生田花世
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生田 花世︵いくた はなよ、1888年︵明治21年︶10月14日 - 1970年︵昭和45年︶12月8日︶は、作家、詩人。82年の生涯のうちの14年間、生田春月と同棲した。
﹃女人藝術﹄の編集室。左から、生田花世、長谷川時雨、小池みどり、 素川絹子、八木秋子、望月百合子。
1928年︵昭和3年︶︵40歳︶、長谷川時雨に乞われて﹃女人藝術﹄誌の発刊に協力し、広い人脈を役立てた。創刊号に﹃獅子は抗しがたし﹄を載せた。
1930年、春月が、女性関係と世帯とに挟まれて自殺した。花世は、春月の末弟博孝と﹃生田春月全集﹄全10巻を編集し、1931年から刊行した。1932年、春月の1922年からの詩誌﹃詩と人生﹄を継いで第2次﹃詩と人生﹄を復刊し、投稿者を指導した。
1933年︵45歳︶、時雨の﹃女人芸術﹄に次ぐ月刊新聞﹃輝ク﹄を、手伝った。1938年、時雨の﹃輝ク部隊﹄の評議員となり、支那事変下の上海・南京の日本軍を慰問した。1940年、傷病兵の慰問、海軍記念日の講演、﹃銃後純情﹄﹃生かす隣組﹄の刊行など、戦時向きに行動し、﹃日本文学報国会﹄の会員になった。第二次世界大戦の末期は、役所の指導員、調停員などで食いつなぎ、1945年、空襲に焼かれた。
敗戦直後の1945年︵昭和20年︶︵57歳︶秋、弟子の家に仮寓して﹁松花塾﹂の看板を出し、女性たちと﹃万葉集﹄を読んだ。出版も再開した。1954年、杉並区の主婦たちに﹃源氏物語﹄の講義を頼まれ、その﹁源氏の会﹂が33会場、聴講者計400人以上に広がって、2会場を巡る日もできた。
1966年︵78歳︶、高血圧を診断され、半年休んでから、﹃源氏﹄を再開した。1967年の誕生日の会合に、300人が﹃生田源氏﹄の出版と著者の傘寿とを祝った。
その後も﹁源氏の会﹂を巡り歩いていたが、1969年暮に再発した。翌年秋、会員たちが野猿峠の光照寺に建てた花世の歌碑の除幕式に、病院から出席した。
ふるさとの阿波の鳴門に立ち出でてすくひ上げたる白き砂はも
そして暮に没し、歌碑の下に葬られた。東京都八王子市絹ケ丘3-8-1 光照寺。
生涯[編集]
徳島県板野郡泉谷村︵現・上板町︶で、西崎安太郎の長女に生まれた。父は村長も務めたが、家は維新後衰えていた。 1903年︵明治36年︶︵15歳︶、県立徳島高等女学校2年に編入し、﹃明星﹄誌、﹃文章世界﹄誌などに投稿した。容貌と身長が低いことに劣等感を持っていた。服装は生涯飾らなかった。 卒業後、教員免許を取得し県職員の教員となり、1906年半田小学校の、翌1907年松島小学校の教員となり、病弱の詩人横瀬夜雨に文通の指導を受けて詩作し、﹃女子文壇﹄誌に投稿し、同誌の主筆、河井酔茗にも師事した。﹁長曽我部菊子﹂の筆名を用いた。 1909年父が没し、翌1910年に母の許しを得て上京し県職員を退職、王子の豊島小学校の教員、水野葉舟家の書生、﹃女子文壇﹄ほかの記者、寄席の女中などを務め、生活苦から、職場の性的嫌がらせを退けきれないこともあった。貧困の中で投稿を続けた。 1912年︵24歳︶、﹃新しい女﹄として騒がれていた﹃青鞜﹄誌に参加して、翌1913年、本名で、﹃新しい女の解説﹄﹃この頃の感想﹄﹃自己の或る心に与う﹄﹃昔の男に対して﹄﹃恋愛及生活難に対して﹄と、告白的な感想文を載せ続けた。 1914年2月、その﹃恋愛及生活難に対して﹄を読んだ生田春月︵22歳︶から、河井酔茗を経て求婚され、同棲した。間もなく春月は、年上の妻が煙たく、浮気するようになり、疎隔もあったが、花世は、春月と経済的に助け合った。 同棲した秋、春月と共に、春月の師生田長江の﹃反響﹄誌に加わり、翌1915年1月、﹃法が女に私財を認めぬ限り、貞操より食物を優先させるのは自然﹄と書き、青鞜の良家のお嬢さんなどと、雑誌上で﹃貞操論争﹄をした[1]。 1915年︵大正4年︶秋、青鞜の最末期に、出産帰郷の伊藤野枝に代わって編集の実務を引き受けた。 1916年︵28歳︶、平塚らいてう、生田長江らと女性文芸誌﹃ピアトリス﹄を創刊したが、婦人運動の同人が増え、一年足らずで廃刊した。 花世が内で支えた、春月の詩集﹃霊魂の秋﹄︵1917︶は売れたが、長編小説﹃相ひ寄る魂﹄︵1921 - 1924︶は不評だった。おもな著書[編集]
