オティス・ケーリ
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オティス・ケーリ︵Otis Cary、1851年4月20日 - 1932年7月25日︶は、アメリカ合衆国の宣教師である。オーテス・ケーリとも表記する。息子フランク、同名の孫と三代に亘るアメリカン・ボード宣教師[1]。
略歴[編集]
1851年マサチューセッツ州に生まれる。アマースト大学に入学し、在学中に新島襄と知り合う。同校を1872年に卒業し、1876年アンドーヴァー神学校を卒業する。1878年エレンと結婚し、来日する。 岡山教会で、金森通倫と共に1879年より10年間牧会をする。その時、片山潜、留岡幸助らと出会う。後に、山陽女学院を創設する。 1892年より同志社の教授になり、1918年まで教会史、説教学、社会学などと教える。神戸女学院の初代理事長を務める。 帰国後、ロサンゼルスやユタ州オグデンで伝道をする。1904年アマースト大学より名誉神学博士号を受ける。1909年に、日本におけるキリスト教史について書いた﹃History of Christianity in Japan: Roman Catholic, Greek Orthodox, and Protestant Missions﹄︵New York: Fleming H. Revell, 1919. 後に合本の復刻版が1976年にCharles E. Tuttle社刊行︶を出版。 三男フランクも宣教師で同志社理事、その孫は、同志社大学教授のオーテス・ケーリ。脚注[編集]
(一)^ 北垣宗治﹁新発見の新島英文資料﹂﹃同志社談叢﹄第34号、同志社大学同志社社史資料センター、2014年3月、1-33,図巻頭8-10、CRID 1390853649844499840、doi:10.14988/pa.2017.0000014160、ISSN 0389-7168、NAID 120005642084。,[要ページ番号]
参考文献[編集]
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