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「ル・マン24時間レース」の版間の差分

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{{Infobox motor race

{{Infobox motor race

|Race title = ル・マン24時間レース<br>24 Heures du Mans

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'''ル・マン 24時間レース'''(ル・マンにじゅうよじかんレース、{{lang-fr-short|24 Heures du Mans}} )は、[[フランス]]の[[ル・マン]]近郊で行われる四輪[[耐久レース]]である。24時間でのサーキット周回数を競う。




'''24'''{{lang-fr-short|24 Heures du Mans}} [[]][[]][[]]24[[西]]ACO[[FIA |]]WEC1'''24'''

主催は[[フランス西部自動車クラブ]](ACO)で[[FIA 世界耐久選手権|世界耐久選手権]](WEC)の1戦でもある。'''ル・マン24時間耐久レース'''と記されることもある。



== 概要 ==

== 概要 ==

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=== 出場資格 ===

=== 出場資格 ===

参加するだけでも名誉なことであり世界各国の自動車メーカーやレーシングチームからのエントリーが殺到することから、現在は、各年の出場チームは主催者である[[フランス西部自動車クラブ]](ACO)が選考し、エントリーの招待状を送付する。

参加するだけでも名誉なことであり世界各国の自動車メーカーやレーシングチームからのエントリーが殺到することから、[[FIA 世界耐久選手権]] (WEC) の1戦に加えられている現在は、主催者である[[フランス西部自動車クラブ]](ACO)がWECのシーズンエントリーをベースに追加エントリーを選考し、招待状を送付する。



審査は前年大会の優勝者、[[FIA 世界耐久選手権]](WEC)への参戦履歴、ACOの車両規定を採用するスポーツカー選手権([[ヨーロピアン・ル・マン・シリーズ]]、[[アジアン・ル・マン・シリーズ]]、[[ユナイテッド・スポーツカー選手権|ウェザーテック・スポーツカー選手権]])における成績などから判断する。


[[FIA ]]WECACO[[]][[]][[|]]<ref>{{Cite web |title=Which teams have already been invited to compete in the 2024 24 Hours of Le Mans? |url=https://www.24h-lemans.com/en/news/which-teams-have-already-been-invited-to-compete-in-the-2024-24-hours-of-le-mans-57964 |website=24h-lemans.com |access-date=2023-11-30 |language=en |publisher=[[西|ACO]] |date=2023-10-22}}</ref><ref>{{Cite web |title=How many competitors will be invited to the 24 Hours of Le Mans 2024? |url=https://en.endurance-info.com/auto/article/108275-how-many-competitors-will-be-invited-24-hours-le-mans-2024 |website=Endurance Info |access-date=2023-11-30 |language=en |date=2023-08-10}}</ref>


また、最大参加台数の55台{{efn|ピットのガレージを拡張したため、2016年より最大59台。}}に加えて、2012年より近未来の自動車技術に挑戦する車両に対して'''ガレージ56'''という賞典外の特別枠が用意されている。2016年は病で四肢を失ったドライバーが選ばれた<ref>{{Cite web |date=2016-06-20 |url=http://wired.jp/2016/06/20/quadruple-amputee-le-mans/ |title=両手両足を失って、彼は「ル・マン」に挑み、見事に完走した |publisher=WIRED |accessdate=2017-04-17}}</ref>。

また、最大参加台数の55台{{efn|ピットのガレージを拡張したため、2016年より最大59台。}}に加えて、2012年より近未来の自動車技術に挑戦する車両に対して'''ガレージ56'''という賞典外の特別枠が用意されている。2016年は病で四肢を失ったドライバーが選ばれた<ref>{{Cite web|和書|date=2016-06-20 |url=http://wired.jp/2016/06/20/quadruple-amputee-le-mans/ |title=両手両足を失って、彼は「ル・マン」に挑み、見事に完走した |publisher=WIRED |accessdate=2017-04-17}}</ref>。



かつては多すぎるエントリー希望者を振るい落とすため、テストデーで[[予備予選]]が行われた時期もある。また、ル・マンに的を絞って特別に開発したマシンで、ルマンに合わせエントリーしようとするマニュファクチャラーがいたため、[[国際自動車連盟]](FIA)がル・マンを含めた[[スポーツカー世界選手権|世界スポーツプロトタイプカー選手権]](WSPC)全戦への参加を義務付けたこともあった

かつては多すぎるエントリー希望者を振るい落とすため、テストデーで[[予備予選]]が行われた時期もある。また、ル・マンに的を絞って特別に開発したマシンで、ルマンに合わせエントリーしようとするマニュファクチャラーがいたため、[[国際自動車連盟]](FIA)がル・マンを含めた[[スポーツカー世界選手権|世界スポーツプロトタイプカー選手権]](WSPC)全戦への参加を義務付けたこともあ



=== スケジュール ===

=== スケジュール ===

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*1位. 19回 - [[ポルシェ]]

*1位. 19回 - [[ポルシェ]]

*2位. 13回 - [[アウディ]]

*2位. 13回 - [[アウディ]]

*3位. 10回 - [[フェラーリ]]

*3位. 11回 - [[フェラーリ]]

*4位. 7回 - [[ジャガー (自動車)|ジャガー]]

*4位. 7回 - [[ジャガー (自動車)|ジャガー]]

*5位. 6回 - [[ベントレー]]

*5位. 6回 - [[ベントレー]]

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*9位. 3回 - [[プジョー]]

*9位. 3回 - [[プジョー]]

*11位.2回 - [[ブガッティ]]

*11位.2回 - [[ブガッティ]]

*11位.2回 - ロレーヌ・ディートリッシュ

*11位.2回 - {{仮リンク2|ロレーヌ・ディートリッシュ|en|Lorraine-Dietrich}}

*11位.2回 - [[メルセデス・ベンツ]]

*11位.2回 - [[メルセデス・ベンツ]]

*14位.1回 - シュナール・エ・ワルケル

*14位.1回 - {{仮リンク2|シュナール・エ・ワルケル|en|Chenard-Walcker}}

*14位.1回 - ラゴンダ

*14位.1回 - [[ラゴンダ]]

*14位.1回 - [[ドライエ]]

*14位.1回 - [[ドライエ]]

*14位.1回 - [[タルボ (自動車メーカー)|タルボ]]

*14位.1回 - [[タルボ (自動車メーカー)|タルボ]]

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== 特筆的な出来事 ==

== 特筆的な出来事 ==

<!-- 話題はだいたいの年代順にソート -->

<!-- 話題はだいたいの年代順にソート -->

=== 一人で24時間に挑戦 ===

=== ドライバー交代なしで24時間に挑戦 ===

[[ピエール・ルヴェー]]は1952年にタルボ=ラーゴで出走し、23時間に渡って[[ステアリング]]を握りトップを走り続けたが、[[疲労]]のためギアを入れ間違えて[[エンジンブロー|エンジンを壊し]]リタイアとなった<ref>『ルマン 伝統と日本チームの戦い』p.40、グランプリ出版。</ref>。現在は危険防止のためレギュレーションが変更されており、このような長時間連続運転はできない。

[[ピエール・ルヴェー]]は1952年にタルボ=ラーゴで出走し、23時間に渡って[[ステアリング]]を握りトップを走り続けたが、[[疲労]]のためギアを入れ間違えて[[エンジンブロー|エンジンを壊し]]リタイアとなった<ref>『ルマン 伝統と日本チームの戦い』p.40、グランプリ出版。</ref>。現在は危険防止のためレギュレーションが変更されており、このような長時間連続運転はできない。



これにより、たなぼた的に優勝(総合1・2位)を果たしたメルセデス・ベンツであったが<ref>[[:en:1952 24 Hours of Le Mans|1952年のル・マン24時間(英語版)]]</ref>、メルセデスのチーム監督であった[[アルフレート・ノイバウアー]]は、その後ルヴェーをメルセデス・ベンツチームへ[[招聘]]している(後述)。

ルヴェーのリタイアにより優勝を果たしたメルセデス・ベンツのチーム監督であった[[アルフレート・ノイバウアー]]は、その後ルヴェーをメルセデスチームへ[[招聘]]している(後述)。



=== 1955年の事故 ===

=== 1955年の事故 ===

{{main|1955年のル・マン24時間レース}}

{{main|1955年のル・マン24時間レース}}

[[1955年]]に発生し、多数の死傷者を出したこの事故は、モータースポーツ界に大きな影響を与えたのみならず、事故の当事者となった自動車メーカーのその後の経営にも大きな影響を与えることになった。


[[File:Mercedes-Benz 300 SLR 1986-08-16.jpg|thumb|220px|right|メルセデス・ベンツ・300 SLR(同型車)]]

[[File:Mercedes-Benz 300 SLR 1986-08-16.jpg|thumb|220px|right|メルセデス・ベンツ・300 SLR(同型車)]]

[[ファイル:Jaguar D-Type 1954.jpg|thumb|220px|right|ジャガー・Dタイプ(同型車)]]

