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大分町︵おおいたまち︶は、かつて大分県大分郡にあった町である。
1955年︵昭和30年︶2月1日に大分県大分郡稙田村、東稙田村、賀来村が合併︵新設合併︶して大分村が発足。2年後の1957年︵昭和32年︶4月1日︶に町制を施行し、大分町となった。
1963年︵昭和38年︶3月10日には、大分市、鶴崎市、大分郡大南町、北海部郡大在村、同坂ノ市町と合併︵新設合併︶して新たに大分市となり、大分町は消滅した。
大分町は、1963年合併時の大分市の市域においては南西部を占め︵ただし、2005年︵平成17年︶に野津原町などが大分市に編入されたため、現在の大分市の市域はさらに南西にも広がっている︶、合併後には稙田地区と呼ばれている。大分市役所の支所として稙田支所が設置されている。
大分村・大分町が存続したのは通算約8年と比較的短期間であったが、この期間における大分県内には大分市と大分村・大分町が隣接し、併存していたことになる。また、大分市は1889年︵明治22年︶の発足から1911年︵明治44年︶の市制施行までの間は大分町という名称だったので、1957年︵昭和32年︶発足の大分町は2代目の大分町ということになる。なお、初代の大分町と2代目の大分町の町域は隣接するものの、重なってはいない。
●1889年︵明治22年︶4月1日 - 町村制施行により、稙田︵わさだ︶村、西稙田︵にしわさだ︶村、東稙田︵ひがしわさだ︶村、賀来︵かく︶村が発足する。
●1907年︵明治40年︶4月1日 - 稙田村と西稙田村が合併︵新設合併︶し、新たに稙田村となる。
●1955年︵昭和30年︶2月1日 - 稙田村、東稙田村、賀来村が合併︵新設合併︶し、大分村となる。
●1957年︵昭和32年︶4月1日 - 町制を施行し、大分町となる︵一部地域は挾間町へ分離︶。
●1963年︵昭和38年︶3月10日 - 大分市、鶴崎市、大南町、大在村、坂ノ市町と合併︵新設合併︶し、新たに大分市となる。
※消滅直前のデータ
関連項目[編集]