平田禿木
ペンネーム | 平田禿木、鬱孤洞主、松茶庵ほか |
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誕生 |
平田喜一 1873年2月10日 東京日本橋 |
死没 |
1943年3月13日(70歳没) 東京本郷 |
墓地 | 両国回向院 |
言語 | 日本語 |
国籍 | 日本 |
最終学歴 | 東京高等師範学校英語専修科 |
活動期間 | 1892年 - 1943年 |
ジャンル | 西欧文学研究、英語文学翻訳、随筆 |
文学活動 | 文学界 |
配偶者 | (水野)恵音、後添いに(水野)三津 |
子供 | 二女六男 |
影響を受けたもの
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平田 禿木︵ひらた とくぼく、1873年︵明治6年︶2月10日 - 1943年︵昭和18年︶3月13日︶は、英文学者、翻訳家、随筆家。
生涯[編集]
本名は平田喜一。喜十郎・みきの長男として、日本橋伊勢町︵現・東京都中央区日本橋本町一丁目に生まれた。家業は染料・薬品の輸入商。未熟児だったので、街なかより田園の方がと、大宮の母方の叔父、永田荘作方で育った。叔父は蔵書家だった。 1884年︵明治17年︶、共立学校に入り、やがて同人雑誌を出すなどした。1887年︵明治20年︶、町内の星野天知と洗礼を受けたものの、キリスト教熱は一時的だった。実家と大宮を往復するように暮らした。 1890年︵明治23年︶、第一高等学校に進み、ウォルター・ペイターの﹃文芸復興﹄にめぐり会い、その芸術至上主義の感化を受けた。さらに、バイロン、シェイクスピア、テニソン、また、山家集、徒然草なども耽読し、1893年︵明治26年︶、同人に加わって興した文学界誌の創刊号に﹃吉田兼好﹄を載せた[1]。 数学が駄目で、1895年︵明治28年︶に第一高等学校から東京高等師範学校英語専修科へ移った。英語は既に抜群だった。 1898年︵明治31年︶から約3年、母校の附属中学の教員を勤めた。旧知のフェノロサと同僚になり、その能楽研究を助けた。1901年︵明治34年︶からは、本校の教師になった。文学熱が戻り、﹃太陽﹄誌・﹃明星﹄誌などに寄稿した。 1903年︵明治36年︶から3年間、文部省留学生としてオックスフォード大学に留学し、島村抱月・下村観山・三土忠造・和田英作らを知った。 帰国後は、東京高等師範学校・女子学習院・明治大学英語専修科・第三高等学校で、転々と教鞭を執り、その間の1907年︵明治40年︶、水野恵音と結婚して一女をもうけた。恵音は1909年︵明治42年︶に亡くなり、1911年︵明治44年︶に恵音の妹三津と再婚して、のち一女六男を得た。しだいに文壇から遠ざかり英文学者として生活し、書斎に籠もるようになった。英語青年誌との縁を深くした。 1914年︵大正3年︶︵41歳︶以降、多くの英文学の翻訳を国民文庫研究会から出版した→︵翻訳︶。1918年︵大正7年︶、﹃英語文学﹄を創刊し、戸川秋骨・竹友藻風・山宮允・野口米次郎・日夏耿之介・辻潤・生田長江らが執筆したが、1921年︵大正10年︶で終わった。 1934年︵昭和9年︶以降、請われて法政大学で週一度講義した。1943年3月13日に亡くなった。墓は、東京都墨田区両国二丁目の両国回向院にある。おもな文業[編集]
各行の → 印の後ろは、最も新しいと思われる改版。英文学[編集]
●﹃英文典﹄、文学社(1901) ●﹃新式会話文法教科書﹄︵佐伯好郎と共著︶、鍾美堂(1902) ●﹃近代英詩選﹄、和蘭陀書房 アルス欧文叢書(1915) → 英光社 英文名作双書(1982) ●﹃最近英文学研究﹄、研究社(1919) ●﹃英文学印象記﹄、アルス(1924) ●﹃神曲余韻﹄、媽祖書房(1937) ●﹃研究社英米文学語学講座 伝記・書簡及日記文学﹄、研究社(1941) ●﹃研究社英米文学語学講座 英国史﹄、研究社(1941) 没後 ●﹃英文学史講話 上下﹄、全国書房(1948 & 1949) ●﹃英文学への道﹄、南雲堂 不死鳥選書(1956)随筆[編集]
