デジタル大辞泉
「高田」の意味・読み・例文・類語
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たか‐だ【高田】
(一)[1] 〘 名詞 〙 土地の高いところにつくられた田。古くは﹁あげた﹂とも称した。→上田(あげた)・下田(くぼた)。
(一)[初出の実例]﹁其(そ)の兄高田(タカタ)を作らば汝の命は下田(しもた)を営みたまへ﹂(出典‥古事記︵712︶上︵兼永本訓︶)
(二)[2] 新潟県上越市の地名。旧高田市。荒川の下流域にある。古くから北陸街道、北国街道の分岐点。中世、上杉氏が春日山に築城。江戸初期、松平氏六〇万石の城下町となり、江戸中期以後は榊原氏一五万石の城下町となる。第二次世界大戦前は軍都として栄えた。﹁雪の都﹂といわれ、日本スキーの発祥地としても知られる。明治四四年︵一九一一︶市制。昭和四六年︵一九七一︶直江津市と合体して上越市となる。
たかた︻高田︼
(一)[ 一 ] 広島県中北部にあった旧郡。安芸高田市を中心とする地域。
(二)[ 二 ] 武蔵国豊島郡の村名。現在の東京都新宿区戸塚町から豊島区高田、目白にかけての一帯にあたる。
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高田 (たかだ)
新潟県南西部,平成の大合併以前の上越市南部を占めていたかつての市名。高田市は1911年市制,71年直江津市と合体して上越市となったが,現在の行政地名にはない。17世紀初め,松平忠輝の築城に始まり,以後激しい城主の交替を経て,榊原氏の城下町として幕末に至った。1889年町制,1907年城跡に第13師団が設置されるなど,第2次世界大戦終戦まで軍都として発展した。城下町時代から上越地方の商業,政治,文化の中心地的な役割を果たし,現在も県の出先機関が集中している。工業はスキー板,農業機械,細幅織物業などの地場産業のほか,電子,食品,家具装備品などの工業がある。現在,城跡とその周辺は文教地区で,桜の名所の城址公園,博物館,体育館などの公共施設が集中し,旧士族屋敷は住宅地,町人町は商店街に発展した。豪雪地帯として知られ︵最大積雪377cm,1945年2月26日︶,消雪道路が普及した現在も,雪国独特の雁木︵がんぎ︶が減少はしているものの古い町すじに連なる。金谷︵かなや︶山はオーストリアのレルヒ少佐が伝えた日本のスキー発祥地である。旧市域北西部の春日山には上杉謙信の築いた春日山城跡︵史︶があり,山腹には謙信をまつる春日神社がある。郵便の父,前島密は当地の出身で,記念館がある。
執筆者‥磯部 利貞
高田城下
近世に城下町であった高田は,中世以前は関の庄菩提が原とよばれた。上杉氏の春日山城に代わって堀氏は福島城︵直江津︶を築いたが,1610年︵慶長15︶改易となり,徳川家康の六男松平忠輝が城主となった。忠輝は14年幕府に願い,菩提が原に城を築き高田を開府した。高田城は将軍連枝の居城として,名古屋城にも劣らぬように,国役普請により,伊達政宗以下13諸侯に命じて,3月15日起工し7月第一期工事の竣工をみて入城した。しかし10月大坂冬の陣がおこり工事を中止した。忠輝は16年︵元和2︶改易となった。そのあと酒井氏,松平氏︵越前家2家︶,稲葉氏,戸田氏,松平︵久松︶氏,榊原氏と7氏が相ついで城主となり,明治の廃藩に至った。この間,名門譜代藩といっても在封期間が短く,また榊原氏は在封130年続いたが,藩財政に苦しみ城下町の発展は考えられなかった。ただ松平光長は,執政小栗美作らの殖産興業によって藩庫を潤し,築城を完成,城下町の区画整理を断行し,全盛をきわめた。しかし1681年︵天和1︶越後騒動のため改易となり,町はさびれた。歴代藩主は地子銭を免除したが,産業もなく町が発展しなかった。明治に入り広大な城跡を利用して師団誘致に成功,1907年第13師団が設置された。
→上越﹇市﹈
執筆者‥渡辺 慶一
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高田
