宵々山コンサート
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宵々山コンサート︵よいよいやまコンサート︶は、京都の祇園祭の開催期間に合わせ京都市の﹁円山公園音楽堂﹂で1973年から2011年の間に30回︵途中、中断︶開催された有料の屋外音楽イベント。
歴史[編集]
開催までの経緯[編集]
﹁高石ともや & ザ・ナターシャー・セブン﹂のマネージャー・プロデューサーの榊原詩朗、高石ともや、永六輔の3人が、京都の祇園祭の前日を﹁宵山︵よいやま︶﹂と言うことに因み、さらにその前日の7月15日を﹁宵々山︵よいよいやま︶﹂と呼ぶことを提案し、コンサートを企画した。場所は京都の円山公園音楽堂。 1973年7月15日、第1回宵々山コンサートが開催。渥美清など毎回、多彩なゲストが顔を見せ、若い世代を中心に多くの人を集めた。関西周辺では、1969年8月から岐阜県の椛の湖で全日本フォークジャンボリー、1971年5月から大阪で春一番が開催されていたが、出演者が一部共通するものの、必ずしも、人脈的なつながりは特にない。中断[編集]
コンサートは当初の7月15日にこだわらず、土日などに日程を移しながら、毎年開催され、京都の梅雨明けを告げる若者のまつりとして定着したが、1982年2月、裏方の中心である榊原詩朗がホテルニュージャパン火災で亡くなり、中心的な出演者であるザ・ナターシャー・セブンも解散をしてしまうと、1985年の13回で一端は幕を閉じた。関連イベント﹁コンサート 夏の時代﹂[編集]
1982年から1985年まで宵々山コンサートの関連イベントとして、京都市の円山公園音楽堂、日比谷公会堂などで、北山修企画・構成によって、﹁コンサート 夏の時代﹂が開催された。本体イベントである宵々山コンサートが1985年で一端中断したことにより、継続されず、1985年に東京、2000年に大阪で開催されたのみで、今後も開催される予定はない。復活と終焉[編集]
1994年に永六輔らによって、復活。1998年の18回コンサートで、15年ぶりにザ・ナターシャー・セブンが復帰した。2009年、世話方会をまとめていたスタッフ︵三宅誠孝︶が死去し、継続が困難になり[1]、同年の29回宵々山コンサートで一旦﹁中締め﹂としたが、関係者やファンの中から復活を望む声が多く、世話方会が永六輔・高石ともやとともに最後の宵々山コンサートの開催を決定し、2011年7月2日から7月10日の日程で﹁第30回宵々山コンサート﹂を開催する事になった[2]。30回の最終日には、人間国宝で落語家の桂米朝が登場する等[3]、多くのサプライズがあった。主な出演者[編集]
レギュラーに近い出演者 高石ともやとザ・ナターシャー・セブン︵高石ともや、城田じゅんじ、金海たかひろ、坂庭しょうご、木田たかすけ︶、杉田二郎、自切俳人とヒューマン・ズー、諸口あきら、永六輔らがおり、他に毎回、多彩なゲストが登場した。 1973年から中断する1985年まで 渥美清、小坂一也、小沢昭一、倍賞千恵子、桂米朝、石川鷹彦、木ノ実ナナ、山谷初男、黒柳徹子、高橋竹山、ミヤコ蝶々、赤塚不二夫、宮城まり子、淀川長治、谷啓、安田伸、坂本九、竹腰美代子、ザ・キングトーンズ、君原健二、おすぎとピーコ、松山千春、タモリ、岩崎宏美、岸田今日子、中村八大、金井克子、南こうせつ、笑福亭鶴瓶、由紀さおり、林英哲、嘉門達夫、桂三枝︵現・六代目桂文枝︶ら。 1994年から2000年まで 岡本文弥、喜納昌吉、なぎら健壱、三波春夫、宇崎竜童、灰谷健次郎、大槻ケンヂ、高田渡、中川イサト、桑名正博、トワエモア、巻上公一、波乃久里子、海援隊︵武田鉄矢、中牟田俊男、千葉和臣︶、JAYWALK、鈴木聖美ら。 2001年から2009年まで かまやつひろし、佐川満男、道上洋三、上田正樹、有森裕子、中島啓江、笠木透と雑花塾、村﨑修二、上條恒彦、浜村淳、趙博らが登場した。脚注[編集]
- ^ “最後の宵々山コンサート 高石ともやさんらが73年から”. 47NEWS. 共同通信 (全国新聞ネット). (2009年7月12日)
- ^ コンサート公式サイト(2011年4月27日時点のアーカイブ)
- ^ “「宵々山コンサート」復活!人間国宝も登場”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2011年7月11日)