ジョホールバル
表示
ジョホールバル Johor Bahru | |
---|---|
愛称 : JB | |
標語 : "'Berkhidmat, Berbudaya, Berwawasan" | |
位置 | |
座標 : 北緯1度29分00秒 東経103度44分00秒 / 北緯1.48333度 東経103.73333度 | |
行政 | |
国 | マレーシア |
州 | ジョホール州 |
ジョホールバル | |
市長 | アムラン・ラフマン |
地理 | |
面積 | |
域 | 185 km2 (72.27 mi2) |
人口 | |
人口 | (2010年現在) |
域 | 497,067人 |
公式ウェブサイト : http://www.mbjb.gov.my |
ジョホールバル︵ラテン文字‥Johor Bahru、略称‥JB、ジャウィ文字‥جوهر بهارو︶は、マレー半島最南端に位置する、マレーシア・ジョホール州の州都で、クアラルンプールに次いで2番目に大きい都市。日本語ではジョホール・バール、ジョホール・バルとも表記される。
概要[編集]
人口は約50万人。中国語の地名表記は﹁新山﹂という。 ジョホール海峡を挟んだ対岸にシンガポールがあり、相互往来は盛んである[1]。実際、マレーシアの入国審査場を抜けてすぐのところが中心市街地で、地元の人も﹁マングリッシュ︵マレーシアなまりの英語︶﹂ではなく、﹁シングリッシュ︵シンガポール訛りの英語︶﹂を話す。また、シンガポールへの観光ツアーにも、このジョホール・バルが組み込まれている事が多く、通貨も、シンガポールドルでの支払が可能な店舗もある。マレーシア国内だが、マレーシアのラジオよりシンガポールのラジオのほうがよく入る。 サッカー日本代表がFIFAワールドカップ本戦初出場を決めたジョホールバルの歓喜の地として、日本でもその名を知られる所でもある。 2006年より大規模な開発計画イスカンダル・マレーシアが進められ、隣国シンガポールの好調な経済発展の影響もあり急速な発展を遂げている。歴史[編集]
●1942年1月31日 - 太平洋戦争の初期に、山下奉文率いる日本軍が、現地を長年植民地支配していたイギリス軍を放逐して占領。 ●1942年2月8日 - 同じくイギリス植民地であるシンガポールの占領を目標とし、日本軍がゴムボートでジョホール海峡を渡った。 ●1945年8月15日 - 日本の連合国軍に対する敗戦が決まり、イギリスの植民地に戻る。 ●1997年11月16日 - 1998 FIFAワールドカップ・アジア第3代表決定戦﹁日本-イラン﹂を開催。延長戦の末、日本が3-2で勝利し初のW杯本大会出場を決めた。交通[編集]
空港[編集]
●スナイ国際空港 エアアジアの拠点となっている。鉄道[編集]
●マレー鉄道 ●JBセントラル駅 ●クンパス・バル駅 ●RTS 2021年に着工, 2026予定開業 ●ブキットチャガル駅バス[編集]
●JBセントラル・バスターミナル ●ラーキン・バス・ターミナル ●タマンジョホールジャヤ・バス・ターミナル港湾[編集]
●ジョホール・バル国際フェリー・ターミナル ジョホール州のタンジュン・ブルンコールに、高速船が就航している。 インドネシアのビンタン島・バタム島に、高速船が就航している。ゆかりの人物[編集]
●シュラ - 歌手。姉妹都市[編集]
ジッダ、サウジアラビア イスタンブール、トルコ 深圳市、中華人民共和国脚注[編集]
- ^ “デジタル大辞泉の解説”. コトバンク. 2018年4月30日閲覧。
関連項目[編集]
●高岳親王 - 仏の教えを求め、インドに向かう途中、マレー半島の南端辺りで消息を絶ったと伝わる。このため、当地の日本人墓地に墓がある。 ●蓮田善明 ●ジョホールバルの歓喜 ●在ジョホールバル出張駐在官事務所 - 1999年から2014年にかけて存在外部リンク[編集]