以下の項の→の後は、最新と思われる改版。- 『情熱の女』岡村盛花堂(1913)
- 『恋愛巡礼』紫鳳閣(1915)
- 『近代日本婦人文芸女流作家群像』行人社(1929)→ 複製、大空社 叢書女性論25(1996)
- 『燃ゆる頭』(小説集)(燃ゆる頭、浅草の鐘、北風、秋の或る夕の事、群衆と母子、ひともし頃の会話、継子、桜の町、面会人の顔、ほそのを、窓の瞳、風鈴、峠の木の枝、勉強せぬ同盟、女ばかりの部屋、早春、丘の林、小松原、獅子は抗しがたし - ある夫人の備忘録、三角関係の一端より - ある夫人の述懐)、中西書房(1929)→ 復刻、不二出版 青鞜の女たち 5(1986)ISBN 9784835052151
- 『春の土』(詩集)詩と人生社(1933)
- 『銃後純情』道文書院(1940)→ 「高良留美子、岩見照代編:『女性のみた近代27 女と戦争』ゆまに書房(2004)ISBN 9784843312247」中の一篇
- 『輝く人柱 教化史蹟物語』新踏社(1941)
- 『活かす隣組』鶴書房(1941)
- 『明かるい人事調停』鶴書房(1942)
- 『明るい台湾の生活』婦人之家社 外地研究叢書(1942)
- 『日本の娘』忠文館書店(1942)
- 『戦時女性文範』愛読社(1943)
- 『一葉と時雨』潮文閣(1943)→ 複製、大空社 伝記叢書91(1992)
- 『海国女性史』立誠社(1943)→ 「上笙一郎、山崎朋子編:『日本女性史叢書18(昭和期7)』、クレス出版(2008)ISBN 」中の一篇
- 『結婚前後』立誠社(1944)
- 『未亡人』三元社 女性の書14(1949)→ 与那覇恵子、岩見照代編:『近代日本のセクシュアリティ25 未亡人という生き方』、ゆまに書房(2008)ISBN 9784843329757」に収録
- 『女の道 未亡人の生き方』三元社(1950)
- 生田源氏の会編:『源氏物語 原文入解説』(1967)
- 『生田花世詩歌全集』木犀書房(1971)
- 扶川茂編『ふるさと文学館 第42巻』ぎょうせい(1995)に、『緬羊』(1932年の詩)と『勉強せぬ同盟』(1929年の短編)を収録
出典[編集]
- 戸田房子『詩人の妻 生田花世』新潮社(1986)ISBN 9784103409038
- らいてう研究会編『「青鞜」人物事典 110人の群像』大修館書店(2001)ISBN 9784469012668
- 堀場清子『青鞜の時代 平塚らいてうと新しい女たち』岩波新書(1988)ISBN 9784004300151
脚注[編集]
- ^ 『貞操論争』
- 1914.09、花世:『食べる事と貞操と』、反響
- 1914.12、安田皐月:『生きることと貞操と』、青鞜
- 1915.01、花世:『青鞜12月号安田皐月樣の非難について』、反響
- 1915.01、花世:『周囲を愛することと童貞の価値と』、反響
- 1915.02、安田皐月:『お目にかかった生田花世さんに就いて』、青鞜
- 1915.02、伊藤野枝:『貞操についての雑感』、青鞜
- 1915.02、花世:『再び童貞の価値について 安田皐月樣へ』、反響
- 1915.03、平塚らいてう:『処女の真価』、新公論
- 1915.04、安田皐月:『貞操の意義と生存の価値について』、新公論
- 1915.04、花世:『懺悔の心より』、青鞜
- 1915.04、大杉栄:『処女と貞操と羞恥心と』、新公論
- 1916.10、平塚らいてう:『差別的性道徳について』、婦人公論
関連図書[編集]
- 生田花世の会編『生田花世讀本』生田花世の会(1966)
- 生田花世の会編『生田花世の会文集. 第1集』生田花世の会(1966)
- 和田艶子『生田花世の生涯』大空社(1995)
- 森まゆみ『断髪のモダンガール 42人の大正快女伝』文藝春秋(2008)