ジャン・ジロドゥ
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ジャン・ジロドゥ Jean Giraudoux | |
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ジャン・ジロドゥ 1927年 | |
誕生 |
イポリット・ジャン・ジロドゥ 1882年10月29日 フランス、ベラック(ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏、オート=ヴィエンヌ県) |
死没 |
1944年1月31日(61歳没) フランス、パリ |
墓地 | パッシー墓地 |
職業 | 小説家、劇作家、政治家 |
言語 | フランス語 |
最終学歴 | 高等師範学校 |
代表作 |
『トロイ戦争は起こらない』 『ジークフリート』 『シャイヨの狂女』 |
主な受賞歴 | レジオンドヌール勲章コマンドゥール |
子供 | ジャン=ピエール・ジロドゥ |
ウィキポータル 文学 |
ジャン・ジロドゥ︵Jean Giraudoux、1882年10月29日 - 1944年1月31日︶は、フランスの外交官・劇作家・小説家。オート=ヴィエンヌ県の小都邑ベラック生まれ。ナチス占領末期のパリで死去。
ジロドゥが死去したオルセー河岸通り89番地にある銘板
1940年 - 1944年の被占領中は、レジスタンスに協力し、ルイ・アラゴンらとも通じていた。
1941年、ゴーモン映画会社︵Gaumont︶の文芸部長となり、シナリオ2本を書く。
1942年、﹃マルザックのアポロ﹄︵のち﹃ベラックのアポロ﹄と改題︶の草稿を、大戦を避けて南米を巡業中のジューヴェに送り、リオ・デ・ジャネイロで初演される。1943年、﹃ソドムとゴモル﹄を、ジューヴェ不在のパリで、ドゥキング︵Georges Douking︶の演出により初演する。
パッシー墓地のジロドゥの墓
1944年1月31日、尿毒症のため、パリ7区オルセー河岸通り (Quai d'Orsay) 89番地で急死、61歳没。7区サン=ドミニク通り (Rue Saint-Dominique) のサン=ピエール=デュ=グロ=カイユ教会 (Église Saint-Pierre-du-Gros-Caillou, HP) で葬儀を営み、パッシー墓地に葬る。
1945年12月22日、遺作﹃シャイヨの狂女﹄を、帰国したルイ・ジューヴェが初演する。
1951年7月1日、故郷ベラックに﹁ジャン・ジロドウ記念碑﹂が建ち、ジューヴェらが故人の作品の抜粋を演じた。
経歴[編集]
1882年、土木監督の父レジェ︵Léger︶と母アンヌ・ラコスト︵Anne Lacoste︶との間に生まれ、父の転勤にしたがう。 1887年、アンドル県ペルヴォアザン︵Pellevoisin︶の小学校へ入る。 1893年、アンドル県シャトールーのリセ︵現在のリセ・ジャン・ジロドゥ・シャトールー(Lycée Jean Giraudoux Châteauroux)︶に進む。戯曲作りをこころみる。 1898年、シャルル=ルイ・フィリップとエドモン・ロスタンとから、励ましの返書をもらう。 1900年、パリのリセ・ラカナル︵Lycée Lakanal︶に、給費生として移る。1901年、リセを卒業して兵役につき、1903年除隊後、パリの高等師範学校に進む。ドイツ語の優等賞を受け、1905年首席で卒業、給費生としてミュンヘンに留学し、ついで東欧・南欧に遊ぶ。 1906年、ハーヴァード大学のフランス語教師として渡米し、1907年帰国し、ル・マタン紙の文芸担当記者に就職する。小説を書き進める。 1909年、小説集﹃田舎の人々﹄を出版。売れ行きはよくなかったが、アンドレ・ジッドの目にとまる。 1910年、外務省政治経済局副領事見習生となり、かたわら小説を発表し、注目され始める。 1914年、第一次世界大戦に出征して負傷、入院する。1915年、ダーダネルスで諜報活動にしたがい、ふたたび負傷、パリに戻る。レジオン・ド=ヌール勲章コマンドゥールを受ける。1916年、教導士官としてポルトガルへ、ついでアメリカへ派遣される。 1918年、大戦終結、結婚。 1919年、外務省に復帰する。長男誕生。1920年、フランス海外事業局︵Service des Œuvres Françaises Etrangère︶に入り、翌1921年、局長となる。