[[ファイル:Jaguar D-Type 1954.jpg|thumb|220px|right|ジャガー・Dタイプ(同型車)]]


1955[[611]]1828[[ ()|]][[]][[]][[]][[]]

[[1955年]][[6月11日]]18時28分、トップを走っていた[[ジャガー (自動車)|ジャガー]]の[[マイク・ホーソーン]]が周回遅れの[[オースチン・ヒーレー]]を抜いた直後に急減速してピットイン。後続のオースチン・ヒーレーのドライバー、[[ランス・マクリン]]が追突を避けようと進路変更したところへ[[メルセデス・ベンツ]]を運転するピエール・ルヴェーが避けきれずに衝突し乗り上げ、空中へ飛び上がった。



'''86200'''



86200

<ref>[[]][[]]</ref>



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[[]]"Fangio"[[]]360m1[[]]調



[[]]"Fangio"[[]]360 m1[[]]調

724姿10[[|]]<ref> 1955 p.214</ref>



7姿10[[|]]<ref> 1955 p.214</ref>

[[西]][[]]<ref group="">[[]][[]][[2007]][[6]]2009</ref> 



[[西]][[]]<ref group="">[[]][[]][[2007]][[6]]2009</ref>[[1|F1]]19553

[[1|F1]]19553[[198524]][[C8]]30姿



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19992[[CLR|AMGCLR]]319552023

[[198524]][[C8]]30姿1999[[CLR|CLR]]31955退2023


事故の当事者の1人であったランス・マクリンは、その後モータースポーツの世界を離れて[[自動車ディーラー|カーディーラー]]経営者となったが、[[2002年]]にこの世を去っている。

マクリンは後年、モータースポーツの世界を離れて[[自動車ディーラー|カーディーラー]]経営者となったが、[[2002年]]にこの世を去っている。



===フェラーリとフォード===

===フェラーリとフォード===

[[File:1965 Ferrari 250 LM.jpg|thumb|220px|right|フェラーリ・250LM(1965年)]]

[[File:1965 Ferrari 250 LM.jpg|thumb|220px|right|フェラーリ・250LM(1965年)]]

[[File:Shelby GT40.jpg|thumb|220px|right|フォード・GT40Mk2(1966年)]]

[[File:Shelby GT40.jpg|thumb|220px|right|フォード・GT40Mk2(1966年)]]

[[1960年]]-[[1963年]]ル・マン24時間レースするなど、[[1960年代]]初頭のスポーツカーレースで最強の座に君臨していた[[フェラーリ]]は、[[モータースポーツ]]への過剰投資や、当時イタリア北部で勢力を増していた[[イタリア共産党]]などの左翼政党が後援した[[労働争議|労使紛争]]とそれがもたらした[[ストライキ]]、さらにフェラーリの妻のラウラによる現場への介入によ、[[1961年]]11月には[[カルロ・キティ]]ら主要メンバーによる[[クーデター]]が勃発し、キティやジオット・ビッザリーニら役員8名が去るなどの事件が起きたことも影響し経営が苦境に陥った。


[[1960]][[1963]]243[[1960]][[]][[]][[]][[|使]][[]][[]][[1961]]11[[]][[]]8



1963[[]][[|]][[]][[]][[]][[]]

1963[[]]2[[]][[]][[]][[]]



[[GT40|GT40]][[1964]]24[[]][[250LM|250LM/275P]]

2[[GT40|GT40]][[1964]]24[[]][[250LM|250LM/275P]]


しかし[[キャロル・シェルビー]]率いるシェルビー・アメリカンの助けを借りマシンを改良し、さらに[[フィル・ヒル]]やボブ・ボンデュラント、[[マリオ・アンドレッティ]]やデイビット・ホッブス、[[ダン・ガーニー]]などの経験豊富なドライバーを擁して6台もの大量エントリーをすることで[[1966年]]に初優勝を飾った。その後フェラーリ[[フォーミュラ1|F1]]に集中し、以降数年間はフォードが連勝することになる。

フォードでは[[キャロル・シェルビー]]率いるシェルビー・アメリカンの助けを借りマシンを改良し、さらに[[フィル・ヒル]]やボブ・ボンデュラント、[[マリオ・アンドレッティ]]やデイビット・ホッブス、[[ダン・ガーニー]]などの経験豊富なドライバーを擁して6台もの大量エントリーをすることで[[1966年]]に初優勝を飾った。その後フェラーリ[[フォーミュラ1|F1]]に集中したこともあって、以降数年間のル・マンはフォードが連勝することになる。



なおその後2社ともに撤退したが、現在フェラーリはLM-GTEに参戦するプライベートチームへのマシンの提供という形で、フォードはLM-GTEにワークスとして復帰しているが、2019年で撤退した。

現在フェラーリはLM-GTEに参戦するプライベートチームへのマシンの提供という形でル・マンに関わっている一方、フォードはLM-GTEにワークスとして復帰していたものの、2019年で撤退した。



=== 映画俳優の参戦 ===

=== 映画俳優の参戦 ===

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=== ユノディエールとその分割 ===

=== ユノディエールとその分割 ===

[[File:Mulsanne Le Mans.jpg|thumb|220px|right|ユノディエール]]

[[File:Mulsanne Le Mans.jpg|thumb|220px|right|ユノディエール]]


6km300&nbsp;km/h1400km/h54

6km300&nbsp;km/h1400 km/h54


日本チームとして最初に参戦したシグマ・オートモーティブ(後の[[サード (企業)|サード]])の監督として赴いた[[加藤眞]]は走行車両を見てマシンが悲鳴を上げているように思え、日本人ドライバーには事前に見せない方が無難ではないかという印象を持った。

日本チームとして最初に参戦したシグマ・オートモーティブ(後の[[サード (企業)|サード]])の監督を務めた[[加藤眞]]は、ユノディエールをるマシンを見てマシンが悲鳴を上げているように思え、日本人ドライバーには事前に見せない方が無難ではないかという印象を持った。



WM・セカテバ・[[プジョー]]は成績よりもこのユノディエールの直線における最高速度に命をかけており、[[1988年のル・マン24時間レース|1988年]]に407km/hの公式記録を残している。しかし実際には計測されていないだけで400km/hを越えていたマシン数多くあったといわれており、[[1989年のル・マン24時間レース|1989年]]には決勝走行中にメルセデス・ベンツの[[ザウバー・C9]]が400km/hを記録した。


WM[[]][[198824|1988]]'''407 km/h'''400 km/h[[198924|1989]][[C9]]400 km/h



FISA[[]]2km[[西]][[198924|1989]]FISA2[[199024|1990]]2FISA1990

FISA[[]]2 km[[西]][[198924|1989]][[1989|]]{{Lang-en-short|World Sports Prototype Championship}}, WSPCFISA2[[199024|1990]]2FISA1990[[1990|WSPC]]


== 各国自動車メーカーの活動 ==

== 各国自動車メーカーの活動 ==

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:[[C|C]][[195124|1951]][[195324|1953]][[D|D]][[195524|1955]][[195724|1957]]3[[]][[198824|1988]][[199024|1990]]

:[[C|C]][[195124|1951]][[195324|1953]][[D|D]][[195524|1955]][[195724|1957]]3[[]][[198824|1988]][[199024|1990]]

;[[ロータス・カーズ|ロータス]]

;[[ロータス・カーズ|ロータス]]


:[[1954]][[]]9<ref>8p.131</ref>2[[195624|1956]]1,100cc7[[196224|1962]]2331997[[|GT1]]2013LMP2T128

:[[1954]][[]]{{2|9|en|Lotus Mark IX|label=9}}<ref>8p.131</ref>2[[195624|1956]]{{2||en|Lotus Eleven|label=}}1,100cc7[[196224|1962]]{{2|23|en|Lotus 23}}31997[[#GT1115|GT1]]2013LMP2[[T128 ()|T128]][[]]

;その他

;その他

* [[アストンマーティン]]が[[1959年のル・マン24時間レース|1959年]]に、[[ガルフ]]・ミラージュが[[1975年のル・マン24時間レース|1975年]]に、総合優勝している。

* [[アストンマーティン]]が[[1959年のル・マン24時間レース|1959年]]に、[[JWオートモーティヴ・エンジニアリング|ガルフ・ミラージュ]]が[[1975年のル・マン24時間レース|1975年]]に、総合優勝している。

* [[マクラーレン]]・カーズ(現[[マクラーレン・オートモーティブ]])が開発し、当時行われていたGT選手権で出走していた[[マクラーレン・F1]] GTRが[[1995年のル・マン24時間レース]]に同レース初出走し、そのまま総合優勝している。

* [[マクラーレン]]・カーズ(現[[マクラーレン・オートモーティブ]])が開発し、当時行われていたGT選手権で出走していた[[マクラーレン・F1#モータースポーツ|マクラーレン・F1 GTR]]が[[1995年のル・マン24時間レース]]に同レース初出走し、そのまま総合優勝している。

