奥井一満
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奥井 一満︵おくい かずみつ、1933年︵昭和8年︶7月8日 - 2004年︵平成16年︶2月11日︶は、日本の評論家[1]。学位は、農学博士[1]。北里大学名誉教授[1]。専門は、動物行動学・昆虫学・博物学。群馬県太田市出生、神奈川県鎌倉市出身[1]。
経歴[編集]
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●1933年︵昭和8年︶父 中島飛行機製作所飛行機技師・奥井定次郎、母・ムメ吉の長男として群馬県新田郡太田町︵現太田市︶において出生。
●1939年︵昭和14年︶父の中島飛行機退社・独立に伴い神奈川県鎌倉市扇ヶ谷に転居。鎌倉聖母幼稚園に入園。
●1940年︵昭和15年︶4月神奈川県立鎌倉師範学校付属小学校︵神奈川県師範学校男子部付属国民学校と改名、敗戦後国民学校から小学校に戻る。現在は横浜国立大学教育学部附属鎌倉小学校︶に入学。
●1949年︵昭和21年︶神奈川県立湘南中学校入学。
●1949年︵昭和24年︶新制・神奈川県立湘南高等学校入学。
●1950年︵昭和25年︶敗戦後の混乱により父の事業が消滅。鎌倉から神奈川県高座郡海老名町柏ヶ谷に農地を求め一家帰農。
●1952年︵昭和27年︶神奈川県立湘南高等学校卒業・受験に失敗。一年間の受験勉強の傍ら、米駐留軍日吉基地にてボウリングのピンボーイとして働く。当時、ボウリングのピンを並べかえる仕事は危険を伴ったため報酬も高かった。
●1954年︵昭和29年︶大学入学までの間、神奈川県厚木市南毛利小学校にて助教諭として教弁を執る。
●1958年︵昭和33年︶東京農業大学農学部農学科入学。
●1967年︵昭和42年︶東京農業大学大学院博士課程修了。
●1967年︵昭和42年︶東京農工大学研究生として日高敏隆教授に師事。
●1970年︵昭和45年︶北里大学講師として就任。
●1978年︵昭和48年︶北里大学教養部 助教授に昇任。
●1982年︵昭和57年︶北里大学教養部 教授に昇任。
●1972年キャンベラ、1980年京都、1984年ハンブルク、1988年バンクーバー、1996年フィレンツェで開催された国際昆虫学会に参加し、カイコ、シリアゲムシ等の行動について発表。
●1987年 ニュージーランド・マッセイ大学、1991年ニュージーランドハミルトン・ワイカト大学の短期客員教授として有爪動物の研究に従事。
●1990年 国際野蚕学会の理事として中国瀋陽市で開催された﹁第一回 国際野蚕研究会議﹂に協力。
●2000年︵平成16年︶定年退職に伴い北里大学名誉教授となる。