尋常小学校
歴史[編集]
●1886年︵明治19年︶4月10日 - 文部大臣森有礼により小学校令︵第1次︶が公布される。 ●小学校が尋常小学校︵修業年限:4年︶と高等小学校︵修業年限:4年︶の2段階となる。 ●尋常小学校の修業年限期間だけが義務教育期間となる[注釈 1]。 ●1890年︵明治23年︶10月7日 - 小学校令︵第2次︶の公布により修業年限が3年または4年となる。︵1886年の小学校令を廃止。1892年4月1日全面施行︶ ●1900年︵明治33年︶8月20日 - 小学校令︵第3次︶の公布により修業年限が4年に統一、義務教育の授業料を徴収せず。 ●小学校令で奨励されたこともあり、全国的に高等科︵2年︶を併置し、尋常高等小学校となる学校が増加する︵将来的に義務教育期間を6年に延長するため︶。 ●1907年︵明治40年︶3月21日 - 小学校令の一部改正により、澤柳政太郎文部次官の下、修業年限が6年に延長。︵1908年4月1日から逐年実施︶ ●高等小学校の旧1・2年を尋常小学校5・6年とし、高等小学校の旧3・4年を高等小学校の新1・2年とした。 ●1941年︵昭和16年︶4月1日 - 国民学校令により、国民学校が設置され、尋常小学校は国民学校初等科に、高等小学校は国民学校高等科となる。 ●1947年︵昭和22年︶4月1日 - 学制改革︵六・三制の実施︶により国民学校初等科は小学校になり、高等科は新制中学校に改組された。入学時(修了時)の年齢 | 1900年(明治33年) 小学校令(第3次) |
1907年(明治40年) 小学校令一部改正 |
1941年(昭和16年) 国民学校令 |
1947年(昭和22年) 学制改革(現行) |
2016年(平成28年) 1947年学制と並立(現行) |
---|---|---|---|---|---|
6歳(7歳) | 尋常小学校1年 | 尋常小学校1年 | 国民学校初等科1年 | 小学校1年 | 義務教育学校1年 |
7歳(8歳) | 尋常小学校2年 | 尋常小学校2年 | 国民学校初等科2年 | 小学校2年 | 義務教育学校2年 |
8歳(9歳) | 尋常小学校3年 | 尋常小学校3年 | 国民学校初等科3年 | 小学校3年 | 義務教育学校3年 |
9歳(10歳) | 尋常小学校4年 | 尋常小学校4年 | 国民学校初等科4年 | 小学校4年 | 義務教育学校4年 |
10歳(11歳) | 高等小学校1年 | 尋常小学校5年 | 国民学校初等科5年 | 小学校5年 | 義務教育学校5年 |
11歳(12歳) | 高等小学校2年 | 尋常小学校6年 | 国民学校初等科6年 | 小学校6年 | 義務教育学校6年 |
12歳(13歳) | 高等小学校3年 | 高等小学校1年 | 国民学校高等科1年 | 中学校1年 | 義務教育学校7年 |
13歳(14歳) | 高等小学校4年 | 高等小学校2年 | 国民学校高等科2年 | 中学校2年 | 義務教育学校8年 |
14歳(15歳) | - | - | - | 中学校3年 | 義務教育学校9年 |
授業内容[編集]
1・2年生が、修身、国語、算術、唱歌、体操、3年以上は、図画、理科、裁縫︵女子のみ︶、国史、地理が順次加わった。2年生では国語が全時間の過半を占めた[1]。
進学実態[編集]
尋常小学校卒業後は、旧制中学校・高等女学校・実業学校といった旧制中等教育学校、高等小学校、青年学校普通科などに進学するか就職した。1936年の統計では、旧制中等教育学校に進学する者は21%、まったく進学しない者は13%、高等小学校に進学する者は66%だった[2]。 進学率は年々上昇し、第二次世界大戦のころにはほとんどが進学した。関連作品[編集]
●﹃小さな王国﹄-1918年初出。谷崎潤一郎作。 ●﹃銀河鉄道の夜﹄-1934年初出。宮沢賢治作。 ●﹃風の又三郎﹄-1934年初出。宮沢賢治作。 ●﹃少年時代﹄-1978年から1979年まで週刊少年マガジンに連載され1990年に映画化。藤子不二雄A作。太平洋戦争末期の富山が舞台。脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 義務教育期間でも成績が悪すぎたり、病気や家庭の事情で長期間、学校に通学出来ない場合は義務教育期間の延長(最大で8年間)がある。
出典[編集]
参考文献[編集]
- 百瀬孝『事典 昭和戦前期の日本…制度と実態』伊藤隆監修(初版)、吉川弘文館(原著1990年2月10日)。ISBN 9784642036191。