城下町(読み)ジョウカマチ

デジタル大辞泉 「城下町」の意味・読み・例文・類語

じょうか‐まち〔ジヤウカ‐〕【城下町】

戦国時代から江戸時代にかけて、大名の居城を中心に発達した市街。

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精選版 日本国語大辞典 「城下町」の意味・読み・例文・類語

じょうか‐まちジャウカ‥【城下町】

 

(一)   駿
(一)[](1824)
 

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改訂新版 世界大百科事典 「城下町」の意味・わかりやすい解説

城下町 (じょうかまち)





鹿駿

1616151

1661-1704218退181804-44

 


︿︿

 

 

 


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日本大百科全書(ニッポニカ) 「城下町」の意味・わかりやすい解説

城下町
じょうかまち





戦国期


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近世城下町


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百科事典マイペディア 「城下町」の意味・わかりやすい解説

城下町【じょうかまち】

封建領主の城郭を中心に発達した都市。中世では根小屋(ねごや)・山下(さんげ)と呼ばれた領主の居館を中心とした屋敷集落がみられ,近世に入って城下という呼び方が一般化した。16世紀になると,領国の統一を推進した戦国大名はそれまでの山砦(さんさい)的城を捨て,交通の便がよく経済の中心となっていた土地に築城し,農村から武士と商工業者を誘致して城の周辺に集住させた。このような例として島津氏の鹿児島,武田氏の甲府,今川氏の駿府(すんぷ),北条氏の小田原,大内氏の山口などが有名。16世紀末―17世紀初めに近世大名によって武士・商工業者の城下への集中は強制的に徹底して行われ,また中世にはそれぞれ門前町(諏訪(すわ),金沢など),港町(博多,島原など),宿場町(高崎,浜松など)として栄えた都市も新たに近世城下町として発展した。近世城下町は計画的な町割が行われ,武士は小姓(こしょう)町,同心町,鉄砲町など職掌別に,商人・職人は材木町,米町,呉服町,鍛冶(かじ)町,大工町など職業別に居住区分が行われていた。
→関連項目一乗谷大阪[市]小田原城春日山城加納亀山観音寺城米会所在郷商人在郷町三都下町下津井湊大聖寺田辺寺町伝馬町都市平野郷福知山府中町役人松山(岡山)宮津吉田連雀商人若松

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「城下町」の意味・わかりやすい解説

城下町
じょうかまち

 
使便 ()  50%  

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「城下町」の解説

城下町
じょうかまち

中世~近世の最も代表的な都市類型。領主の城館を中心として,家臣団の屋敷,足軽町,寺社,町人地(町屋)などで構成される。起源は,中世の在地領主の館に求められ,南北朝期以降,守護所(しゅごしょ)や国人(こくじん)領主の城館を核とする城館町を先駆的な例とみることもできる。戦国大名の城下町はより規模は大きいが,都市領域は分散的で,家臣団の本拠は依然として在地にあり城下町にはなかった。都市的諸要素を集積した城下町建設は,織田信長の安土(あづち)城下(山下(さんげ))と京都二条邸に始まり,豊臣秀吉の大坂城によって,その基本的構造が完成された。それは巨大な平城を中核とし,兵農分離をへた直属家臣団や商工業者が集中し,中世末の在地社会が築きあげた宗教施設・技術・経済・文化などの諸要素が集積された。近世前期には,江戸・大坂・京都の三都を頂点に,陣屋町など大小さまざまの城下町が建設され,支配・流通・文化の中枢として近世社会の骨格を形成した。

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旺文社日本史事典 三訂版 「城下町」の解説

城下町
じょうかまち

 

便鹿駿  

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世界大百科事典(旧版)内の城下町の言及

【市】より


 1549(18)66(9)駿67

【近世社会】より


調

【寺内町】より

…この居住区の街区は整然とした方格状的プランを維持しているが,周辺の塁濠は小規模となり,防御的要素は稀薄となった。寺内町は城下町の原形となっている点が少なくなく,近世になると,宗教的都市というよりは商業的在町として継承されたり,また城下町の寺町(てらまち)街区となって吸収されている面も多い。しかし寺内町は僧侶や農民,および手工業者が中心となっており,城下町にみられるような身分的職業的規制や統制,および地域制はそれほど顕著ではなかった。…

【職人町】より


1

【城】より


使西()()使() 

【寺町】より

…近世城下町は城郭を中心に,武士の居住地である武家地と,商人・職人の居住地である町人地で構成されたが,これらを取り囲む外郭の要所に寺院が集団的・連続的に配置された。この部分を寺町と呼ぶ。…

【都市】より

…無囲郭都市は古くはきわめて例外的存在であったが,日本の都市は古くから城壁に囲まれていなかった。城下町のような城を中心とした都市でも何重かの堀がめぐらされる程度で,住民を防衛する機能を都市はもっていなかった。アジアの島嶼部でも,ヨーロッパ諸国の植民地となるまでは,都市の数も少なかったが,囲郭をもっていなかった。…

【長屋】より

…中世末の京都を描いた町田本《洛中洛外図》(16世紀前期)や上杉本《洛中洛外図》(16世紀中期)にも,通りに面した商人の店舗に長屋形式がみられ,古代末から中世にかけての都市庶民住居として,長屋はかなり一般的なものであったと考えられる。 近世の城下町では,武士と町人以下の居住地区がはっきりと区分されていたが,武士の中でも上級家臣は城の近く,足軽などの下級武士は周辺部というように,身分により居住区が定められていた。下級の武士は長屋に住んでおり,現存する越後新発田(しばた)藩の足軽長屋は茅葺きの窓の少ない閉鎖的な建物で,1戸分は間口3間,奥行3間で,6畳2部屋に板の間という部屋構成をとり,ここに一家族が住んでいたと考えられる。…

【場末町】より

城下町が計画的な都市プランに基づいて建設された江戸初期以後,その周辺部に不規則,無秩序に拡大していった都市域をいう。中心部にある整然とした武家屋敷や領主の御用もつとめる町人たちの町屋と対照的に,場末町には日雇稼ぎや棒手振(ぼてふり)といった下層民が居住することが多かった。…

【町】より



【屋敷】より


西︿()︿()︿() 

【楽市令】より

…主として16世紀後半,戦国大名および織豊政権が,地方市場,新設の城下町に出した法令。楽市令は大別して次の2種に分けられる。…

※「城下町」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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