春苅島
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外交紛争のある諸島 現地名: Острова Дёмина 主張国名: 春苅島 | |
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地理 | |
所在地 | 太平洋 |
座標 | 北緯43度25分1秒 東経146度53分33秒 / 北緯43.41694度 東経146.89250度座標: 北緯43度25分1秒 東経146度53分33秒 / 北緯43.41694度 東経146.89250度 |
実効支配 | |
ロシア | |
州 | サハリン州 |
都市管区 | 南クリル管区 |
領有権主張 | |
日本 | |
都道府県 | 北海道 |
郡・市町村 | 根室市 |
人口統計 | |
人口 | 0 |
春苅島︵はるかるとう︶は、いわゆる北方領土の歯舞群島にある一島。無人島。ロシア名はハルカル島︵о. Харкар︶。
ハルカルモシリまたは春苅茂尻島︵はるかりもしりとう︶とも呼ばれ[1]、アイヌ語の﹁ハル・カル・コタン︵オオウバユリの鱗茎・採取すること・村→オオウバユリの鱗茎・採取すること・村︶﹂または﹁ハルカルモシリにあるコタン︵村︶﹂に由来する。
納沙布日誌には﹁ハルカルモシリ﹂と記されている︵モシリはアイヌ語で﹁島﹂を意味する︶。
地理[編集]
勇留島の東の沖合に位置し、上の島、中の島、下の島からなる。総面積は2平方キロメートル。歴史[編集]
江戸時代には、樹木が無いが飲水は有り、アイヌは﹁夷船﹂で春苅島へ渡っていたと記されている[2]。 また、霧が深く東には岩礁があり、北・西・南の三方は岸が深く、やはり暗礁が多いとも記録されている[3] 寛政11年︵1799年︶にネモロ︵根室︶とアッケシ︵厚岸︶両場所のアイヌが立会い、秋勇留島とともに双方の入会地となった[4]。 明治時代には珸瑶瑁村の一部となり、後に歯舞村に属し、戦前は中の島にのみ6人住んでいた。 現在はロシア連邦の占領・実効支配下にある。日本も領有権を主張しており、1959年より根室市に編入されている。 ラッコの繁殖地であり、納沙布岬でもたびたびその姿が確認されている[5]。脚注[編集]
参考文献[編集]
- 『北方領土地名考』 北方領土問題対策協会編、1978年
- 日本歴史地名大系(オンライン版) 小学館 (『日本歴史地名大系』 平凡社、1979年-2002年 を基にしたデータベース)