EFTA()貿7貿EEA19925調12EEA2001EU20056200819851995EU

 19711981198519952004321.520052005326.5197923


政治

連邦主権と州主権

23canton使

 2使20010調24719594222171

 


直接民主制

2109058

 2Landsgemeinde19961997


永世中立

18151996調

 1.5


経済・産業


()


農業・牧畜

西退

 75

 Maiensäß1100019312000


工業

325Swatch95

 2000

 55.3402004


スイス経済の特徴と観光業

スイスの国内総生産3595億ドル(2004)は日本の1割に満たないが、1人当りの国民総所得は4万8230ドル(2004)で、日本、アメリカ、デンマーク、ドイツを上回る世界最高の経済水準を示している。高度の科学技術、熟練労働力、付加価値率の高い機械・時計・化学工業への集中などをその要因としてあげうるが、永世中立政策によって戦争の被害を被らなかったことが、経済発展を促した点も見逃すことができない。にもかかわらず、スイスの貿易収支は構造的に赤字傾向であり、これを観光収入と資本収益により埋め合わせて、国際収支を支えている。

 インターラーケン、ツェルマット、サン・モリッツ(ザンクト・モリッツ)、ルツェルン、ダボス、ロカルノその他多くの地がスイスの風光美を代表し、観光客を集める。世界遺産として、「ベルン旧市街」「ザンクト・ガレンの修道院」「ミュスタイルのベネディクト会聖ヨハネ修道院」「ベリンツォーナ旧市街にある三つの城、要塞および城壁」「スイス・アルプス ユングフラウ‐アレッチ」「サン・ジョルジオ山」などが登録されている。博物館・美術館の数は900を超え、スイス国立博物館、ベルン美術館、パウルクレー・センター、セガンティーニ美術館、ティンゲリー美術館、世界最大規模の時計博物館、ヨーロッパ最大規模の交通博物館、オリンピック博物館など多様である。氷河特急やベルニーナ特急などの山岳鉄道が風光明媚(めいび)な観光地を巡る一方、フランスのTGV(テージェーベー)、ドイツのICE(イーツェーエー)、イタリアのCISALPINO(チザルピーノ)などの国際列車も乗り入れ、道路、水運を含む公共交通が発達。チューリヒ、ジュネーブ、バーゼル、ベルン、ルガノの各地に国際空港がある。雪を頂く岩峰の前に憩い、経験豊かな案内者に導かれて、あるいは登山列車に乗って高所を回るなど、この国ならではの観光は「目に見えぬ輸出」とよばれるが、観光収入は現在以上に多くを期待できない。しかし、資本収益の増加、特許料、銀行・保険など国際金融業務による収益の増加などが、この国の経常収支の均衡を保つのに重要な役割を果たしている。なお、スイスの銀行業務を特徴づける制度として匿名口座の存在が知られていたが、犯罪資金のマネー・ロンダリング(貨幣洗浄)防止の目的で、1991年に匿名制度は廃止された。

 2008年に発生した世界的金融危機はスイス経済にも重大な影響を及ぼし、金融の中心となるUBSに公的資金による資本注入が行われた。

[前島郁雄]

社会・文化

人口・外国人労働者

1960198019900.8200020023634000691962400017398000113970001120043.823.672.6199025019601970197310548571619731974退1980701995951997942004152466320.691480051200436

 100200350


教育制度

調42006586936326414601559183318341889189018981909199616200010ETHZ1854EPFL18537152004200520080046


言語

63.720.46.40.59.02000西

 


宗教

宗教の分布は言語のそれとは一致しない。スイス人の41.8%がカトリック、35.3%がプロテスタントに、1.8%が東方正教会に属する。また、4.3%のイスラム教徒がいる(2000)。過去の宗教戦争にかんがみ、1848年以来、連邦憲法は信教の自由を保障している。プロテスタントとカトリックの地域は互いに入り組んでおり、アルプス地方ではカトリックが、ミッテルラントではプロテスタントが優勢を示す。スイス全体としてみればそれぞれの宗派に属する住民の割合の変化はほとんど問題にならない。ただ外国からの移住者を考慮に入れれば、カトリック信者が増加しているといえよう。

[前島郁雄]

日本との関係

日本・スイス関係史

使()158215904()1574Rennward Cysat1545161415861719200

 16191863Die Schweiz in Japan1864118585使1859186011864()使Aimé Humbert181919001870Le Japon illustré

 ()1867318611()()使()186718736()()1879使使19165使

 1880()()11()1887西()()18651949西1904194722


現在の関係

200242貿3.93820002.1196500貿185500貿200315040

 ()19551985



7 1977O18 19791980︿19811985使便 1985L1987貿貿211 1988199119922006A3 19921994199819992001 200320042005U1997200020002001調NHK12  20012002200320032003JTBW200420044 2004 20052005P2005寿2005200520062006BP2006BPCE. Egli ed.Switzerland, A Survey of its Land and People (1978, Paul Haupt, Bern)Der Grosse Schweizer Atlas (1981, Kümmerly +Frey, Bern)
 

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4158m 20012007  ©Shogakukan">


 

西2129m ©Shogakukan">


 

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改訂新版 世界大百科事典 「スイス」の意味・わかりやすい解説

スイス
Suisse[フランス]
Schweiz[ドイツ]
Svizzera[イタリア]



 Schweizerische EidgenossenschaftConfédération SuisseConfederazione Svizzera 
41285km2 
2010783 
Bern8 
 
