黒島伝治(読み)クロシマデンジ

デジタル大辞泉 「黒島伝治」の意味・読み・例文・類語

くろしま‐でんじ〔‐デンヂ〕【黒島伝治】

 
18981943  

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精選版 日本国語大辞典 「黒島伝治」の意味・読み・例文・類語

くろしま‐でんじ【黒島伝治】

 

(一)()()
 

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改訂新版 世界大百科事典 「黒島伝治」の意味・わかりやすい解説

黒島伝治 (くろしまでんじ)
生没年:1898-1943(明治31-昭和18)


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20世紀日本人名事典 「黒島伝治」の解説

黒島 伝治
クロシマ デンジ

昭和期の小説家



生年
明治31(1898)年12月12日

没年
昭和18(1943)年10月17日

出生地
香川県小豆郡苗羽村(現・内海町)

学歴〔年〕
内海実業補習学校〔大正3年〕卒

経歴
内海実業補習学校卒業後、1年ほど船山醬油会社の醸造工になる。大正6年上京、建物会社に勤めながら小説の勉強をする。8年衛生兵として入隊し、10年シベリア出征するが、胸を患い同年除隊となる。一時帰省するが、再び上京、世田谷太子堂の壺井繁治・栄夫妻の家に寄宿する。14年「電報」「結核病室」を発表して注目され、15年「銅貨二銭」「豚群」を発表、「文芸戦線」同人。以後プロレタリア文学の文戦派作家として活躍する。昭和2年労農芸術家連盟(労芸)創立に参加。5年脱退し、文戦打倒同盟を結成、機関誌「プロレタリア」を発行、全日本無産者芸術連盟(ナップ)所属の日本プロレタリア作家同盟に参加。8年小豆島に帰り療養生活を送る。著書に「橇」「氷河」「パルチザン・ウオルコフ」「武装せる市街」などがある。戦後30年にシベリア出兵の時の記録が「軍隊日記」として刊行された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「黒島伝治」の意味・わかりやすい解説

黒島伝治
くろしまでんじ
(1898―1943)


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「黒島伝治」の意味・わかりやすい解説

黒島伝治
くろしまでんじ

 
[]1898.12.12. 
[]1943.10.17. 
 (1914)  (17)  (19)  (21)  ()  (27)  (27)  (28)  (31)  (25)  (26)  (26)   

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百科事典マイペディア 「黒島伝治」の意味・わかりやすい解説

黒島伝治【くろしまでんじ】

 
退1928  

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「黒島伝治」の解説

黒島伝治 くろしま-でんじ

1898-1943 大正-昭和時代前期の小説家。
明治31年12月12日生まれ。「豚群(とんぐん)」などの農民小説,シベリア従軍体験にもとづく「渦巻ける烏(からす)の群」などの反戦小説でみとめられる。労農芸術家連盟,のち日本プロレタリア作家同盟に所属。昭和18年10月17日死去。46歳。香川県出身。早大中退。作品はほかに「武装せる市街」など。
【格言など】どうして,ロシア人を殺しに,こんな雪の曠野にまで乗り出して来なければならなかったか!(「橇」)

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367日誕生日大事典 「黒島伝治」の解説

黒島 伝治 (くろしま でんじ)

生年月日:1898年12月12日
昭和時代の小説家
1943年没

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