出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
皇帝や国王など大きな権力をもつ支配者の住居。一般には私的な生活区と政務などのための公的部分からなり、周辺に多くの建物や施設をもつ複合建造物の形をとる。性格上、大規模かつ壮麗なものが多く、その時代・地域の文化・芸術の集約的存在としても大きな意味をもつ。中国の宮殿については「中国建築」の項を参照。
[友部 直]
ギリシア・ローマ世界は厳密な意味での宮殿建築をもたず、わずかにこれに類するものとして大規模な別荘建築があった。ネロ帝の「黄金宮殿」、ディオクレティアヌス帝のスパラト(スプリト)の館などがその例である。キリスト教世界に入ると、教会堂や修道院と一体となった宮殿が建てられた。神聖ローマ帝国の主都アーヘンに建てられたカール大帝の宮殿、ゴスラーのハインリヒ3世の宮殿などは好例である。ローマ教皇の権力が強まると、教皇館は大規模になり、宮殿としての性格をもつようになった。バチカン宮、アビニョン宮がその例である。封建君主の居館も、その権力を増すにつれて、宮殿の性格を強めていった。この傾向はやがてルネサンスを迎えて、イタリアのパラッツォ建築となって開花する。中世末期からルネサンスにかけて、大君主が出現するに及び、宮殿はいっそうその規模を拡大し、国家を代表する象徴的建造物となった。一方、かつてもっていた城砦的な性格あるいは宗教的な性格は希薄になった。イギリスのハンプトン・コート、フランスのルーブル宮、フォンテンブロー宮などがもっとも代表的である。この宮殿建築の傾向は18世紀末まで続き、君主制の衰退とともにその幕を閉じる。近世の宮殿建築の集大成ともいうべきものにルイ14世の建てたベルサイユ宮殿があり、各国の宮殿建築の規範となった。
[友部 直]
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…厨子の形式はいろいろであるが,一般的には正面に両開きの扉を設け,屋根と台座のある独立した施設である。しかし,奈良時代には仏堂を小さくしたような形の厨子を宮殿(くうでん)と呼び,仏画を掛け置く台を仏台,経巻書籍などを納入しておく箱形のものを厨子と呼んでいた。のち厨子はさまざまな形に発展し,その形式から宮殿形厨子,春日形厨子,禅宗様(唐様)厨子,折衷様厨子,箱形厨子,木瓜(もつこう)形厨子,携行用厨子,棚厨子に分類されている。…
…ブルゴーニュ公は,ディジョンとネーデルラントのヘント(ガン)に宮廷を構えたが,その宮廷生活の栄耀は,ホイジンガの《中世の秋》(1919)にみごとに描き出されている。イタリアの都市国家においても,それぞれの君侯は豪壮な宮殿を構え,廷臣を集め芸術家を抱えて栄華を競った。フィレンツェのメディチ家,ミラノのスフォルツァ家はその典型である。…
…それは日本,朝鮮半島を包摂する東アジア文化圏の中心に位置すると同時に,特定の時期には中央アジアおよびインドとの交流をも消化しており,世界建築史上に特異な地位を占める。歴史的にみて,中国建築史の主流をなすのは,主として漢民族の王朝によって支配された都城,宮殿,壇廟,陵墓,長城など,官営建築の巨大な規模の工事の間断ない繰り返しであって,しかもそれら大群の建築が,中国封建社会に特有の官僚制度によって制御されたことが,時代を貫く不断で不変的な各種の原則を生みだす基本的要因となったと考えられる。 中国の建築は,通常,単体としてではなく,群体としての効用を意図して営まれるのが特徴である。…
…宮殿,館邸,庁舎を意味する語。英語のパレスpalaceに対応。…
…古くは天皇の出遊のために宮都以外に設けられた宮殿をいう。外宮(とつみや)。…
※「宮殿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
国または地方公共団体が個々の候補者の選挙費用の一部または全額を負担すること。選挙に金がかかりすぎ,政治腐敗の原因になっていることや,候補者の個人的な財力によって選挙に不公平が生じないようにという目的で...
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