鐘銘事件(読み)しょうめいじけん

精選版 日本国語大辞典 「鐘銘事件」の意味・読み・例文・類語

しょうめい‐じけん【鐘銘事件】

 

(一)使
 

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改訂新版 世界大百科事典 「鐘銘事件」の意味・わかりやすい解説

鐘銘事件 (しょうめいじけん)


161419殿1596︿︿

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「鐘銘事件」の意味・わかりやすい解説

鐘銘事件
しょうめいじけん


殿()15961()161419殿()退



1972

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鐘銘事件」の意味・わかりやすい解説

鐘銘事件
しょうめいじけん

慶長 19 (1614) 年7月 26日徳川家康が豊臣氏滅亡をはかり挑発した事件。豊臣秀頼が家康のすすめで方広寺大仏を再建した際,同じく鋳造した鐘の銘文中「国家安康」の字句が,家康の名を分割し身を切断することを意味し,徳川氏を呪詛し,「君臣豊楽」の文字が豊臣家の繁栄を祈願していると非難し,大仏開眼を延期させ,豊臣方を憤激させた。豊臣秀頼は重臣片桐且元をつかわして誤解をとかせようとしたが,最初から計画的であった家康にいれられず,豊臣方も硬化し,且元も大坂を退城し,慶長 19年 10月の大坂冬の陣を引起すことになった。 (→大坂の陣 )  

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百科事典マイペディア 「鐘銘事件」の意味・わかりやすい解説

鐘銘事件【しょうめいじけん】

豊臣秀頼は1612年京都方広寺の大仏を復興し,1614年には梵鐘を鋳造。その鐘銘に〈国家安康〉の文字があったことから,徳川家康は家康を二つに割いた〈関東不吉の文辞〉があると難癖をつけ,豊臣方を大坂の陣へと追い込んだ。

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世界大百科事典(旧版)内の鐘銘事件の言及

【文英清韓】より

…1600年(慶長5)東福寺,次いで南禅寺の住持となる。14年,片桐且元の依頼でつくった方広寺大仏の鐘銘が徳川家康の怒りに触れ,鐘銘事件を引き起こした。豊臣氏滅亡後に捕らえられて京都,次いで駿府に数年のあいだ拘禁されていたが,20年(元和6)9月には後水尾天皇に東坡詩集を進講している。…

※「鐘銘事件」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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