* [[ウィリアムズF1]]はドイツの[[BMW]]と共同開発した[[BMW・V12 LMR]]で1999年に総合優勝を果たしている。

* [[ウィリアムズF1]]はドイツの[[BMW]]と共同開発した[[BMW・V12 LMR]]で1999年に総合優勝を果たしている。



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:[[アルファロメオ・8C|8C]]で[[1931年のル・マン24時間レース|1931年]]から[[1934年のル・マン24時間レース|1934年]]まで4連覇した。

:[[アルファロメオ・8C|8C]]で[[1931年のル・マン24時間レース|1931年]]から[[1934年のル・マン24時間レース|1934年]]まで4連覇した。

;[[フェラーリ]]

;[[フェラーリ]]


:[[194924|1949]][[195424|1954]][[195824|1958]][[196024|1960]][[196524|1965]]6[[196624|1966]][[|]][[197324|1973]]退1994333SPGT1F40{{|date=20236}}GT2<ref>"[http://www.topnews.jp/2013/08/02/news/f1/teams/ferrari/94172.html 2015 WEC]". Topnews.20138220131114</ref>[[:en:2023_24_Hours_of_Le_Mans|2023]]5024499P50100

:[[194924|1949]][[195424|1954]][[195824|1958]][[196024|1960]][[196524|1965]]6[[196624|1966]][[|]][[197324|1973]]退1994[[333SP|333SP]]GT1[[F40|F40]][[:en:2023 24 Hours of Le Mans|2023]]5024([[|LMH]])[[499P|499P]]5[[]]LMH100

;[[ランチア]]

;[[ランチア]]


:[[198224|1982]]6LC1[[956]][[198324|1983]]C[[LC2|LC2]][[198424|1984]][[]]

:[[198224|1982]]6[[LC1|LC1]][[956]][[198324|1983]]C[[LC2|LC2]][[198424|1984]][[]]


=== ドイツ ===

=== ドイツ ===

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* [[195124|1951]][[356]]908910[[917]][[197024|1970]][[197124|1971]][[197624|1976]][[197724|1977]][[197924|1979]][[198124|1981]][[198724|1987]]7

* [[195124|1951]][[356]]908910[[917]][[197024|1970]][[197124|1971]][[197624|1976]][[197724|1977]][[197924|1979]][[198124|1981]][[198724|1987]]7

* [[1994年]]は[[ポルシェ・962|ダウアー・ポルシェ]]、[[1996年]]と[[1997年]]は[[1984年]]と[[1985年]]にも組んだ[[ヨースト・レーシング]]、[[1998年]]は[[トム・ウォーキンショー|TWRポルシェ]]と連名で優勝した。ワークスチームとしての参加は1998年の優勝以降はしばらく遠のく。

* [[1994年]]は[[ポルシェ・962|ダウアー・ポルシェ]]、[[1996年]]と[[1997年]]は[[1984年]]と[[1985年]]にも組んだ[[ヨースト・レーシング]]、[[1998年]]は[[トム・ウォーキンショー|TWRポルシェ]]と連名で優勝した。ワークスチームとしての参加は1998年の優勝以降はしばらく遠のく。


* [[201424|2014]]LMP120151717[[201624|2016]]18[[201724|2017]]LMP1LMP221191[[FIA ]]2017退

* [[201424|2014]]LMP120151717[[201624|2016]]18[[201724|2017]]LMP1LMP22[[]][[]][[]]1191[[FIA ]]2017退

;[[メルセデス・ベンツ]]

;[[メルセデス・ベンツ]]


:[[195224|1952]][[195524|1955]]退[[198524|1985]][[]]使[[198824|1988]][[198924|1989]]

:[[195224|1952]][[195524|1955]]退[[198524|1985]][[]]使[[198824|1988]][[198924|1989]]
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=== スイス ===

=== スイス ===

*[[ザウバー]]・モータースポーツ・AGが上記の通り1989年にザウバー・メルセデスとして[[ザウバー・C9]]で総合優勝した。

*[[ザウバー|ザウバー・モータースポーツ・AG]]が上記の通り1989年にザウバー・メルセデスとして[[ザウバー・C9]]で総合優勝した。



=== 日本 ===

=== 日本 ===

266行目: 263行目:

:マツダは日本勢としては最も古く1970年代からル・マン24時間レースに参戦していた。途中[[1984年のル・マン24時間レース|1984年]]にはアメリカ合衆国のチームがマツダ・ロータリーエンジンを積んだBFグッドリッチマツダローラを2台エントリーし、うち1台が総合10位・C2クラスでは優勝という成績を残している<ref>[http://www.mazda.co.jp/philosophy/rotary/motorsports/index05_04.html マツダ公式サイト内の、同年C2クラスで優勝したBFグッドリッチマツダローラT616]</ref>。僚車であるもう一台のBFグッドリッチマツダローラは総合12位に入賞、マツダワークスとして参加した727Cの2台も完走を果たし、4台でダイヤモンドフォーメーションを組んでゴールした。

:マツダは日本勢としては最も古く1970年代からル・マン24時間レースに参戦していた。途中[[1984年のル・マン24時間レース|1984年]]にはアメリカ合衆国のチームがマツダ・ロータリーエンジンを積んだBFグッドリッチマツダローラを2台エントリーし、うち1台が総合10位・C2クラスでは優勝という成績を残している<ref>[http://www.mazda.co.jp/philosophy/rotary/motorsports/index05_04.html マツダ公式サイト内の、同年C2クラスで優勝したBFグッドリッチマツダローラT616]</ref>。僚車であるもう一台のBFグッドリッチマツダローラは総合12位に入賞、マツダワークスとして参加した727Cの2台も完走を果たし、4台でダイヤモンドフォーメーションを組んでゴールした。

:レギュレーションの変更に伴い[[ロータリーエンジン]]が参加できるのは1990年までとなり、[[1990年のル・マン24時間レース]]に[[マツダ・787]]を投入したが惨敗した。しかし1990年秋、各社の新規格プロトタイプカーの準備が整わないことから翌1991年もロータリーエンジンの出場が認められることになった。

:レギュレーションの変更に伴い[[ロータリーエンジン]]が参加できるのは1990年までとなり、[[1990年のル・マン24時間レース]]に[[マツダ・787]]を投入したが惨敗した。しかし1990年秋、各社の新規格プロトタイプカーの準備が整わないことから翌1991年もロータリーエンジンの出場が認められることになった。

:[[1991年のル・マン24時間レース|1991年]]、日本のメーカーとして初めて総合優勝を果たした。優勝車両は[[マツダ・787]]B、ドライバーは[[ジョニー・ハーバート]]/[[ベルトラン・ガショー]]/[[フォルカー・ヴァイドラー]]。同時に参戦していた他の2台も6位と8位に入った。なおこの年はファイナルラップ中に24時間のゴールタイムを迎えたため終了前に観客がコースになだれ込んでしまい、マツダはピットロードにてチェッカーを受けることになってしまった。更にゴール時にドライブしていたジョニー・ハーバートが[[脱水症状]]を起こし、ゴール直後に医務室に搬送されたために表彰台に姿を現さない一幕もあった。

:[[1991年のル・マン24時間レース|1991年]]、日本のメーカーとして初めて総合優勝を果たした。優勝車両は[[マツダ・787#787B|マツダ・787B]]、ドライバーは[[ジョニー・ハーバート]]/[[ベルトラン・ガショー]]/[[フォルカー・ヴァイドラー]]。同時に参戦していた他の2台も6位と8位に入った。なおこの年はファイナルラップ中に24時間のゴールタイムを迎えたため終了前に観客がコースになだれ込んでしまい、マツダはピットロードにてチェッカーを受けることになってしまった。更にゴール時にドライブしていたジョニー・ハーバートが[[脱水症状]]を起こし、ゴール直後に医務室に搬送されたために表彰台に姿を現さない一幕もあった。

:大資本をバックに大々的に参戦してきた他の日本勢と違い、ロータリーエンジンという独自の技術とともに、長い年月をかけて地道に参戦を続けてきた{{独自研究範囲|マツダの総合優勝は、多くの地元観客のみならず、他の参戦ワークスチームや世界中のモータースポーツファンから大きな賞賛を浴びた|date=2018年6月}}。

:大資本をバックに大々的に参戦してきた他の日本勢と違い、ロータリーエンジンという独自の技術とともに、長い年月をかけて地道に参戦を続けてきた{{独自研究範囲|マツダの総合優勝は、多くの地元観客のみならず、他の参戦ワークスチームや世界中のモータースポーツファンから大きな賞賛を浴びた|date=2018年6月}}。


:55[[ ()|]][[]]{{|date=20186}}

:55[[ ()|]][[]]{{|date=20186}}
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:トヨタが「ワークス」として参戦するようになったのは[[1987年のル・マン24時間レース|1987年]]からで、トヨタ・チーム・トムスからのエントリーである。翌[[1988年のル・マン24時間レース|1988年]]には[[トヨタ・87C|88C]]が12位で完走している。[[1990年のル・マン24時間レース|1990年]]には[[トヨタ・90C-V|90C-V]]が6位に入賞。1年の参戦中断の後[[1992年のル・マン24時間レース|1992年]][[トヨタ・TS010|TS010]]で復帰したが、雨の中のレースでプジョーに破れ、結局総合2位にとどまった。

