デジタル大辞泉
「邯鄲」の意味・読み・例文・類語
かん‐たん︻×邯×鄲︼
直(ちょ)翅(くし)目カンタン科の昆虫。体長約1.5センチ。体はスズムシに似て細長く、淡黄緑色。山地の草の間に多く、8~11月ごろに成虫になり、雄はルルルルルと連続した音で鳴く。︽季 秋︾﹁―に鳴きつつまれて老躯濡る/風生﹂
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かんたん【邯鄲】
(一)[1]
(一)[ 一 ] 中国、河北省南部の都市。戦国時代、趙の都としてもっとも栄えた。華北平原と山西の丘陵地帯を結ぶ交通の要地。ハンタン。→邯鄲の夢・邯鄲の枕。
(二)[ 二 ] 謡曲。四番目物。各流。作者不詳。古名﹁邯鄲枕﹂﹁盧生(ろせい)﹂。唐の沈既済の﹁枕中記﹂に見える﹁邯鄲の枕﹂の故事に取材したもの。
(三)[ 三 ] 常磐津、長唄の曲名。
(二)[2] 〘 名詞 〙
(一)① ( ﹁邯鄲﹂はあて字で、その声からいうか ) バッタ︵直翅︶目カンタン科の昆虫。体長一三ミリメートル内外。体は扁平で細長く、淡い黄緑色であるが死後は黄褐色に変わる。頭は小さく前胸部は台形。前ばねは透明で、うしろばねは細長く、たたむと尾状になる。触角は糸状で体長の二倍くらいある。夏から秋に、大豆などのマメ科植物上にみられ、リューリューと続けてなく。鳴虫として珍重される。日本各地、中国、朝鮮などに分布。︽ 季語・秋 ︾
(一)[初出の実例]﹁邯鄲(カンタン)、鉦叩など、間々数寄者の間に飼養せらる﹂(出典‥東京風俗志︵1899‐1902︶︿平出鏗二郎﹀下)
(二)② ﹁かんたん︵邯鄲︶の枕﹂の故事のこと。また、その故事から、枕して眠ること。睡眠。
(一)[初出の実例]﹁邯鄲遊仙のたのしびもかくこそとおぼえし也﹂(出典‥藤河の記︵1473頃︶)
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邯鄲 (かんたん)
Hán dān
中国,河北省南部の省専区轄市。人口133万︵2000︶。太行山脈の東麓と華北平原の間にあり,河北と中原,華北平原と山西高原とを結ぶ交通の要地に位置する。春秋時代から衛の邑︵都市︶としてあらわれ,戦国の初めに趙の都がおかれると︵前386︶,その地の利から物資の交易地となり,全国の商人が集まる屈指の大都会として大いに繁栄した。趙が秦に滅ぼされて邯鄲郡となり︵前228︶,漢代では一族が封建されて趙王国がおかれたが,邯鄲の繁栄も秦・漢時代までであった。その後は政治的中心でなくなったためにしだいに衰え,邯鄲県として三国時代は魏郡あるいは広平郡に,唐以後は磁州に,明・清では広平府にそれぞれ属し,もっぱら一地方の農産物の集散地として近年にいたった。しかし解放以後になると,紡績や鉄鋼をはじめとする各種工場が建設され,人口も増加して市となり,新しい工業都市としてめざましい発展をとげつつある。なお京広鉄道︵北京~広州︶に沿う現在の市街は五代︵10世紀︶に建設されたものである。
執筆者‥永田 英正
遺跡
邯鄲市近傍には,趙が残した趙王城,大北城︵王郎城︶,百家村古墓群などの戦国遺跡と,漢代の遺跡が存在する。邯鄲市の南西3kmに残る戦国時代の故城址は趙王城と呼ばれている。この城址は正方形の主城とそれに接する東城からなり,主城は北壁1475m,東壁1475m,西壁1456m,南壁1387mが計測され,東城は南壁875m,北壁残長600m,東壁残長475mが計測されている。主城中央南寄りには竜台と呼ばれる台が残り,竜台北側にある台榭建築の基壇は,1940年に東亜考古学会による発掘調査が行われている。竜台北側基壇および趙王城内からは,三獣文円瓦当,無文円瓦当,筒瓦,板瓦,塼,土器,刀銭,銅鏃などの遺物が出土している。大北城︵王郎城︶の城壁遺構は,現在の邯鄲市の外周を取り囲んで存在すると推定される。大北城は北西角がくぼむ不規則な長方形を呈し,南北長約4800m,東西幅約3000mが想定されている。城内からは,戦国・漢代の製鉄遺址,陶窯址,石器製作工房,骨器製作工房などの遺構が発見されている。趙王城と大北城の関係については,大北城を戦国・漢代邯鄲城の主要部とし,趙王城を趙邯鄲城の宮殿区域とする考えがある。邯鄲市の西方5kmの百家村では,戦国墓49基,漢代墓10基の調査が行われている。いずれも長方形竪穴土壙墓で,戦国墓の多くは棺槨を有し,多数の副葬陶器を出土している。
執筆者‥飯島 武次
邯鄲 (かんたん)
