![『死んだ魚を水流にいれると,まるで生きているかのような動きをする』 → 哲学的ゾンビのあのマンガを思い出した](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/97e1a543c93bf644ce34e69496e3d888dc697dcb/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fs.togetter.com%2Fogp2%2F9bac824eea6a2cc9641aeec5d054954a-1200x630.png)
作家の筒井康隆がハイデガーの哲学書「存在と時間」の入門書を出版した。「文学部唯野教授・最終講義」と銘打ち、「死を思え」と説く哲学を「面白く語る」ことを目指した。難解なハイデガー「存在と時間」はドイツの哲学者ハイデガー(1889~1976年)の主著で、過去・現在・未来という通常の時間概念とは異なる根源的な「時間性」に人間存在の意味を見いだしたとされる。内容が難解なこともあって、昨年刊行の轟孝夫「
内田樹最終講義の話の続きである(前回はこちら)。 最終講義の話がご本人の手によって一部アップされてますね(この記事)。しかも講義内容をツイートでまとめた労作も出た(こちら)。なので、内容を追うというよりはボクなりの感想を交えて備忘録的に書いてみたい。 15時開始の45分くらい前に着き、講堂の席に着いた。前から9列目。いい席に座れた。 ここは礼拝堂も兼ねているのか、教会みたいな狭い椅子。ボクと松井さんと、ちょっと遅れてきた細野豪志さん(首相補佐官)という「座高が高い3人」が並んで座ったので後ろの人には悪かったなぁと思う。でも足がつっかえて深く座れなかったの。すまんす。 ヴォーリズ設計のこの美しい講堂は800人ほど入るという。それが満席立ち見ありであった。 卒業生やゼミ生はもちろん、東京からも有名な評論家が多数来ていた。そのお供の編集者たちも多数。記帳しつつふらふらしていたら当の内田先生が来ら
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