:トヨタが「ワークス」として参戦するようになったのは[[1987年のル・マン24時間レース|1987年]]からで、トヨタ・チーム・トムスからのエントリーである。翌[[1988年のル・マン24時間レース|1988年]]には[[トヨタ・87C|88C]]が12位で完走している。[[1990年のル・マン24時間レース|1990年]]には[[トヨタ・90C-V|90C-V]]が6位に入賞。1年の参戦中断の後[[1992年のル・マン24時間レース|1992年]][[トヨタ・TS010|TS010]]で復帰したが、雨の中のレースでプジョーに破れ、結局総合2位にとどまった。

:[[1994年のル・マン24時間レース|1994年]]には[[サード (企業)|サード]]から[[トヨタ・94C-V|トヨタ94C-V]]が参戦し、シフトリンケージが壊れあと一歩のところで総合優勝を逃し、総合2位、クラス優勝となった。

:[[1994年のル・マン24時間レース|1994年]]には[[サード (企業)|サード]]から[[トヨタ・94C-V|トヨタ94C-V]]が参戦し、シフトリンケージが壊れあと一歩のところで総合優勝を逃し、総合2位、クラス優勝となった。

:久々の復帰となった[[1998年のル・マン24時間レース|1998年]]は[[トヨタ・チーム・ヨーロッパ|TTE]]を通じて出走した[[トヨタ・GT-One TS020|TS020]]が圧倒的な速さを見せたが、終了30分前にリタイア。また[[1999年のル・マン24時間レース|1999年]]には[[片山右京]]、[[土屋圭市]]、[[鈴木利男]]組が1998年仕様と同型の3号車での出場ながらトップに迫る快走を見せたが、タイヤバーストに見舞われ総合2位に終わった。トヨタは[[2002年]]からの[[フォーミュラ1|F1]]参戦に集中するため同年限りで参戦を休止した。

:久々の復帰となった[[1998年のル・マン24時間レース|1998年]]は[[トヨタ・チーム・ヨーロッパ]](TTE)を通じて出走した[[トヨタ・GT-One TS020|TS020]]が圧倒的な速さを見せたが、終了30分前にリタイア。また[[1999年のル・マン24時間レース|1999年]]には[[片山右京]]、[[土屋圭市]]、[[鈴木利男]]組が1998年仕様と同型の3号車での出場ながらトップに迫る快走を見せたが、タイヤバーストに見舞われ総合2位に終わった。トヨタは[[2002年]]からの[[フォーミュラ1|F1]]参戦に集中するため同年限りで参戦を休止した。

:なお先述のTTEの前身はラリーチームであったオベ・アンダーソンモータースポーツであり、のちの[[トヨタF1]]の実働部隊である[[トヨタ・モータースポーツ]](TMG)の母体となった組織である。ル・マン参戦前は[[世界ラリー選手権|WRC]]にトヨタ・セリカGT-Fourやトヨタ・カローラWRCなどで参戦し、選手権を制覇している。

:なお先述のTTEの前身はラリーチームであったオベ・アンダーソンモータースポーツであり、のちの[[トヨタF1]]の実働部隊である[[トヨタ・モータースポーツ]](TMG)の母体となった組織である。ル・マン参戦前は[[世界ラリー選手権|WRC]]にトヨタ・セリカGT-Fourやトヨタ・カローラWRCなどで参戦し、選手権を制覇している。

:[[2012年のル・マン24時間レース|2012年]]には[[ハイブリッドカー]]の[[トヨタ・TS030 HYBRID|TS030 HYBRID]]で13年振りにル・マン復帰。2台で参戦し予選で3位になり、決勝でもトップ争いを繰り広げたものの、1台は周回遅れの車と絡んでクラッシュ、残る1台もトラブルでリタイアした。[[2013年のル・マン24時間レース|2013年]]には、決勝で2位に入賞。新モデルの[[トヨタ・TS040 HYBRID|TS040 HYBRID]]で臨んだ[[2014年のル・マン24時間レース|2014年]]では、予選で7号車の[[中嶋一貴]]が[[日本初の一覧|日本人初]]の[[ポールポジション]]を獲得、中嶋は本選途中リタイアだったがもう1台の8号車が決勝では3位に入賞した<ref>[https://news.mynavi.jp/article/20140617-a144/ トヨタ、ル・マン24時間レース3位入賞も「結果は厳粛に受け止めなければ」]</ref><ref>[http://news.mynavi.jp/news/2014/06/14/207/ 【ル・マン24時間2014】中嶋一貴選手がル・マン初の日本人ポールポジションを獲得!]</ref>。[[2015年のル・マン24時間レース|2015年]]も参戦したもののライバルにスタートから終始圧倒され続けてしまい、完走したものの2台とも表彰台に昇ることはできなかった。[[2016年のル・マン24時間レース|2016年]]はマシンを[[トヨタ・TS050 HYBRID|TS050 HYBRID]]へ変更し、ポルシェと最後まで競り合い初の総合優勝がほぼ確実と思われた終盤残り3分、トップを走っていた5号車がマシントラブルによりストップしポルシェに逆転を許した<ref>[http://www.as-web.jp/sports-car/24429?cx_top=pickup トヨタ初勝利の夢、残り3分で破れる。ル・マン24時間はポルシェ2号車が大逆転勝利]</ref>。なお残った6号車が2位でチェッカーを受けている<ref>当の5号車はのちにチェッカーを受け、周回数では2位ではあるが最終周回にかかった時間が規定(首位でチェッカーフラッグを受けた車両より6分以内にチェッカーフラッグを受けた車両を完走扱いとするルールが存在する)を超えたため完走扱いになっておらず、失格またはリタイア扱いとなる。この時はリタイアの届出を行わなかったため規定違反で失格となった。</ref>。

:[[2012年のル・マン24時間レース|2012年]]には[[ハイブリッドカー]]の[[トヨタ・TS030 HYBRID|TS030 HYBRID]]で13年振りにル・マン復帰。2台で参戦し予選で3位になり、決勝でもトップ争いを繰り広げたものの、1台は周回遅れの車と絡んでクラッシュ、残る1台もトラブルでリタイアした。[[2013年のル・マン24時間レース|2013年]]には、決勝で2位に入賞。新モデルの[[トヨタ・TS040 HYBRID|TS040 HYBRID]]で臨んだ[[2014年のル・マン24時間レース|2014年]]では、予選で7号車の[[中嶋一貴]]が[[日本初の一覧|日本人初]]の[[ポールポジション]]を獲得、中嶋は本選途中リタイアだったがもう1台の8号車が決勝では3位に入賞した<ref>[https://news.mynavi.jp/article/20140617-a144/ トヨタ、ル・マン24時間レース3位入賞も「結果は厳粛に受け止めなければ」]</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20150402182122/http://news.mynavi.jp/news/2014/06/14/207/ 【ル・マン24時間2014】中嶋一貴選手がル・マン初の日本人ポールポジションを獲得!]</ref>。[[2015年のル・マン24時間レース|2015年]]も参戦したもののライバルにスタートから終始圧倒され続けてしまい、完走したものの2台とも表彰台に昇ることはできなかった。[[2016年のル・マン24時間レース|2016年]]はマシンを[[トヨタ・TS050 HYBRID|TS050 HYBRID]]へ変更し、ポルシェと最後まで競り合い初の総合優勝がほぼ確実と思われた終盤残り3分、トップを走っていた5号車がマシントラブルによりストップしポルシェに逆転を許した<ref>[http://www.as-web.jp/sports-car/24429?cx_top=pickup トヨタ初勝利の夢、残り3分で破れる。ル・マン24時間はポルシェ2号車が大逆転勝利]</ref>。なお残った6号車が2位でチェッカーを受けている<ref>当の5号車はのちにチェッカーを受け、周回数では2位ではあるが最終周回にかかった時間が規定(首位でチェッカーフラッグを受けた車両より6分以内にチェッカーフラッグを受けた車両を完走扱いとするルールが存在する)を超えたため完走扱いになっておらず、失格またはリタイア扱いとなる。この時はリタイアの届出を行わなかったため規定違反で失格となった。</ref>。

[[File:Tokyo Auto Salon 2019 (39804218063).jpg|thumb|230px|トヨタ・TS050 HYBRID 8号車<br/>([[東京オートサロン]]2019にて)]]

[[File:Tokyo Auto Salon 2019 (39804218063).jpg|thumb|230px|トヨタ・TS050 HYBRID 8号車<br/>([[東京オートサロン]]2019にて)]]