能の曲名。四番目物。作者不明。シテは盧生︵ろせい︶。蜀の国の盧生という若者が人生に疑問を持ち,仏道の師を求めて羊飛山へ赴く途中,邯鄲の里で雨宿りをする。宿の女あるじ︵アイ︶が,不思議な枕を見せて勧めるので昼寝の床につくと,楚国の帝の使︵ワキ︶が来て盧生を起こし,譲位の勅を伝える。都へ導かれて即位した盧生は,満ち足りた栄華を味わう︵︿上歌︵あげうた︶・下歌︵さげうた︶﹀︶。即位50年の酒宴では舞童︵子方︶の舞を見︵︿夢ノ舞﹀︶,自分も立って舞い興じるが︵︿楽︵がく︶﹀︶,それはすべて夢の中の出来事で,宿の寝台に寝ていたのだった︵︿ノリ地﹀︶。起こされてみると,それはアワの飯がたける間のわずかの時間だったと知り,初めは茫然としていた盧生は,やがて人生のなんたるかを悟り,心安らかに故郷に帰る。現実・夢・現実という構成が巧みで,寝台であった作り物の屋台が,いつしか宮殿の玉座に変わるなど,能舞台の特色をよく生かしている。楽には,屋台の上下を使い分けるなど特殊な工夫がある。この作品の典拠は中国唐代の︽枕中記︾。
執筆者‥横道 万里雄
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邯鄲
かんたん
能の曲名。四番目物。作者未詳であるが,典拠は唐代の小説﹃枕中記﹄。蜀の国の青年盧生 (シテ) は,仏道の師を求めて楚国の羊飛山へ行く途中,邯鄲の里に泊る。宿の女主人 (アイ) の貸してくれた枕で眠りにつくと,勅使 (ワキ) が迎えに来て,盧生は王位につく。即位して50年,廷臣 (ワキツレ) のすすめる仙境の酒を飲み,舞童 (子方) とともに舞 (楽) を舞うなど栄華をきわめるが,それはすべて粟の飯が炊ける間の夢であった。人生は夢の世であると悟った盧生は,心安らかに故郷へ帰る。煩悶,歓楽,悟達と3段階の変化の妙に富んだ名作。この能に基づく同名の地歌,箏曲,長唄,河東節・一中節の掛合浄瑠璃,常磐津および三島由紀夫﹃近代能楽集﹄中の戯曲がある。
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邯鄲【かんたん】
中国,河北省南部の都市。太行山脈東麓と華北平野との間にあって,山西および湖南省への門戸をなす。京広鉄路に沿い,地方物産の集散地。近年は紡績,製鉄などの工場も建設された。市の周辺には戦国,漢などの遺跡も多く,南西には峰峰炭鉱がある。道士呂翁から枕を借りて,自分の一生を夢みた盧生の︿邯鄲の夢﹀の故事は有名。161万人︵2014︶。
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普及版 字通
「邯鄲」の読み・字形・画数・意味
【邯鄲】かんたん
趙の都。舞容のさかんな所であった。︹荘子、秋水︺且つ子(し)獨り夫(か)の壽陵︵呉の都︶の餘子の、行を邯鄲に學ぶを聞かざるか。未だ國能︵趙の歩行技︶を得ざるに、
其の故行を失へり。
字通﹁邯﹂の項目を見る。
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邯鄲
〔常磐津, 長唄, 河東〕
かんたん
歌舞伎・浄瑠璃の外題。- 作者
- 桜田治助(3代) ほか
- 演者
- 岸沢式左(5代)
- 初演
- 弘化3.7(江戸・市村座)
邯鄲
かんたん
歌舞伎・浄瑠璃の外題。- 初演
- 正徳5.7(大坂・沢村長十郎座)
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邯鄲
かんたん
Hándān
戦国時代に趙 (ちよう) の首都となった。山東と山西,北京と中原 (ちゆうげん) を結ぶ交通の要地で,商業が発達した。故事に﹁邯鄲の夢﹂がある。
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邯鄲 (カンタン)
学名:Oecanthus longicauda
動物。コオロギ科の昆虫
出典 日外アソシエーツ「動植物名よみかた辞典 普及版」動植物名よみかた辞典 普及版について 情報
世界大百科事典(旧版)内の邯鄲の言及
【御所桜堀川夜討】より
…正本包紙には︿ごしょさくら﹀とある。︽平家物語︾︽義経記︾などの土佐坊のことを中心に,伊勢三郎,弁慶,静などの伝説を加え,また謡曲︽[邯鄲]︵かんたん︶︾をもじったり(五段目の景事︽花扇邯鄲枕︾)して脚色したもの。歌舞伎では,55年(宝暦5)6月京の沢村国太郎座が初演か。…
※「邯鄲」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」