1922年、小説﹃ジークフリートとリムーザン人﹄を出版し、バルザック賞を受ける。 1924年、駐独大使館秘書官としてベルリンに赴任。短期間で戻り新聞情報局長となる。1926年 - 1933年、連合国損害評価委員会︵Commission d'évaluation des dommages︶委員を勤める。 1927年、演出家・俳優のルイ・ジューヴェを知る。ジューヴェは当時、シャンゼリゼ劇場内のコメディ・デ・シャンゼリゼに一座を構えていた。ジロドゥは、ジューヴェに励まされながら、﹃ジークフリートとリムーザン人﹄をもとに台本を練り、1928年5月3日、初戯曲﹃ジークフリード﹄の初演に漕ぎつけた。成功であった。﹁この芝居はジューヴェと一座の人々とが作り上げた。台本は無署名がふさわしい﹂とジロドゥは記した。 以降ジロドゥは、次々と戯曲を書き、ほとんどをジューヴェ一座が上演し、さながら同座の座付作者であった。ほとんどが好評であった。台本にト書きが少ないのは、一座の意見を入れては訂正を重ねたためという。ギリシア神話や旧約聖書などを下敷きにした反リアリズムの、新鮮な作風であった。上演の記録は、次項の﹁戯曲﹂にある。 1934年、外交官・領事の監督官となる。1936年、世界一周旅行をする。 1939年、第二次世界大戦の勃発と共に、ダラディエ首相に乞われ情報局長となり、ラジオ放送でナチスと対抗するが、1940年3月、ドイツ軍侵入による内閣の退陣とともに、辞職する。6月のフランス降伏後、一時、地方に疎開して、間もなくパリに戻る。作品[編集]
小説[編集]
列の右端の括弧は、出版年。 ●田舎の人々︵Provinciales︶︵1909︶ ●無頓着学校︵L'École des indifférents︶︵1911︶ ●幽霊教育︵Lectures pour une ombre︶︵1917︶ ●悲壮なシモン︵Simon le Pathétique︶︵1918︶ ●エルペノール︵Elpénor︶︵1919︶ ●アミカ・アメリカ︵Amica America︶︵1919︶ ●素晴らしいクリオ︵Adorable Clio︶︵1920︶ ●シュザンヌと太平洋︵Suzanne et le Pacifique︶︵1921︶ ●ジークフリートとリムーザン人︵Siegfried et le Limousin︶︵1922︶ ●男の国のジュリエット︵Juliette au pays des hommes︶︵1924︶ ●ベラ︵Bella︶︵1926︶ ●エグランティーヌ︵Églantine︶︵1927︶ ●バルディーニの冒険︵Aventures de Jérôme Bardini︶︵1930︶ ●センチメンタルなフランス︵La France sentimentale︶︵1932︶ ●天使との戦い︵Combat avec l'ange︶︵1934︶ ●選り抜きの女たち︵Choix des élues︶︵1939︶ ●舷側の幽霊︵L'ombre sur les joues︶︵遺作︶︵1952︶ ●嘘つき女︵La Menteuse︶︵遺作︶︵1958︶随筆・評論[編集]
列の右端の括弧は、出版年。 ●ラ・フォンテーヌの五つの﹁誘惑﹂︵Les cinq Tentations de La Fontaine︶︵1938︶ ●文学︵Littérature︶︵文芸評論など︶︵1941︶ ●ヴィジタシオン︵Visitations︶︵以下遺稿︶︵1947︶ ●全権力と無権力︵Pleins pouvoirs et Sans pouvoirs︶︵対外放送の原稿︶︵1951︶ ●夜の黄金︵Or dans la nuit︶︵文芸評論など︶︵1969︶戯曲[編集]
題名、︵原題︶、︵初演年月日︶、劇団、劇場の順序に列記。 ●ジークフリート︵Siegfried︶、︵192.5.3︶、ジューヴェ一座、コメディ・デ・シャンゼリゼ ●アンフィトリオン38︵Amphitryon 38︶、︵1929.11.8︶、ジューヴェ一座、コメディ・デ・シャンゼリゼ ●ユディット︵Judith︶、︵1931.11.5︶、ジューヴェ演出、ピガール劇場 ●間奏曲︵Intermezzo︶、︵1933.3.1︶、ジューヴェ一座、コメディ・デ・シャンゼリゼ、フランシス・プーランク曲 ●テッサ︵Tessa︶、︵1934.11.14︶、ジューヴェ一座、アテネ劇場︵Théâtre de l'Athénée︶ ●トロイ戦争は起こらない︵La guerre de Troie n'aura pas lieu︶、︵1935.11.22︶、ジューヴェ一座、アテネ劇場、モーリス・ジョベール曲 ●クック船長航海異聞︵Supplément au voyage de Cook︶、︵1935.11.22︶、ジューヴェ一座、アテネ劇場 ●エレクトル︵Électre︶、︵1937.5.13︶、ジューヴェ一座、アテネ劇場 ●パリ即興劇︵L'Impromptu de Paris︶、︵1937.12.4︶、ジューヴェ一座、アテネ劇場 ●カンティック・デ・カンティック︵Cantique des cantiques︶、︵1938.10.13︶、ジューヴェ演出、コメディ・フランセーズ ●オンディーヌ︵Ondine︶、︵1939.5.4︶、ジューヴェ一座、アテネ劇場、アンリ・ソーゲ曲 ●マルザックのアポロ︵L'Apollon de Marsac︶、︵1942.6.16︶、ジューヴェ一座、リオ・デ・ジャネイロ、︵戦後﹃ベラックのアポロ﹄と改題︶ ●ソドムとゴモル︵Sodome et Gomorrhe︶、︵1943.10.11︶、ドゥキング演出、エベルト劇場︵Théâtre Hébertot︶、アルテュール・オネゲル曲 ●シャイヨの狂女︵La Folle de Chaillot︶、︵1945.12.22︶、ジューヴェ一座、アテネ劇場、アンリ・ソーゲ曲 ●ルクレチアのために︵Pour Lucrèce︶、︵1951︶、︵1953.11︶、ルノー=バロー劇団、マリニー劇場︵Théâtre Marigny︶シナリオ[編集]
●ランジェーの侯爵夫人︵La Duchesse de Langeais︶︵1942︶ ●罪の天使︵Les Anges du péché︶︵1943︶戯曲の日本初演[編集]
外題、初演日、劇団、演出者、劇場の順序に列記。 ●クック船長航海異聞‥1950.9.15、文学座、芥川比呂志・矢代静一、文学座アトリエ ●間奏曲‥1954.12.17、劇団四季、浅利慶太、飛行館ホール ●アンフィトリオン38‥1955.11.8、劇団四季、浅利慶太、神田一橋講堂 ●トロイ戦争は起こらない‥1957.6.15、劇団四季、浅利慶太、神田一橋講堂 ●ジークフリート‥1958. 8.23、劇団四季、浅利慶太、第一生命ホール ●オンディーヌ‥1958.12.16、劇団四季、浅利慶太、俳優座劇場 ●シャイヨの狂女‥1961.3.14、俳優座演劇研究所、木村鈴吉、俳優座劇場 ●エレクトル‥1962.7.15、劇団四季、浅利慶太、第一生命ホール ●ユディット、1964.7.1、東京都学生演劇連盟、森千二、紀伊国屋ホール ●リュクレース︵ルクレチア︶のために‥1968.9.10、劇団四季、浅利慶太、第一生命ホール ●テッサ‥1973.7.31、劇団四季、浅利慶太、西武劇場 ●ベラックのアポロ‥1987.1.23、劇団四季、浅利慶太、第一生命ホール ●パリ即興劇‥ ●ソドムとゴモル‥日本語訳書[編集]
新しい版のみを記す。- 『天使とのたたかい』中村眞一郎訳、世界文学全集23:集英社 1965.9
- 『シュザンヌと太平洋』中村眞一郎訳、世界文学全集23:集英社 1965.9
- 『選り抜きの女たち』高畠正明訳、世界文学全集58:筑摩書房 1970
- 『ベラ』白井浩司訳、世界文学全集76:講談社 1979
- 『ベタニ ― 罪の天使』今野雅方、縄田靖子共訳、ノンブル社 1986
- 『ジロドゥ戯曲全集』白水社(全6冊)、新装版 2001.7
- 1 ジークフリート、2 ユディット、3 テッサ、4 クック船長航海異聞
- 5 カンティック・デ・カンティック、6 ベルラックのアポロ
- 初版は1957年、以降度々復刊された
- 『オンディーヌ』二木麻里訳、光文社古典新訳文庫 2008、ISBN 978-4-334-751524
- 『トロイ戦争は起こらない』岩切正一郎訳、ハヤカワ演劇文庫 2017.9、ISBN 978-4-15-1400414
参考図書[編集]
- 川島順平:ジャン・ジロードゥーの戯曲、白水社(1959)
- 諏訪正:ジュヴェの肖像、芸立出版KK (1989)ISBN 4-87466-050-9
- 江川卓:新潮世界文学辞典、新潮社(1990)ISBN 978-4107302090
外部リンク[編集]
- ジロドゥ・アカデミー(フランス語)
- ジロドゥの映画シナリオ(英語)