:[[2018年]]はTS050 HYBRID 8号車の[[セバスチャン・ブエミ]]、中嶋一貴、[[フェルナンド・アロンソ]]組が悲願の初優勝を飾った。8号車はポールポジションからスタートを切り、[[ポールトゥーウィン]]の快挙を果たした。2位にもTS050 HYBRID 7号車の[[マイク・コンウェイ]]、小林可夢偉、[[ホセ・マリア・ロペス]]組が入った。途中7号車の小林がピットインのタイミングを忘れ一時燃料に懸念が生じセーフティモード走行で意図的にスローダウンせざるを得なかったなど人為的ミスはあったものの、8号車と7号車は最前列スタートから一度もトップ2を譲らないレース運びで、ル・マン24時間レース完全制覇を果たした。日本人が運転する日本車が優勝したのは史上初。

:[[2018年]]はTS050 HYBRID 8号車の[[セバスチャン・ブエミ]]、中嶋一貴、[[フェルナンド・アロンソ]]組が悲願の初優勝を飾った。8号車はポールポジションからスタートを切り、[[ポールトゥーウィン]]の快挙を果たした。2位にもTS050 HYBRID 7号車の[[マイク・コンウェイ]]、小林可夢偉、[[ホセ・マリア・ロペス]]組が入った。途中7号車の小林がピットインのタイミングを忘れ一時燃料に懸念が生じセーフティモード走行で意図的にスローダウンせざるを得なかったなど人為的ミスはあったものの、8号車と7号車は最前列スタートから一度もトップ2を譲らないレース運びで、ル・マン24時間レース完全制覇を果たした。日本人が運転する日本車が優勝したのは史上初。

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;[[本田技研工業|ホンダ]]

;[[本田技研工業|ホンダ]]

:[[1994年のル・マン24時間レース|1994年]]から[[本田技研工業|ホンダ]]も[[ホンダ・NSX#レース活動|NSX GT]]により参戦を始めた。初年度はクレマーレーシングとのタイアップにより3台が参戦し、数多くのトラブルに見舞われ下位に沈むも、全車完走を果たした。

:[[1994年のル・マン24時間レース|1994年]]から[[本田技研工業|ホンダ]]も[[ホンダ・NSX#レース活動|NSX GT]]により参戦を始めた。初年度はクレマーレーシングとのタイアップにより3台が参戦し、数多くのトラブルに見舞われ下位に沈むも、全車完走を果たした。

:2年目の[[1995年のル・マン24時間レース|1995年]]はTCPエンジニアリングが製作したGT1を3台(ターボ車両2台及びNA車両1台)、GT2を2台([[チーム国光]]及び[[中嶋企画]])エントリーさせたが、GT1ターボ車両と中嶋企画とがアクシデントにより予備予選を通過できなかった。ターボ車の一台に至っては、原因不明のトラブルでコースに出ることすらできずに予備予選落ちとなった。後に分解して調査した結果、カウルが電気系統のハーネスを挟み込んでいたために起きた断線が原因であることが判明している。中嶋企画はタイムアタックがうまく行かず好タイムを出せないでいたところに、ピットアウト時にオフィシャルが突然マシンの前に飛び出して撥ねてしまうというアクシデントに見舞われた。幸いオフィシャルは軽傷で済んだが、このためフロントウインドウを大破し、その補修に手間取るうちにタイムアタックの機会を失い、予備予選の時間が終了となってしまった。チーム側はこれを不服として嘆願書を提出して抗議したが、再度のタイムアタックは受理されず、結局決勝進出は果たせなかった(後の[[十勝24時間レース]]や[[鈴鹿1000km]]でもチーム国光とは全く明暗が分かれることとなる)。

:2年目の[[1995年のル・マン24時間レース|1995年]]はTCPエンジニアリングが製作したGT1を3台(ターボ車両2台及び[[自然吸気|NA]]車両1台)、GT2を2台([[チーム国光]]及び[[中嶋企画]])エントリーさせたが、GT1ターボ車両と中嶋企画とがアクシデントにより予備予選を通過できなかった。ターボ車の一台に至っては、原因不明のトラブルでコースに出ることすらできずに予備予選落ちとなった。後に分解して調査した結果、カウルが電気系統のハーネスを挟み込んでいたために起きた断線が原因であることが判明している。中嶋企画はタイムアタックがうまく行かず好タイムを出せないでいたところに、ピットアウト時にオフィシャルが突然マシンの前に飛び出して撥ねてしまうというアクシデントに見舞われた。幸いオフィシャルは軽傷で済んだが、このためフロントウインドウを大破し、その補修に手間取るうちにタイムアタックの機会を失い、予備予選の時間が終了となってしまった。チーム側はこれを不服として嘆願書を提出して抗議したが、再度のタイムアタックは受理されず、結局決勝進出は果たせなかった(後の[[十勝24時間レース]]や[[鈴鹿1000km]]でもチーム国光とは全く明暗が分かれることとなる)。

:決勝レースでは、GT1クラスのターボ車が序盤にリタイア、NA車が深夜にクラッシュし、修復したものの義務周回数不足となり完走扱いとならなかったが、悪天候の中を果敢に攻めたノバ・エンジニアリングメンテナンスのチーム国光([[高橋国光]]/[[土屋圭市]]/[[飯田章]]組)がGT2クラスでクラス優勝を果たした。GT1クラスのターボエンジン車はル・マンの後に鈴鹿サーキットでテストを行っているが、それ以降姿を消しており、ワークスチームであるGT1クラスの参戦はこの年限りで終了した。

:決勝レースでは、GT1クラスのターボ車が序盤にリタイア、NA車が深夜にクラッシュし、修復したものの義務周回数不足となり完走扱いとならなかったが、悪天候の中を果敢に攻めたノバ・エンジニアリングメンテナンスのチーム国光([[高橋国光]]/[[土屋圭市]]/[[飯田章]]組)がGT2クラスでクラス優勝を果たした。GT1クラスのターボエンジン車はル・マンの後に鈴鹿サーキットでテストを行っているが、それ以降姿を消しており、ワークスチームであるGT1クラスの参戦はこの年限りで終了した。


:[[199624|1996]]GT21324

:[[199624|1996]]GT21324
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:2015年にはLMP2クラスにS103を投入し、ストラッカ童夢の42号車としてルマンを出走したが、ミッショントラブルによりリタイアした。

:2015年にはLMP2クラスにS103を投入し、ストラッカ童夢の42号車としてルマンを出走したが、ミッショントラブルによりリタイアした。

;マツダオート東京(1979年、1981 - 1983年)

;マツダオート東京(1979年、1981 - 1983年)

:[[1974年のル・マン24時間レース|1974年]]にシグマ・オートモーティブとジョイントで参戦したマツダオート東京は、[[1979年のル・マン24時間レース|1979年]]に自らのチームで参戦を果たした。マシンは[[国際モータースポーツ協会|IMSA]]-GTO仕様の[[マツダ・RX-7|サバンナRX7・252i]]であった。しかしマツダ本社のサポートを得られず、マシンのテスト不足とチーム体制の不備により結果は予選落ちとなった。

:[[1974年のル・マン24時間レース|1974年]]にシグマ・オートモーティブとジョイントで参戦したマツダオート東京は、[[1979年のル・マン24時間レース|1979年]]に自らのチームで参戦を果たした。マシンは[[IMSA GT選手権|IMSA-GTO]]仕様の[[マツダ・RX-7|サバンナRX7・252i]]であった。しかしマツダ本社のサポートを得られず、マシンのテスト不足とチーム体制の不備により結果は予選落ちとなった。


:[[198024|1980]][[198124|1981]][[]]TWR1979調[[]][[199124|1991]]RX725322[[198224|1982]]RX725421/[[]]/14

:[[198024|1980]][[198124|1981]][[]]TWR1979調[[]][[199124|1991]]RX725322[[198224|1982]]RX725421/[[]]/14

:[[198324|1983]]C71722C12TWR[[]][[]]

:[[198324|1983]]C71722C12TWR[[]][[]]

;[[トムス]](1980年、1985 - 1986年)

;[[トムス]](1980年、1985 - 1986年)

:[[1980年のル・マン24時間レース|1980年]]、[[トヨタ・セリカ]]RA40系ベースの[[国際モータースポーツ協会|IMSA]]-GTXマシンで初参戦し予選落ち。

:[[1980年のル・マン24時間レース|1980年]]、[[トヨタ・セリカ]]RA40系ベースの[[IMSA GT選手権|IMSA-GTXマシン]]で初参戦し予選落ち。

:[[1982年のル・マン24時間レース|1982年]]、童夢と共同で日本で初めて[[グループC]]カーを開発し[[WEC-JAPAN]]に参戦。[[1983年]]以降WEC-JAPANおよび全日本耐久選手権(後の[[全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権]])にフル参戦するようになった。

:[[1982年のル・マン24時間レース|1982年]]、童夢と共同で日本で初めて[[グループC]]カーを開発し[[WEC-JAPAN]]に参戦。[[1983年]]以降WEC-JAPANおよび全日本耐久選手権(後の[[全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権]])にフル参戦するようになった。

