福岡市博多区の商業施設「キャナルシティ博多」に多数のブラウン管テレビが並んでいるのをご存じでしょうか。オフィスビルとショッピングモールをつなぐ場所にあるテレビの「壁」は世界的アーティストによるビデオアート作品。ここ数年は故障で放映を停止していましたが、関係者の尽力により8月、開業当時の姿で復活しました。 ビデオアートの先駆者 このアートを手がけたのは、韓国生まれのナム・ジュン・パイク氏(1932~2006年)です。テレビなどを用いたビデオアートの先駆者として知られ、ニューヨークを中心に活躍しました。1995年には福岡アジア文化賞で芸術・文化賞を受けています。 作品は1996年4月の施設開業と同時に公開され、福岡の幸せや発展への願いを込めて「Fuku/Luck,Fuku=Luck,Matrix」と名付けられました。縦約5.4メートル、横約10.7メートル、奥行き約2.1メートルの作品には、韓
〈“歴史歪曲”の現場から〉福岡県飯塚市・無窮花堂 2015年11月16日 14:10 主要ニュース 歴史 1世の受難、無窮花に刻む 無窮花堂をめぐる経過/「強制連行」問題視 2000年12月に、福岡県飯塚市庄司笠置ダム公園飯塚霊園内の国際交流広場に建立された朝鮮人納骨堂「無窮花堂」。1995年、故・裵来善さんの呼びかけから、筑豊における強制連行犠牲者納骨式追悼碑の建立運動が始まった。完成までの5年間、裵さんを代表にした「在日筑豊コリア強制連行犠牲者納骨式追悼碑建立実行委員会」は飯塚市当局と数十回にわたり協議を重ねた。結果、市は98年8月に①強制連行の事実を認め②歴史的事実を後世に残すことを認識し③国際交流・親善の一助になってほしいと市霊園地の一角を無償で貸し付けることを正式に回答、14日には共同記者会見の場で市有地貸付の覚書を実行委員会と交わした。建設費約3000万円はほぼ募金で賄われた。
… 2010年8月5日付のハンギョレ新聞より。 ◆ 1939~1945年 強制連行 飯塚は筑豊地方の最大都市だ。九州全体で見ても福岡,北九州,久留米に次ぎ人口が4番目に多い都市だ。麻生一族は飯塚の領主と言えるほど影響力が大きい。市の真ん中に‘麻生飯塚病院’が位置している。炭鉱で事故がおきた時、負傷者を治療する目的で1918年に開業したこの病院は、スタート当時の病床数が120ヶだった。今は病床数 1千116ヶで地域最大の医療機関に成長した。 広大な敷地内にある麻生一族の邸宅は高い塀で囲まれている。麻生一族の当主である麻生太郎は1979年に衆議院に当選して以来10選を記録している。彼の総理在職時期には道から家屋を見物をし写真を撮れば警察が駆け付け、理由を尋ねたりした。総理から退いた後にはそのような光景は消えた。財力と地域縁故を基盤とした麻生太郎の影響力は飯塚で絶対的だ。 飯塚市長選挙に立候補し
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