Swiss Franc

西

41288km2220km西350km4000m西3501000m63168%18%西4.4%9.3%西

199512706235419.3%1361km2176.65西Alemannen使1990調73.4%20.1%4.1%0.7%1.3%KantonGemeinde使︿

161990調47.3%43.3%6.7%1.6%1.1%

8112913︿︿

125888-1032888-951︿1032

121200沿使1231︿1291︿︿

 1315使西Morgarten退︿Eidgenossenschaft133213511352135213538︿

 1386西88Näfels退1415

15161474-77︿1499Dornach150113Appenzell13︿131798

1484-153115282929312Kappel31︿22Villmergen1712西1815︿1647︿1648741718

1798︿調13AargauThurgauTicinoVaudGraubünden19調使退Valais31815Sonderbund18471848221874

11938退2︿︿Henri Guisan1874-1960︿20使Jura︿︿197923

3︿使︿2326200411734340001214647719592221

 90510

 198194103451987湿9010

 1971818554.7%197111954321.5%9546817.4%20%

181520021960貿EFTA1973EC貿貿貿ECEU︿12︿EU

13300182

6.5%199494%58%46%81%97%42%4%1995

 貿199528.5%25.0%19.2%8.8%21.7%13.7%11.2%9.4%9.3%39%199561993貿貿貿394248貿4.0%貿63.2%91995貿

18442km4723km98SBB5000km2000km1971︿20001830km941533km198016.3km19676.6km40使

 19

1946481911

 調6936124434131411200391460183418331889187318901909185519691995/968824341.8%19.9%



18A.von17291931854G.19C.F.18711887J.1880-81J.1919571972M.1956F.21779-96Horace Bénédict de Saussure1740-99J.J.H.F.20C.F.


12

 Notker Balbuls840-912EinsiedelnEngelberg16J.J.Gaspard Fritz1716-83Xaver Schnyder von Wartensee1786-18681920Othmar Schoeck1886-1957F.Paul Sacher1906-99H.E.E.J.P.A.


31648

 67Riva San Vitale50012Zillis12131320Manessische Liederhandschrift

 K.16N.U.Hans Leu1490-153118F.D.Matthäus Merian1593-1650Jean-Étienne Liotard1702-89Anton Graff1736-1813

 1819Caspar Wolf1735-98Alexandre Calame1810-64A.F.C.F.É.T.A.20P.A.201916Sophie Taeuber-Arp1889-1943J.︿Max Bill1908-94J.Zoltán Kemeny1907-65Carl Burckhardt1878-19231926-28Karl Moser1860-1936


Fastnacht︿4Schwingen1040kgHornuss
 20HackbrettSchwyzerörgeli


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百科事典マイペディア 「スイス」の意味・わかりやすい解説

スイス

 
Schweizerische EidgenossenschaftConfederazione SvizzeraSwiss Confederation1285km28142013Bern1320114743641980.6Swiss Franc2015117187451971197919811999464200420143GDP48852008GDP723020063.92002寿79.784.42008200899        Schweiz 西4634m5001000m 2220052000918EFTA貿EFTAEUEEA19922002355190︿ 261874200239197110 133138816481815
19281948  

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「スイス」の意味・わかりやすい解説

スイス
Switzerland

 
  Confédération SuisseSchweizerische EidgenossenschaftConfederazione Svizzera
 41290km2
 86980002021
 

26西4141131291316481874 16063%18%9%使30.8%西 41.8% 33.0% 0.2%20001815 2002  

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旺文社世界史事典 三訂版 「スイス」の解説

スイス
Switzerland

ヨーロッパ中部のアルプス山中にある連邦共和国。首都ベルン
鉄器時代からケルト人が居住し,カエサルに征服されてローマ領となった。4世紀ごろからキリスト教が広まり,中世にはハプスブルク家の支配下にあった。13世紀末から独立運動を起こし,1315年原初3州の特権が承認され,53年には西方の大都市ベルンも加盟してスイス自由連合は8州となり,1499年ハプスブルク家皇帝軍を破って神聖ローマ帝国からの分離が確定した。1648年ウェストファリア条約でスイス連邦として承認されたが,各州の対立が続いて国家的統一を欠き,フランス革命後の1798年にナポレオン1世の征服を許した。この経験で統一の必要性を痛感し,1815年のウィーン会議で22州からなる永世中立の独立国として列国の承認を得た。1848年に内紛が解決して連邦国家が成立。国際連盟・国際赤十字社などの本部が置かれ,しばしば国際会議の開催地となった。第二次世界大戦後も武装中立の姿勢を貫き,国際連合にも加盟していないが,多くの国際機関の所在地となっている。遅れていた女性参政権は,1959年にカントン(州)レベルで,71年に連邦レベルで承認された。1979年にはジュラ州が23番目のカントンとして自立。1996年にはレートロマンス語を第4の公用語として承認。いっぽう,対外面では1992年に国際通貨基金(IMF)と国際復興開発銀行(IBRD)への加入を国民投票で採択したが,ヨーロッパ連合(EU)やヨーロッパ経済地域(EEA)への加盟は拒否したままである。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「スイス」の解説

スイス
Schweiz[ドイツ],Suisse[フランス],Svizzera[イタリア],Switzerland[英]


22()12913()1316453149916481815

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世界大百科事典(旧版)内のスイスの言及

【シュウィーツ】より

…スイス連邦を構成するカントン(州)およびその州都名。市の人口は1万3000(1992)。…

※「スイス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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