:[[1985年のル・マン24時間レース|1985年]]、童夢とともにトヨタエンジンを搭載した[[童夢・84C|85C-L]]で5年ぶりにル・マンに参戦し12位完走。これが事実上トヨタのル・マン初参戦である。翌[[1986年のル・マン24時間レース|1986年]]、[[トムス・86C|86C-L]]で参戦するが完走できなかった。[[1987年のル・マン24時間レース|1987年]]以降はトヨタ・チーム・トムス(TTT)として、トヨタワークスとしての活動になった。

:[[1985年のル・マン24時間レース|1985年]]、童夢とともにトヨタエンジンを搭載した[[童夢・84C|85C-L]]で5年ぶりにル・マンに参戦し12位完走。これが事実上トヨタのル・マン初参戦である。翌[[1986年のル・マン24時間レース|1986年]]、[[トムス・86C|86C-L]]で参戦するが完走できなかった。[[1987年のル・マン24時間レース|1987年]]以降はトヨタ・チーム・トムス(TTT)として、トヨタワークスとしての活動になった。



=== その他の日本のチーム、ドライバー ===

=== その他の日本のチーム、ドライバー ===

[[File:Hall of fame Le Mans-winners 1995.JPG|thumb|220px|right|関谷の手形が納められた優勝記念プレート]]

[[File:Hall of fame Le Mans-winners 1995.JPG|thumb|220 px|right|関谷の手形が納められた優勝記念プレート]]

[[File:Seiji Ara 2010 Motorsport Japan.jpg|thumb|220px|right|荒聖治(2010年)]]

[[File:Seiji Ara 2010 Motorsport Japan.jpg|thumb|150 px|right|荒聖治(2010年)]]

* [[1986年のル・マン24時間レース|1986年]]から1990年まで[[高橋国光]]がドイツ・クレマーレーシングの[[ポルシェ・962C]]で参戦。最高位は1988年の9位。当時の日本人最高位記録。

* [[1986年のル・マン24時間レース|1986年]]から1990年まで[[高橋国光]]がドイツ・クレマーレーシングの[[ポルシェ・962C]]で参戦。最高位は1988年の9位。当時の日本人最高位記録。

* [[1987年のル・マン24時間レース|1987年]]には[[岡田秀樹]]が[[ザウバー]]から参戦。リタイア。岡田は88年から90年までクレマーレーシングのポルシェで参戦、最高位は高橋国光と組んだ88年で9位。


* [[198724|1987]][[ ()|]][[]]8890889

*[[198824|1988]][[]][[]]ADAADA0318C22[[]][[]]C22

*[[198824|1988]][[]][[]]ADAADA0318C22[[]][[]]C22

*[[198924|1989]][[]][[]]C20B14C2[[FromA|FromA]][[]]15C22

*[[198924|1989]][[]][[]]C20B14C2[[FromA|FromA]][[]]15C22
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*2021年には[[青木拓磨]]がフランスのSRT41チームより特別枠で出場(マシンはオレカ07・ギブソン、ドライバーは青木拓磨、スヌーシー・ベン・マッサ、ナイジェル・バリー)<ref>[https://www.as-web.jp/sports-car/418468?all 元WGPライダーの青木拓磨が2020年のWECル・マン24時間レースに出場],autosport web,2018年10月10日</ref><ref>

*2021年には[[青木拓磨]]がフランスのSRT41チームより特別枠で出場(マシンはオレカ07・ギブソン、ドライバーは青木拓磨、スヌーシー・ベン・マッサ、ナイジェル・バリー)<ref>[https://www.as-web.jp/sports-car/418468?all 元WGPライダーの青木拓磨が2020年のWECル・マン24時間レースに出場],autosport web,2018年10月10日</ref><ref>

[https://www.jomo-news.co.jp/sports/gunma/319464 「障害あっても夢はかなう」 車いすレーサーの青木拓磨がルマン24時間に初参戦 青木3兄弟の次男],上毛新聞,2021年8月21日</ref>。334周、総合32位で完走している。

[https://www.jomo-news.co.jp/sports/gunma/319464 「障害あっても夢はかなう」 車いすレーサーの青木拓磨がルマン24時間に初参戦 青木3兄弟の次男],上毛新聞,2021年8月21日</ref>。334周、総合32位で完走している。


*2021Dstation racingLMGTE Am[[]]633<ref>{{Cite web |title=2021WEC489247 {{!}} /WEC {{!}} autosport web |url=https://www.as-web.jp/sports-car/730756 |website=AUTO SPORT web |date=2021-08-22 |access-date=2022-05-22 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web |title=Dstation Racing246 |url=https://jp.motorsport.com/lemans/news/lemans24-2021-Dstation-fujii/6653463/ |website=jp.motorsport.com |access-date=2022-05-22 |language=ja}}</ref>2022FIA<ref>{{Cite web |title=D'station Racing2022WEC {{!}} /WEC {{!}} autosport web |url=https://www.as-web.jp/sports-car/775514 |website=AUTO SPORT web |date=2022-01-12 |access-date=2022-05-22 |language=ja}}</ref>

*2021[[]]Dstation racingLMGTE Am[[]][[]]633<ref>{{Cite web||title=2021WEC489247 {{!}} /WEC {{!}} autosport web |url=https://www.as-web.jp/sports-car/730756 |website=AUTO SPORT web |date=2021-08-22 |access-date=2022-05-22 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web||title=Dstation Racing246 |url=https://jp.motorsport.com/lemans/news/lemans24-2021-Dstation-fujii/6653463/ |website=jp.motorsport.com |access-date=2022-05-22 |language=ja}}</ref>2022FIA<ref>{{Cite web||title=D'station Racing2022WEC {{!}} /WEC {{!}} autosport web |url=https://www.as-web.jp/sports-car/775514 |website=AUTO SPORT web |date=2022-01-12 |access-date=2022-05-22 |language=ja}}</ref>


== 日本での中継 ==

== 日本での中継 ==

{{出典の明記|date=2023年9月}}

日本では、株式会社[[マクランサ]]代表の[[林正史]](株式会社童夢代表の[[林みのる]]の実弟)の企画により、[[1979年]]に[[TBSテレビ|TBS]]による2時間番組「ルマン栄光への24時間」が全国放送された。同じく、林正史の企画・プロデュースにより[[1982年]]から[[1986年]]まで[[テレビ朝日]]がダイジェスト版を放送し、 [[1987年]]から[[2003年]]まで中継を行っていた。2004年と2005年は、[[衛星放送|CS放送]]の[[スカパー!プレミアムサービス|スカイパーフェクTV!]]でレース前後を含めた25時間完全生中継、[[スポーツ・アイ ESPN]](後の[[J SPORTS|J sports ESPN]])でも部分的に中継を行っていた。

日本では、株式会社[[マクランサ]]代表の[[林正史]](株式会社童夢代表の[[林みのる]]の実弟)の企画により、[[1979年]]に[[TBSテレビ|TBS]]による2時間番組「ルマン栄光への24時間」が全国放送された。同じく、林正史の企画・プロデュースにより[[1982年]]から[[1986年]]まで[[テレビ朝日]]がダイジェスト版を放送し、 [[1987年]]から[[2003年]]まで中継を行っていた。2004年と2005年は、[[衛星放送|CS放送]]の[[スカパー!プレミアムサービス|スカイパーフェクTV!]]でレース前後を含めた25時間完全生中継、[[スポーツ・アイ ESPN]](後の[[J SPORTS|J sports ESPN]])でも部分的に中継を行っていた。




20062008CS[[|G+]]2012BS[[J SPORTS]]8614<ref group="">2013J SPORTS20124122015[[J SPORTS STADIUM|]][[|]][[|]]5</ref> 20172530<ref>{{Cite web |url=https://web.archive.org/web/20170606110607/https://www.jsports.co.jp/press_release/20170602.html |date=2017-06-02 |title=2424J SPORTS |publisher=J SPORTS |accessdate=2017-06-13}}</ref>J SPORTS[[!]]242012[[CNBC]][[]]

20062008CS[[|G+]]2012BS[[J SPORTS]]8614<ref group="">2013J SPORTS20124122015[[J SPORTS STADIUM|]][[|]][[|]]5</ref> 20172530<ref>{{Cite web||url=https://web.archive.org/web/20170606110607/https://www.jsports.co.jp/press_release/20170602.html |date=2017-06-02 |title=2424J SPORTS |publisher=J SPORTS |accessdate=2017-06-13}}</ref>J SPORTS[[!]]242012[[CNBC]][[]]


=== テレビ朝日のテレビ中継 ===

=== テレビ朝日のテレビ中継 ===

毎年原則として、スタート直前の日本時間土曜22時59分(現地時間15時59分)[[フォーメーションラップ]]がメゾンブランツェに到達する頃放送開始、放送開始直後に出場する全マシンの[[グリッド (モータースポーツ)#種類|スターティンググリッド]]がテロップで紹介され、スタートから2周ほどした後オープニングと提供クレジット、そこから1時間程中継し(ここまでがパート1とされた)日曜午前0時過ぎ頃にニュース等による中断を挟み、その後午前2時過ぎまでパート2を中継し、ニュース等での中断を挟んでパート3を午前5時まで(年によっては4時までの場合もあった)放送。その後日曜午後にパート4を1時間半程放送(2003年は放送されず)。ここまでが生中継。ゴールとなるパート5はディレイ録画で日本時間日曜23時に放送開始し1時間半程中継、合計約9時間にも及ぶ長時間中継であった。