●﹃英文学散策﹄、第一書房(1933) ●﹃炉に凭りて﹄、文体社(1934) ●﹃書窓雑筆﹄、双雅房(1935) ●﹃禿木随筆﹄、改造社(1939) ●﹃早春雑筆﹄、青木書店(1939) ●﹃双竜硯﹄、七丈書院(1941) 没後 ●﹃禿木遺響文学界前後﹄、四方木書房(1943) → 日本図書センター 明治大正文学回想集成(1983)翻訳[編集]
●ウィリアム・サツカレ‥﹃虚栄の市﹄、国民文庫刊行会(1914 - 15) → 国民文庫刊行会 世界名作大観 英国篇 附録2(1927) ●﹃英国近代傑作集 上下﹄、国民文庫刊行会 泰西名著文庫(1915) → 国民文庫刊行会 世界名作大観 英国篇 附録5(1925) ●キップリング‥﹃彼等﹄、研究社(1916) ●﹃エマアソン全集 第1- 5巻﹄、国民文庫刊行会(1917) → 日本図書センター(1995) ●ダニエル・デフォー‥﹃新譯ロビンソン漂流記﹄、冨山房(1917) → ﹃ロビンソン・クルーソー﹄外語研究社 初等英文訳註全集第1巻(1937) → 筑摩書房 中学生全集48(1951) ●ジョージ・メレヂス‥﹃我意の人﹄、国民文庫刊行会(1917 - 18) → 国民文庫刊行会 世界名作大観 英国篇 附録 第3 &4巻 (1926 & 1927) ●ジヨナサン・スヰフト‥﹃ガリバア旅行記﹄、冨山房(1921) → 国民文庫刊行会 世界名作大観 各国篇 11(1927) ●キャサリン・マンスフィルド ‥﹃蜜月﹄アルス(1925) ●デイツケンズ‥﹃デエヴィッド・カッパフイルド 第1 - 4巻﹄、国民文庫刊行会 世界名作大観 英国篇(1925 - 27) ●オスカー・ワイルド‥﹃ドリアン・グレエの画像 附・獄中より﹄、国民文庫刊行会(1925) ●ハアーデイ‥﹃テス﹄ 国民文庫刊行会 世界名作大観 英国篇、(1925) ●ヘンリー・ジェームス‥﹃千載一遇﹄、アルス(1926) ●ジョゼフ・コンラツド‥﹃チヤンス﹄、国民文庫刊行会(1926 - 28) ●チヤアルズ・ラム、メエリイ・ラム‥﹃沙翁物語﹄、国民文庫刊行会(1927) ●ジェーン・オースチン‥﹃高慢と偏見﹄国民文庫刊行会(1928) ●チヤアルズ・ラム‥﹃エリア随筆集﹄、国民文庫刊行会(1927 - 29) → 新潮文庫上下(1952) ●アーノルド・ベネツト‥﹃グランド・バビロン・ホテル﹄、世界大衆文学全集 改造社(1930) ●﹃宝島探検物語﹄アルス 日本児童文庫74(1930) → ﹃宝島﹄、アルス 新日本児童文庫27(1941) ●エマソン‥﹃代表偉人論﹄、玄黄社(1932) ●ワイルド‥﹃深き淵よりの叫び﹄、春陽堂(1932) ●﹃揺落ほか11篇﹄、双雅房(1936) ●アイザック・ウオルトン‥﹃釣魚大全﹄、国民文庫刊行会(1936) ●マンスフイルド‥﹃蜜月・幸福﹄、山本書店(1936) ●オールダス・ハックスリ‥﹃神童・臙脂・ヒューバートと初恋﹄、冨山房百科文庫(1939) ●リットン・ストレィチー‥﹃ゴルドン将軍の死﹄、アルス(1940) ●アーネスト・フェノロサ‥﹃西人の浮世絵観﹄、七丈書院(1942)選集[編集]
没後 ●島田謹二・小川和夫編‥﹃平田禿木選集 第1 - 3巻﹄、南雲堂(1981) ●第1巻‥英文学史講話。第2巻‥英文学エッセイ。第3巻‥翻訳エリア随筆集。 ●島田謹二・小川和夫編‥﹃平田禿木選集第4,5巻﹄南雲堂(1986) ●第4巻‥英文学エッセイ2。第5巻‥明治文学評論・随筆。出典[編集]
●昭和女子大学近代文学研究室‥﹃近代文学研究叢書 第50巻﹄、昭和女子大学近代文学研究所(1980) ●平田禿木‥﹃文学界前後︵抄︶﹄、﹃筑摩書房 現代日本文学全集97(1958) ﹄所載脚注[編集]
- ^ 文学界掲載稿の一部は、『筑摩書房 明治文学全集32(1977)』に収録されている