たかだ
中世に平(ひら)川︵神田川︶の中流域にあたる現新宿区高田・早稲田・落(おち)合(あい)地区や豊島区高田地区・中野区上(かみ)高(たか)田(だ)地区などの一帯をさしたと推定される地名。﹁たかた﹂ともいう。北条氏所領役帳によると、江戸衆の赤沢千寿が﹁江戸高田内﹂で一五貫文を知行している︵ただし千寿は成人前で、赤沢後家付︶。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
高田【たかだ】
新潟県上越市の一地区。1911年市制の旧高田市で,1971年直江津市と合体,上越市となった。高田平野の中部から西頸城(にしくびき)丘陵にまたがる。荒川左岸の中心市街は松平氏,のち榊原氏の城下町として発達,城下町の遺構を残す。明治以後は軍都でもあった。家具,農機具,織物,スキーなどを産し,えちごトキめき鉄道が通じ,バス交通の中心。豪雪地で町並みには雁木(がんぎ)がみられ,西の金谷山は日本のスキー発祥地。前島密の記念館,上杉謙信の春日(かすが)山城跡︵史跡︶などがある。
→関連項目高田藩
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高田
たかた
58年町制。 2007年瀬高町,山川町と合体して,みやま市となった。東部の丘陵性の山地,西部の矢部川沖積地および有明海沿岸の広い干拓地からなる。農業が主で,米のほかミカン,野菜を産し,ノリ養殖も行なわれる。石神山古墳 (せきじんざんこふん。国指定史跡) ,二川焼窯跡などがあり,有明海は潮干狩りでにぎわう。
高田
たかだ
新潟県南西部,高田平野中部,上越市の中心市街地南部の一地区。旧市名。 1971年直江津市と合体して上越市となる。江戸時代は初め松平氏 60万石,中期以後榊原氏 15万石の城下町として発展し,第2次世界大戦中は軍都として繁栄。現在は高田平野の中心地で,商工業が盛ん。特に細幅織物,農機具,スキーの製造は有名。高田城跡,浄興寺がある。西方の金谷山は日本のスキー発祥地として知られる。
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普及版 字通
「高田」の読み・字形・画数・意味
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世界大百科事典(旧版)内の高田の言及
【越後国】より
…10年,堀氏のあと家康の第10子[松平忠輝]が入封,ここに徳川氏の支配が始まる。幕府は14年東北13大名に高田城を築かせ,北国の固めとして忠輝をここに入れたが,16年(元和2)忠輝の行状に不遜なものがあるとして改易,その遺領を幕領および高田,長嶺,藤井,長岡,三条の5藩に分かち,ここに小藩分立時代が到来した。その後,廃藩と削封と新藩設置の中で幕領が拡大し,幕末には1奉行所(新潟),3代官所(水原,出雲崎,川浦),5大名(桑名,会津,米沢,新発田,高田藩)預地の幕領と7旗本領,11藩および国外大名(一橋家と桑名,会津,高崎,出羽上之山,沼津の5藩)飛地領に分かれた。…
【上越[市]】より
…新潟県南西部,荒川(関川)下流部に位置して高田平野の北半を占める市。1971年高田市(1911市制)と直江津市(1954市制)が合体して成立した。…
【新潟[県]】より
…
﹇沿革﹈
県域はかつての越後・佐渡両国全域にあたる。江戸時代末期,越後には[高田藩],新発田︵しばた︶藩,[長岡藩]をはじめ,三根山,村上,村松,椎谷,与板,糸魚川︵いといがわ︶,黒川,三日市の11藩が置かれていたほか,新潟をはじめとする天領,預地,旗本領飛地が入り組んでおり,金山のあった佐渡は天領であった。1868年(明治1)越後の旧天領を管轄するため新潟裁判所が置かれ,まもなく越後府,新潟府と改称して北部を,新設された柏崎県が南部を管轄した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」