毎年原則として、スタート直前の日本時間土曜22時59分(現地時間15時59分)[[フォーメーションラップ]]がメゾンブランツェに到達する頃放送開始、放送開始直後に出場する全マシンの[[グリッド (モータースポーツ)#種類|スターティンググリッド]]がテロップで紹介され、スタートから2周ほどした後オープニングと提供クレジット、そこから1時間程中継し(ここまでがパート1とされた)日曜午前0時過ぎ頃にニュース等による中断を挟み、その後午前2時過ぎまでパート2を中継し、ニュース等での中断を挟んでパート3を午前5時まで(年によっては4時までの場合もあった)放送。その後日曜午後にパート4を1時間半程放送(2003年は放送されず)。ここまでが生中継。ゴールとなるパート5は遅延録画で日本時間日曜23時に放送開始し1時間半程中継、合計約9時間にも及ぶ長時間中継であった。



なお[[UEFA欧州選手権|サッカー欧州選手権]]開催年にはスタート/ゴールが現地時間15時と1時間早まるため、日本でのスタート時の放送は録画であった。日本時間土曜23時の放送開始で、録画のためスタート進行は[[グリッド (モータースポーツ)#種類|ダミーグリッド]]からフォーメーションラップがスタートする場面から放送が開始された。

なお[[UEFA欧州選手権|サッカー欧州選手権]]開催年にはスタート/ゴールが現地時間15時と1時間早まるため、日本でのスタート時の放送は録画であった。日本時間土曜23時放送が開始された。



それぞれの時間帯がパートで分けられており、それに沿って実況するアナウンサーは交替していた<ref group="注釈">主にスタートを担当したアナウンサーは日曜午後の放送とゴールの放送を担当し、中断から朝4 - 5時までのパート2 - 3は別のアナウンサーが担当する傾向にあった。</ref>。

それぞれの時間帯がパートで分けられており、それに沿って実況するアナウンサーは交替していた<ref group="注釈">主にスタートを担当したアナウンサーは日曜午後の放送とゴールの放送を担当し、中断から朝4 - 5時までのパート2 - 3は別のアナウンサーが担当する傾向にあった。</ref>。



競合する同業社が同じ番組を提供するということは当時の広告業界ではタブーとされていたが、非常に長時間に及ぶこの番組を成立させるためには競合する自動車メーカーや、タイヤメーカーの協力が必要不可欠であった。企画者の林正史が各メーカーを説得して廻り、日本ではじめて競合社が提供する番組が誕生した。

競合する同業社が同じ番組を提供するということは当時の広告業界では禁忌とされていたが、非常に長時間に及ぶこの番組を成立させるためには競合する自動車メーカーや、タイヤメーカーの協力が必要不可欠であった。企画者の林正史が各メーカーを説得して廻り、日本ではじめて競合社が提供する番組が誕生した。

;実況

;実況

* [[東出甫]](1987年)

* [[東出甫]](1987年)

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* [[ミシェル・ヴァイヨン]](2003年、フランス)

* [[ミシェル・ヴァイヨン]](2003年、フランス)

*[[フォードvsフェラーリ]] (2019年、アメリカ)

*[[フォードvsフェラーリ]] (2019年、アメリカ)

*[[グランツーリスモ (映画)]] (2023年、アメリカ)



'''ドラマ'''

'''ドラマ'''

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* Le MANS 83(1983年、[[東映ビデオ]]、プロデュース DUKE marketing ltd)

* Le MANS 83(1983年、[[東映ビデオ]]、プロデュース DUKE marketing ltd)

* ル・マン カタログ'85(1985年、[[クリエイティヴ・コア|TDKコア]])

* ル・マン カタログ'85(1985年、[[クリエイティヴ・コア|TDKコア]])

*[[プロジェクトX〜挑戦者たち〜]]ロータリー 47士の闘い ~夢のエンジン 廃墟からの誕生~(2000年放送、DVD [[NHKエンタープライズ]])



'''LP'''

'''LP'''

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== 格言 ==

== 格言 ==

昼夜を通して24時間走り続ける過酷なレース現場では予期せぬトラブルが発生することから、日本では「'''ル・マンには魔物が棲んでいる'''<ref>{{Cite web |date=2016-06-20 |url=https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/motorsports/motorsports/2016/06/20/24_1/ |title=トヨタの悲願達成ならず。中嶋一貴が語ったル・マン24時間のラスト3分 |author=川喜田研 |publisher=web Sportiva |accessdate=2017-04-15}}</ref>」との格言が生まれた。[[2016年]]には、初優勝を目指してトップを快走していた[[トヨタ自動車|トヨタ]]のマシンが車両故障のため、'''残り3分'''で[[ポルシェ]]に逆転された。

昼夜を通して24時間走り続ける過酷なレース現場では予期せぬトラブルが発生することから、日本では「'''ル・マンには魔物が棲んでいる'''<ref>{{Cite web|和書|date=2016-06-20 |url=https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/motorsports/motorsports/2016/06/20/24_1/ |title=トヨタの悲願達成ならず。中嶋一貴が語ったル・マン24時間のラスト3分 |author=川喜田研 |publisher=web Sportiva |accessdate=2017-04-15}}</ref>」との格言が生まれた。[[2016年]]には、初優勝を目指してトップを快走していた[[トヨタ自動車|トヨタ]]のマシンが車両故障のため、'''残り3分'''で[[ポルシェ]]に逆転された。



== 脚注 ==

== 脚注 ==

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* [[アメリカン・ル・マン・シリーズ]]

* [[アメリカン・ル・マン・シリーズ]]

* [[アジアン・ル・マン・シリーズ]]

* [[アジアン・ル・マン・シリーズ]]

* [[録画チャンネル4.5]] - 本番組と同じく同業他社が同一番組スポンサーとなった番組。



== 外部リンク ==

== 外部リンク ==

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[[Category:耐久レース]]

[[Category:耐久レース]]

[[Category:テレビ朝日のスポーツ番組]]

[[Category:テレビ朝日のスポーツ番組]]

[[Category:テレビ朝日の深夜番組の歴史]]

[[Category:近藤真彦]]

[[Category:フランスのモータースポーツ大会]]

[[Category:フランスのモータースポーツ大会]]

[[Category:ル・マンのスポーツ]]

[[Category:ル・マンのスポーツ]]


2024年6月16日 (日) 14:19時点における最新版

ル・マン24時間レース
24 Heures du Mans
FIA 世界耐久選手権
開催地 サルト・サーキット
初開催 1923
耐久時間 24時間
最多勝利
(ドライバー)
トム・クリステンセン (9)
最多勝利
(チーム)
ヨースト・レーシング (13)
最多勝利
(マニファクチャー)
ポルシェ (19)

24: 24 Heures du Mans 24

西ACOWEC124

[]

2017

192324Grand Prix d'Endurance de 24 Heures "Coupes Rudge-Whitworth"[ 1]1500: Triple Crown of Motorsport2424LMSWEC24303005000km

193619401948

開催方式[編集]

サーキット[編集]

ル・マン24時間が開催されるサルト・サーキットのピット

24Le circuit des 24 heures du Mans13km2/3使24

6km1988405km/h19902

[]


FIA  (WEC) 1西ACOWEC

FIA WECACO[1][2]

55[ 2]2012562016[3]

FIAWSPC

[]

242018

616

12322

3西ACO63

ル・マン式スタート[編集]

ル・マン式スタート(1965年

1925



19711972

WEC

[]


EU1651999192312""

1990Z 300ZX1997GT-RBCNR33

[]


A1923 - 17.262 km - 

B1929 - 16.340 km

C1932 - 13.492 km - 

D1956 - 13.461 km - 1955退

E1968 - 13.469 km

F1972 - 13.640 km

G1979 - 13.626 km

H198613.528 km - 

I1987 - 13.535 km - 

J1990 - 13.600 km - 2

K1997 - 13.605 km - 

L2002 - 13.650 km - S

M200613.650 km - 

N2007 - 13.629 km - 

O2018 - 13.626 km - 

/[]

メーカー別勝利数[編集]

ポルシェ・956(1983年)
アウディ・R10 TDI(2006年)
ベントレー・4½リットル(1928年)

特筆的な出来事[編集]

ドライバー交代なしで24時間に挑戦[編集]


195223[4]


1955年の事故[編集]

メルセデス・ベンツ・300 SLR(同型車)
ジャガー・Dタイプ(同型車)

19556111828

86200

[5]

"Fangio"360 m1調

7姿10[6]

西[ 3]F119553

 1955 201

198524C830姿1999CLR31955退2023

2002

[]

250LM1965
GT40Mk21966

196019632431960使1961118

19632

2GT40196424250LM/275P

61966F1

LM-GTELM-GTE2019退

[]

