馬王堆漢墓(読み)マオウタイカンボ

デジタル大辞泉 「馬王堆漢墓」の意味・読み・例文・類語

まおうたい‐かんぼ〔マワウタイ‐〕【馬王堆漢墓】

 
19723()()()()  

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精選版 日本国語大辞典 「馬王堆漢墓」の意味・読み・例文・類語

まおうたい‐かんぼマワウタイ‥【馬王堆漢墓】

  1. 中国湖南省長沙市郊外の馬王堆にある三座の漢代初期の墓。一九七二年から七四年にかけて発掘。軑侯(たいこう)に関係する墓で、ほとんど完全な女性の遺体の外、帛書・帛画・銅印など多数の副葬品が出土した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「馬王堆漢墓」の意味・わかりやすい解説

馬王堆漢墓
まおうたいかんぼ


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1976

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改訂新版 世界大百科事典 「馬王堆漢墓」の意味・わかりやすい解説

馬王堆漢墓 (まおうたいかんぼ)
Mǎ wáng duī Hàn mù

中国,湖南省長沙市東郊4kmの東屯渡公社にある前漢前期の長沙国丞相軑(たい)侯利蒼(りそう)とその妻子の3基の墓。地名を冠して長沙馬王堆と呼ぶことも多い。1972年から74年にかけて発掘調査された。平原中の独立丘陵上にあり,東の1号墓は底径約40m,高さ約16m,西の2号墓は底径約31.5m,高さ約6mの封土をもつ。1号墓の南の3号墓の封土は1号墓築造のため削られている。墓室は竪穴土坑を掘り,厚木板で木槨を築く。木槨の周囲に木炭を詰め,緻密な陶土で厚く包む。盗掘された2号墓を除き,内部の保存はきわめてよい。1,3号墓の内棺上にT字形の帛画(はくが)があり,鮮麗な色彩の昇仙図を描く。3号墓には長方形の帛画2枚があり車馬行列,儀仗図を描く。棺内の遺体は着衣と布団で包まれ,とくに1号墓の遺体は皮膚になお弾力をもち〈湿屍〉と呼ばれる。副葬品は棺室四周の辺箱に納められていた。1号墓には多種類の精巧な漆器があるが,銅,金,銀の容器はない。織物は絹,紗,羅,錦があり,刺繡(ししゆう)や型染が多用されている。多数の竹笥(ちくし)には織物,食料,薬品,明器などを納める。ほかに楽器,木俑(もくよう),装身具があり,これら副葬品リストを記した竹簡が出土し,両者を対照しうる。2号墓は盗掘のため副葬品が銅武器など少量しかなかったが,〈利蒼〉〈軑侯之印〉〈長沙丞相〉の印があり,被葬者の姓名,身分が判明した。3号墓の副葬品は1号墓のそれに加え武器がある。竹・木簡は遺策のほか医薬簡があり,漆奩(しつれん)中には導引図絵巻,《老子》《易経》ほか多数の先秦文献を記載した帛書,地図があった。これら3基の墓の被葬者は2号墓が出土の印章から前186年に没した長沙国丞相軑侯利蒼,3号墓が出土の木牘(もくとく)の紀年により前168年に死亡した利蒼の子の一人,1号墓は利蒼の夫人で3号墓より数年後に築かれたものであることが判明した。前漢代前半期に属する公侯級の高級墓が築造年代,被葬者の身分,姓名を合わせて明確となったのは稀有の発見で,しかも保存がきわめて良好であり,基準資料としての価値が高い。
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百科事典マイペディア 「馬王堆漢墓」の意味・わかりやすい解説

馬王堆漢墓【まおうたいかんぼ】

 
西16m19721973調1311000西()219318613  

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「馬王堆漢墓」の解説

馬王堆漢墓(まおうたいかんぼ)


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旺文社世界史事典 三訂版 「馬王堆漢墓」の解説

馬王堆漢墓
まおうたいかんぼ

中国,湖南省長沙市郊外で発掘された,前漢前期の墓
1972〜74年に発掘調査が行われた。長沙国丞相の地位にあった人物とその妻子の墓。保存状態も良く,多くの副葬品も出土し,漢代文化の研究に貴重な資料を提供している。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「馬王堆漢墓」の意味・わかりやすい解説

馬王堆漢墓
ばおうたいかんぼ

馬王堆1号漢墓」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の馬王堆漢墓の言及

【ウリ(瓜)】より


()
Cucurbitaceae
 100850

【漆絵】より

…中国ではきわめて古くから行われた手法で,河南省洛陽県金村,湖南省長沙などの古墓から出土した戦国時代の漆器に見られ,技術は漢代に頂点をなした。朝鮮楽浪郡遺跡,馬王堆漢墓出土の漆器がその代表例で,精緻な漆絵が器全体に描かれることが多い。おおかたは朱線だが黄,緑,青などがまれに見られる。…

【漆工芸】より


[戦国~唐時代]
 古代に漆工芸のもっとも栄えた時期は戦国(前5世紀‐前222)・漢(前206‐後220)の両時代で,ことに湖南省や四川省といった長江(揚子江)流域をおもな舞台にして,積極的に製作活動が展開された。とくに馬王堆漢墓に代表される湖南省の長沙周辺からはおびただしい数の漆器が出土し,この地は四川省の蜀郡などとともに当時の漆工芸の中心地であった。漆芸品の応用範囲はじつに多岐にわたり,この時期の大きな特徴にもなっている。…

【漢代美術】より



【刺繡】より

…〈刺〉は針で縫うこと,〈繡〉は衣に采(いろどり)を施すこと,つまり,糸を針にとおして布地の表と裏から刺し,布の表面または表と裏の両面に,糸で絵画的な図柄や文様などをいろいろな技法で刺しあらわすことで,狭義には色糸刺繡を指し,刺繡の中で最も基本になる技法である。英語でエンブロイダリーembroidery,ニードル・ワークneedle workなどという。そのバリエーションには白糸刺繡,黒糸刺繡,シャドー刺繡,キャンバス・ワークなどや,糸の代りにリボン,コード,ビーズ,スパングルなどを使う刺繡,布の代りにすきまのあるレース状のものに刺すネット刺繡,チュール刺繡などがある。…

【仙術】より


︿()

【中国医学】より


()()1972()733(168)10 

【長沙】より


 調200調3()1,2,33000231

【ニホンジュウケツキュウチュウ(日本住血吸虫)】より

…1904年桂田富士郎が山梨県大鎌田村(現,甲府市)で飼育されていたネコの門脈から1雄虫を発見したのが世界最初のものである。しかし,1973年,74年に発掘された中国の馬王堆漢墓から出土したミイラ(2100年前に死亡したと推定される貴婦人の遺体であるという)の肝臓からこのキュウチュウの虫卵が発見されており,古くからこの寄生虫がアジア地域に蔓延(まんえん)していたものと考えられる。現在では,中国大陸,フィリピンなどに流行地がある。…

※「馬王堆漢墓」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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