ドウェイト・ウィットニー・ラーネッド
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ドワイト・ホイットニー・ラーネッド Dwight Whitney Learned | |
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D・W・ラーネッド宣教師の肖像 | |
生誕 |
1848年10月12日 アメリカ合衆国コネチカット州 |
死没 |
1943年3月19日(94歳没) アメリカ合衆国 |
出身校 | イエール大学 |
職業 | 宣教師、教育者(セーヤー大学、同志社大学) |
著名な実績 | 日本で初めての「社会主義」の講義、大正改訳聖書の委員 |
宗教 |
キリスト教(アメリカン・ボード(会衆派) ハワイアン・ボード) |
ドウェイト・ウィットニー・ラーネッド︵Dwight Whitney Learned, 1848年10月12日 - 1943年3月19日︶は、アメリカ合衆国出身の教育者、会衆派の外国伝道組織アメリカン・ボードの宣教師。同志社大学第2代学長。
経歴[編集]
コネチカット州出身。1873年にイェール大学大学院修了後、25歳にしてミズーリ州セーヤー大学教授に就任する。その2年後に職を退き、日本に渡来する。 1876年4月から新島襄を助けるため草創期の同志社の教育に尽くす。[1]専門の聖書、神学、キリスト教教会史、教理史、新約釈義のほか、数学、物理学、天文学、ギリシャ語、ラテン語など、多岐にわたって講義を担当した。 1886年から1908年にわたって訳刊された﹃新約聖書注解書﹄は、聖書全巻にわたる注解としては最も古い。その後の聖書和訳の改訂に伴ってこれらの改訂版も出たほか、﹃羅馬教会論﹄、﹃基督教会歴史﹄など多くの著書がある。 1878年から1892年にかけて行われた経済学、政治学の講義は当時﹃七一雑報﹄に﹁経済学略記﹂、﹃六合雑誌﹄に﹁政治学大意﹂として掲載され、のち﹃経済新論﹄、﹃経済学之原理﹄として訳刊された。また日本の学校で最初に社会主義を講義したのは、ラーネッドといわれている。学問の最高権威と言われた帝国大学の学生の中には、特にある時期だけ同志社に来てラーネッドの聴講生になった者もいた。留岡幸助によれば、﹁右手に聖書、左手に経済学﹂と述べていたとされる[2]ほどの真摯な教育者であった。 1919年同志社大学学長に就任。1928年、退任して帰国。 ラーネッドから影響を受けた学生には、近代日本に多大な貢献をした徳富蘇峰 、安部磯雄、海老名弾正、小崎弘道、深井英五、浮田和民などがいる。徳富蘇峰は﹁記者が幼少の際、先生として師事したる人は、殆どいない。真に吾師といふを敢えてするものは、只ラーネッド先生一人のみ﹂と述べている[3]。 ラーネッドの愛誦の言葉は﹁LEARN TO LIVE AND LIVE TO LEARN︵生きるために学び,学ぶために生きよ︶﹂栄典[編集]
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 高橋昌郎『明治のキリスト教』吉川弘文館、2003年
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 同志社の宣教師たち―初期の七人をめぐって キリスト教文化センター│京都 同志社大学