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郡区町村編制法
ぐんくちょうそんへんせいほう
明治前期に地方制度整備のために制定された三新法の一つ。1878年(明治11)7月太政官布告として公布された,郡・区・町・村の設置を定めた法律。全国を907の大区と7699の小区にわける大区・小区制のもとでは,地租改正などにみられる政府の急進的政策もあって農民の暴動など多大の混乱を生じた。そこで地方区画のあり方として,﹁固有ノ習慣ニ依ルニ如カス﹂とした大久保利通(としみち)の上申をうけて,旧来の郡制を行政区画として復活させるとともに,町・村を法律上自治体と認めた。郡および東京・京都・大阪の区にはそれぞれ官選の郡長・区長がおかれ,町・村にも戸長がおかれた。同制度は88年4月公布の市制・町村制,90年5月公布の府県制・郡制により廃止された。
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「郡区町村編制法」の意味・わかりやすい解説
郡区町村編制法【ぐんくちょうそんへんせいほう】
1878年公布された地方制度を定めた法律。1871年の戸籍法で大区・小区に区分したのを改め,旧来の郡制を復活し,東京・大坂・京都など市街地には区を設けた。郡・区には官選の郡長・区長を配し,郡の下の町村には民選の戸長を置いた。郡長は官選で内務卿・府県知事の指揮下で,町村を監督した。
→関連項目上京・下京|郡
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郡区町村編制法
ぐんくちょうそんへんせいほう
1878︵明治11︶年に制定された地方行政制度に関する法規。三新法の一つ
従来の画一的な大・小区制を廃止して町村を自治体として復活し,行政区画としての郡を置き,別に東京・京都・大阪に区を設置し,府知事・県令—郡・区長—戸長︵町村長︶という職制を確立した。'88年市制・町村制,'90年府県制・郡制制定により廃止。
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世界大百科事典(旧版)内の郡区町村編制法の言及
【行政村】より
…村落共同体秩序をもとに形成されている村落を︿自然村﹀というのに対し,公権力により創出された行政単位としての町村を︿行政村﹀という。江戸幕藩体制下において自然村は,年貢の収奪単位として村役人(名主または庄屋・組頭)の配された行政単位であり,かつ村民の生活共同体であった。明治維新から1889年の町村制施行までの間に,これら旧村は強力な合併政策を通じて新たな行政単位に作り変えられた。明治政府は,1872年(明治5),末端行政区画として[大区・小区]制を採用し,戸長を配して戸籍制度による人民の掌握にあたった。…
【区】より
…大区には[区長],小区には[戸長]なる下級官吏が配された。しかし,この人工的行政区画たる大区小区制はうまく機能せず,78年に自然村秩序との調和を図った郡区町村編制法により修正され,ここに法人格をもつ地方団体としての︿区﹀が形成された。同法にいう︿区﹀とは︿三府五港其他人民輻湊ノ地﹀に適用されたいわゆる都市部自治団体である。…
【郡】より
…以後,元禄国絵図・郷帳で確定した郡名・郡域は,天保郷帳でもわずかな変更があっただけで,近世的郡名・郡域として固定されたのである。︻黒田 日出男︼
﹇近代﹈
1871年(明治4)の[大区・小区]制の下で旧来の郡は否定されたが,78年の郡区町村編制法によって行政区画として復活し,郡役所と[郡長]がおかれた。郡長は官選で,府知事・県令の下にあって町村を監督し,もっぱら上命下達にたずさわった。…
【戸長】より
…1871年(明治4)に発布された戸籍法の戸籍吏として置かれたのが始まりで,[大区・小区]制下では数町村を組み合わせた小区の長として地方官に任命され,その監督下に国家行政を遂行した。78年の郡区町村編制法により戸長は民選となり,各町村もしくは2~3町村に1名ずつ置かれた。行政吏であると同時に町村公共事務を処理する理事者でもあった。…
【三新法】より
…1878年公布された明治政府最初の統一的地方制度で,郡区町村編制法,府県会規則,地方税規則の三つからなる。徴兵・教育・地租改正などに反対する農民騒擾︵そうじよう︶,国会開設を求める自由民権運動のめばえという物情騒然たる状況に対処するねらいで,[大区・小区]制の官僚支配への転換をもたらすために発布された。…
【市町村合併】より
…これ以降,町村は漸次行政単位としてのそれと集落としてのそれ(自然村)とに分化し,︿隣保互助の美風﹀が集落に求められつつ,行政村の拡大が行われる。78年7月,大区・小区は廃され,行政区画を旧来の町村に戻す郡区町村編制法が施行された。区は都市的地区の区画名称である。…
【地方財政】より
…その成立過程をみると,まず1871年の廃藩置県の後,府県体制が中央集権的に整備されるなかで,各府県官により行政機構の末端機関として[大区・小区]が設けられ,幕藩体制下の自治組織であった町村が制度上否認されるが,実際には,地租改正等の新政策を実施するための末端事務と当時の地方費の中心であった民費の課出は,旧来の町村組織に依存せざるをえないという矛盾に陥った。農民騒擾︵そうじよう︶が続発し自由民権論が台頭するなかで,78年,地方自治制の端緒となる地方[三]新法(郡区町村編制法,府県会規則,地方税規則)が制定され,大区・小区制が廃止されて郡町村制が復活し,府知事・県令と郡長の行政権の圧倒的優位のもとにではあるが,一応の町村自治と公選制地方議会の設置が公認された。また府県税の税源と支出費目がはじめて統一的に規定され,それと町村費が明確に分離されて地方財政制度が近代化された。…
【法制史】より
…廃藩置県(1871),士族の秩禄処分(1870以降),華士族平民間の通婚の自由(1871),関所廃止(1869),田畑永代売買の承認(1872)などがその例である。旧体制に代わる新しい中央集権的な統治機構は,1871年の太政官制の整備をはじめ,同年の府県官制,県治条例,72年の大区・小区制,78年の郡区町村編制法による地方制度の整備,1872年以降の裁判所の設置などによって構築された。新しい統治機構を守る軍事・警察機構は,1872年の陸海軍両省の設置と73年の[徴兵令]の制定,73年の内務省警保寮設置,74年の警視庁設置によって整備された。…
※「郡区町村編制法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」