デジタル大辞泉
「鬼貫」の意味・読み・例文・類語
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おにつら【鬼貫】
(一)江戸前期の俳人。上島氏。名は宗邇(むねちか)。別号は犬居士、仏兄(さとえ)など。摂津国伊丹の人。少年のころ松江重頼に学び、のち談林俳諧に傾倒して伊丹風俳諧の中心となったが、二五歳の春﹁まことの外に俳諧なし﹂と悟り、俳諧まことの説を樹立した。著﹁大悟物狂﹂﹁独言﹂﹁仏兄七久留万﹂など。寛文元~元文三年︵一六六一‐一七三八︶
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鬼貫
おにつら
(1661―1738)
江戸中期の俳人。万治(まんじ)4年4月4日、清酒﹁三文字(さんもんじ)﹂の醸造元﹁油屋(あぶらや)﹂の一族、上島宗春(うえじまむねはる)の三男として、摂州川辺郡伊丹(いたみ)郷︵伊丹市︶に生まれる。名は宗邇(むねちか)、通称与惣兵衛(よそべえ)。鬼貫の俳号は、和歌の貫之(つらゆき)に対する、俳諧(はいかい)の貫之をもって任じたもの。ほかに、点也(てんや)、自舂庵(じしょうあん)、囉々哩(ららり)、犬居士(いぬこじ)、馬楽童(ばらくどう)、槿花翁(きんかおう)などと号した。法名即翁(そくおう)。13歳で貞門(ていもん)の重頼(しげより)の門に入っているが、16歳のころには、すでに宗因(そういん)風の俳諧に心を寄せている。鬼貫の才能を最初に高く評価したのも宗因である。1685年︵貞享2︶25歳で﹁まことの外(ほか)に俳諧なし﹂と開悟したという。その﹁まこと﹂の論が詳説されているのが、俳論書﹃独(ひとり)ごと﹄︵1718刊︶である。﹁まこと﹂の俳諧の作品としての完成は、90年︵元禄3︶鬼貫30歳のおりの﹃大悟物狂(たいごものぐるい)﹄である。ほかに俳諧紀行﹃犬居士﹄、句文集﹃仏兄七久留万(さとえななくるま)﹄などの著がある。禅を思想的背景としつつも、それを﹁常(つね)いふ所(ところ)の言葉﹂で表現するのが、鬼貫俳諧の特色といえる。元文(げんぶん)3年8月2日、78歳で没した。
﹇復本一郎﹈
によつぽりと秋の空なる不尽(ふじ)の山
﹃岡田利兵衛編﹃鬼貫全集 三訂版﹄全1巻︵1978・角川書店︶﹄▽﹃桜井武次郎著﹃伊丹の俳人上嶋鬼貫﹄︵1983・新典社︶﹄
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鬼貫 (おにつら)
生没年:1661-1738(寛文1-元文3)
江戸前期の俳人。姓は上島︵本姓藤原,晩年は平泉︶,幼名竹松,長じて利左衛門宗邇︵むねちか︶。通称は与惣兵衛。囉々哩︵ららり︶・馬楽童・槿花翁などの別号がある。伊丹の酒造家油屋の上島宗春の三男。少年のころから俳諧を好み,維舟・宗旦・季吟・宗因らに批評を請い,会席に列して指導を受けた。初入集は1676年︵延宝4︶の維舟撰︽武蔵野︾。翌々年︽当流籠抜︵とうりゆうかごぬけ︶︾に伊丹派の五吟五百韻を発表し,古風俳人から︿狂乱体﹀と難ぜられた。85年︵貞享2︶大坂に出て学問修業に努めた。自伝を交えた俳論︽独︵ひとり︶ごと︾によると,︿まことの外に俳諧なし﹀と悟ったのは,88年であろう。その後,擬態語など俗語を用いる平明な俳風に移り,90年︵元禄3︶,︽大悟物狂︵たいごものぐるい︶︾を撰ぶ。遠祖は藤原秀郷︵ひでさと︶︵俵藤太︶といい,鬼貫には武士として立とうという願いが強くあった。そのため,筑後三池藩︵1687-89︶,大和郡山藩︵1691-95︶,越前大野城主土井甲斐守家︵1708-12?︶に仕え,藩政改革などにあたる。︽藤原宗邇伝︾は武士としての自伝で,俳事については伝えない。主に,1685-95年は大坂,1695-1703年は伊丹,1703-18年は京,以後再び大坂に住み,惟然,支考らの蕉門俳人とも交わった。︿によつぽりと秋の空なる富士の山﹀︵︽大悟物狂︾︶。
執筆者‥桜井 武次郎
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鬼貫【おにつら】
江戸中期の俳人。姓は上島︵かみじま。うえじまとも読む︶,名は宗邇(むねちか)。別号,︻ら︼々哩(ららり),槿花翁など。摂津伊丹の酒造家油屋一族の出。本姓は藤原,遠祖は藤原秀郷︵俵藤太︶と称する。少年時は重頼の門に入り,のちに北村季吟や宗因,宗旦にも教えを受けている。25歳のとき︿誠の外に俳諧なし﹀と悟ったという。句風は淡泊洒脱(しゃだつ)。革新的俳人。編著に︽独言(ひとりごと)︾︽俳諧七車︾等がある。→太祇
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鬼貫 (おにつら)
生年月日:1661年4月4日
江戸時代中期の俳人
1738年没
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世界大百科事典(旧版)内の鬼貫の言及
【松波勘十郎】より
…79年(延宝7)幕府代官の美濃国小物成(こものなり)場の検地に協力し,85‐86年(貞享2‐3)下総国匝瑳(そうさ)郡と三河国賀茂郡の旗本領で検地を担当し,ついで元禄初年には上総国大多喜,下総国高岡の2小藩の財政立直しを請け負ったという。93年(元禄6)からは大和国郡山藩の財政改革を,俳人[鬼貫](おにつら)こと上島与惣兵衛と競争して勝利し,4割から8割に至るまでの租率大幅引上げを実現している。その3,4年後には旗本松下彦兵衛家の家政立直しを成功させ,実現はしなかったが摂津国高槻藩も彼を採用しかけた。…
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