2009

1970122

19792

19941995NISMO102002200313

20092013LMGTE-Am342015LMGTE-Am2FIA

[]


6km300 km/h1400 km/h54



WM1988407 km/h400 km/h1989C9400 km/h

FISA2 km西1989: World Sports Prototype Championship, WSPCFISA219902FISA1990WSPC

[]

[]


1923&



19251926



19371939



1938

DB//

DB194919611954195619591960196119631966197219731974[7]



195019921993



1978



1980



199219932009

[]




1924219271930420012003873



C19511953D19551957319881990



19549[8]219561,100cc719622331997GT12013LMP2T128



19591975

GTF1 GTR199524

F1BMWBMWV12 LMR1999

[]




8C193119344



19491954195819601965619661973退1994333SPGT1F4020235024(LMH)499P5LMH100



19826LC19561983CLC21984

[]




195135690891091719701971197619771979198119877

199419961997198419851998TWR1998

2014LMP1201517172016182017LMP1LMP221191FIA 2017退



19521955退1985使19881989

195519881999CLR33退西2

BMW

1995F1-GTRBMWBMW MGmbHBMW8#M8S70/26.1LV12DOHC48

199924BMWBMWV12 LMRBMWKERS911 GT3 R2012R18 e-tron 



1999321

R820002002220042005

2006R10 TDI2007200823200420085

20102011102012R18 e-tron 

2016WEC退退18

[]




1950







1963ACAC7GTGT1965196619694退




[]


AG1989C9

[]


1970B1610A

1970

198019911992退

20122018201922020LMP132021LMH42022使


7571988
1991787B

1970241984BF2110C2[9]BF12727C24

199019902478719901991

1991787B//26824姿

[?]

55[]

1991退MX-R0119924退

1994RX-7GTOFC3S退

R390




1986WEC-JAPANR85VR86V2R85V16

2R87ER88C41989R89C3

1990NMER90CKR90CP35

1995GTR-LMGT-R-LM1997GT-1R3901998R39034101999R3912000R391CEO退

2015GT-R LM NISMO退

GT-One TS0201999




1987198888C12199090C-V611992TS0102

199494C-V2

1998TTETS0203019991998322002F1

TTEF1TMGWRCGT-FourWRC

2012TS030 HYBRID13231120132TS040 HYBRID20147183[10][11]201522016TS050 HYBRID35[12]62[13]
TS050 HYBRID 8
2019

2018TS050 HYBRID 882TS050 HYBRID 7787224

201978722[14]

202083

20212LMHGR010 HYBRID4782

NSX




1994NSX GT3

21995TCPGT132NA1GT22GT1調24鹿1000km

GT1NA//GT2GT1鹿姿GT1

1996GT21324

[]




197312AMC73TOYOTAMC7379

197424

19752T-GMC75

19901994C//219951996GTMC8RLM-GT

1979 - 1986

1978-197924RLF1DFV11

1980RLRL801251981RL80

1982DFLRC8219831RC821984RC-83退RC82

1985BGT-TS2,090cc4T-GT85C-L85C-L198686C-L1

S101Hbi 2006


2001FIA FIA SCCS101Racing for Holland20012007200120034R8200320046

2005S101-HbS101.52008S102332012S102.54

2015LMP2S10342

19791981 - 1983

19741979IMSA-GTORX7252i

19801981TWR1979調1991RX7253221982RX725421//14

1983C71722C12TWR

19801985 - 1986

1980RA40IMSA-GTX

1982CWEC-JAPAN1983WEC-JAPAN

198585C-L512198686C-L1987TTT

[]

2010

19861990962C19889

19878890889

1988ADAADA0318C22C22

1989C20B14C2FromA15C22

19901992F3962C3962C1319

1991FEDCOSE90C/DFR//12121AO3SE90C/DFR47/TFR

1992T92/1013SE90C/DFR160LapNC

1993911C30

1994ADA962GTI3

19951985  F1 GTR /UKJ.J.

1997 F1 GTR LM88

1999BMWV12 LM223

2000"(Dragon)"LMP-12LM-GT22"(Tiger)"LMP-1911GT3LM-GT

2001S101

20022004KONDO RacingS101200313

2002R87

2003R84

2004R812

JLOC20062007120092010

2009RS

19931996199519961997

200220082YGK使R&D SPORT185退2012YGK

2016458GT2LM-GTE

2017MR488GTE20182019LM-GTE

2021SRT4107[15][16]33432

2021Dstation racingLMGTE Am633[17][18]2022FIA[19]

[]


1979TBS22419821986 1987200320042005CSTV!25 ESPNJ sports ESPN

20062008CSG+2012BSJ SPORTS8614[ 4] 20172530[20]J SPORTS!242012CNBC

[]


2259155921102235441200352319

/15123

沿[ 5]





1987

1987

19871994

1988 - 91 - 

1988 - 931995 - 96 - 

1991 - 92 - 

19931995 - 2003

1994

1997 - 20002003 - 2002

2001 - 02



1987 - 19901992 - 91

1987- 

1991 - 95- 90

1995 - 2003 - !1995

2001



1988 - 89

1988

19931996 - 2001

1996

1997

2002

2003



1992

1994

2000

2001



1991 - 93

1998 - 99

2001 - 03

2001



1987) - 

1989

1990 - 

1992 - 

1994 - 1995 - 

MANISH1996 - 

 (1999) - 

SOPHIA2001 - MANISH



1987 - 1988

1989

1995

1995

2000



1987 - 88

1989 - 901993 - 971999 - 20012003

1991 - 92

1998

2002

1990

1991

1992

1993

1994 - 95

1996

1997 - 99

2000

2001

2002 - 03



1987 - 891987 - 88 1997 - 99500

1987 - Jerry GoodmanRockers

1988 - 3Talkin' Bout

1989 - GenesisBehind The Lines

1990 - Can You Feel It

1991 -   (1991 Version)

1992 - DIMENSIONOut Of Wind

1993 - FORCEHUNAUDIERES

1994 - FORCEDISTANT VIEW

1995 - DIMENSIONLand Breeze

1996 - MANISHIt's so Natural

1997 - DRUMMELTER

1998 - CORNELIUSCount 5,6,7,8

1999 - LUNA SEAG.

2000 - COOL RUN

2001 - SOPHIAKURU KURU

2002 - SOPHIAROCK STAR

2003 - B'zIT'S SHOWTIME!!

[]


199019912



1990 - 1991

24[]




Le Mans1971

2003

vs (2019

 () (2023



1992



'84 24HEURES DU MANS1984



 1984

24

'82 !1982

DOME&TOM'S IN LE MANS '851985

24 HEURES DU MANS 19831983

Dramas of Le Mans 24Hours1980

'86 LE MANS 24 HOURS RACE1986

Le MANS 831983 DUKE marketing ltd

 '851985TDK

X47  2000DVD NHK

LP

24HEURES DU MANS 19831983Japan Records

TINNA/DOME IS A CHILD'S DREAM1979EMI

ZERO RL1979EMI

FUNKY TRACK/1984

DIGITAL EXPLOSION '831983EMI

VHD

DOME & TOM'S IN LE MANS '851985

CD

24 HEURES DU MANS 19831983Japan Records

Hot & Long Battle LE MANS 24 HOURS '901990



 ISBN 978-4195775387

 ISBN 978-4195792780

 -  ISBN 978-4575296983 199424

  18 1975193061950   





 ISBN 978-4391920086

'58'89 30 ISBN 978-4924664685



1976

WEC241986︿

24 ()1997︿

1988︿2

24TEST DRIVE LE MANS2001PlayStation 2

4PS22004

[]


24[21]20163

[]

注釈[編集]



(一)^ 2424 Heures du Mans1937

(二)^ 201659

(三)^ 200762009

(四)^ 2013J SPORTS201241220155

(五)^ 4 - 52 - 3

出典[編集]



(一)^ Which teams have already been invited to compete in the 2024 24 Hours of Le Mans? (). 24h-lemans.com.  ACO (20231022). 20231130

(二)^ How many competitors will be invited to the 24 Hours of Le Mans 2024? (). Endurance Info (2023810). 20231130

(三)^ .  WIRED (2016620). 2017417

(四)^  p.40

(五)^ 

(六)^  1955 p.214

(七)^ -11    p.42

(八)^ 8p.131

(九)^ C2BFT616

(十)^ 243

(11)^ 242014

(12)^ 3242

(13)^ 52(6

(14)^ [2019.6.17]

(15)^ WGP2020WEC24,autosport web,20181010

(16)^   24 3,,2021821

(17)^ 2021WEC489247 | /WEC | autosport web. AUTO SPORT web (2021822). 2022522

(18)^ Dstation Racing246. jp.motorsport.com. 2022522

(19)^ D'station Racing2022WEC | /WEC | autosport web. AUTO SPORT web (2022112). 2022522

(20)^ 2424J SPORTS.  J SPORTS (201762). 2017613

(21)^  (2016620). 243.  web Sportiva. 2017415

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]