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心理的安全性という概念がある。ここ十年ほどチームづくりの最重要ファクターであるともてはやされ、他方では粗雑な理解によって批判されてきた。急に人気の出たアイドルの宿命みたいなものを背負っている。 世間的なイメージがどのようなものか、少し羅列してみよう。 なんでも言える。否定されない。安心して働ける。不安がない。感情を大切にしてもらえる。あなたはあなたのままでいいと肯定される。 こうしたイメージを抱いている人もいるかもしれないが、残念ながらこれらは、心理的安全性の正しい姿からは遠くかけ離れている。ただ安心してほしいのは、こうした誤解をしている人は決して少なくないということだ。 手持ちのグーグルで「心理的安全性 誤解」と検索してみると、何ページにもわたって理解を正す記事が並んでいる。NewsPicksも、プレジデントも、朝日新聞も、Qiitaも、東洋経済も、あらゆるメディアが心理的安全性の誤解に
二〇二二年の四月一日に、米アマゾンで労働組合が結成された。立ち上げの中心的人物となったのは、元ラッパーのクリスチャン・スモールズ氏。一九九四年の創立以来、無労組経営を貫いてきたアマゾンにとって、初めての出来事だった。アマゾンは組合設立を阻止するためにコンサルティングを雇い、キャンペーンを展開していた。 労働組合の組成の動きは、アマゾンだけの話ではない。ここ二、三年でグーグルやアップルでも労働組合の動きが報道された。シリコンバレーの労使関係は、新たな展開を迎えつつある。 以前のテック企業は労働組合を持っていなかった。そういうものは時代遅れの制度だとさえ思っていただろう。 シリコンバレーに勤める人たちは、みな高待遇で転職しやすい人たちだった。産業の発展とともに彼らの待遇はインフレを続け、高い給与、手厚い福利厚生、遊園地のようなオフィス、そして十分なストックオプションが用意された。 そうした環境
三五歳。この年齢にどんな印象を持つだろう。働き始めて十年ちょっと経ち、キャリアに脂が乗ってきたり、自分という人間がわかり始めたりする、そんな頃だろうか。 三〇代に突入して、この先どうやって生きていくかライフプランニングめいたことを考えるようになった。二〇代の頃より生々しく。仕事に何を望むか、住宅は賃貸か購入か、生涯かかるお金はどれくらいか。独身だったわたしはその度に「そのうち結婚するかも」「子どもができたら状況も変わるしな」と、将来設計を棚上げせざるをえなかった。 何歳になっても、学び直せる。転職できる。新しいことに挑戦できる。行動を年齢と結びつける時代は終わった。ただ一つ、「産む」を除いては——。 結婚や子育て以外にも生き方は人の数だけあり、幸せの形は多様化している。それでも、体の仕組みばかりは変わらない。こと出産においては、三五歳以上の初産は「高齢出産」と呼ばれる。ついこないだまで二〇
あなたの周囲に、こころの病気と共に生きている人はいるだろうか。あるいは、あなた自身がそうだろうか。 一昔前と比べて、メンタルヘルスはだいぶ身近なイシューになった。生涯で五人に一人がこころの病気に罹患すると言われるほど、精神疾患は一般的なものである。コロナ禍による社会変容が大きなストレス要因となり、人々のメンタルヘルスに影響を及ぼしているのも既知の事実だ。 しかし、今なおメンタルの問題は語られづらい。社会にはびこる偏見、恥の意識に罪悪感、先の見通せなさなどから、当事者は口をつぐむ。 メンタル不調を抱える人がもれなく周囲に〝告白〟すべきだとはまったく思わないが、「言えない」と「言わない」は別物だ。特に職場においては、罹患者への理解がどれほどあるかがダイレクトに働きやすさに影響する。今回の記事では、うつ病、適応障害、双極性障害を抱える複数の社員に話を聞き、働くこととメンタルヘルスについて考えた。
落ちているボールを拾う、という比喩がある。職場で使われるときはもっぱら、ボールという言葉は仕事を意味している。 だから、落ちているボールを拾うという比喩は、誰も手をつけていない仕事に自ら手をつける、ということを指す。ボールというくらいだから、だいたいそれは軽微な仕事に限られる。 落ちているボールを拾うことは、基本的にはいいことだとされている。ボールが落ちていては、仕事が進まない。 ちょっと資料を直したり、誰かに依頼の連絡をしたり、スケジュールを引き直すほどではない、小さな仕事は日々たくさん生まれる。会議の終わりには「これは誰のボール?」と聞いて、TODOが零れ落ちないよう確認したりする。 それでも落ちてしまうのがボールというものの(つまり仕事というものの)困った特性で、拾ってくれた人には「拾ってくれてありがとう」と声をかけることもある。 落ちるボールはさまざまだが、誰でもできるようなものが
あなたは身元保証書という書類を会社に提出したことがあるだろうか。そのとき誰にお願いしただろう。 この記事を書くにあたって、周囲の何人かに「身元保証書って書きましたか?」「誰に頼みました?」と聞いてみたが「うーん覚えてない……出した気はする」「たぶん親だったと思うんだけど」というくらいの回答しか返ってこなかった。ほとんどの人にとっては、入社事務のうちの一つの、取るに足らない書類みたいだ。 しかし、そうではない人もいる。今日はそんな話である。 リブセンスでは(そして他にも多くの企業で)社員が入社する際には、身元保証書の提出をお願いしている。聞き慣れない方もいると思うので、まずはその内容を簡単に説明しておきたい。 身元保証書とは、その名が指すような「身元を保証する書類」、つまり経歴に嘘がないとか、人柄がそれなりにいいとか、そういうことを当人と別の第三者が保証するという書類ではない・・・・。そうい
「反社会的勢力」という言葉がある。いつのまにか広く知れ渡ったこの言葉は、少し前に芸人の闇営業に関連してワイドショーを騒がせもした。反社が社会的によろしくない存在であることはみながなんとなくわかっており、つながりを持ってはいけないことも知られている。しかし、反社の正体についてはどうだろうか。暴力団、特殊詐欺、組織犯罪。そういったイメージの断片はある。でも、反社の定義について、あなたは答えられるだろうか。 本記事では「反社チェック」を取り上げる。反社チェックとは、企業が取引先に対して反社会的勢力でないかを確認するプロセスのことを指す。多くの人は反社チェックに深い興味を持っていないだろうし、そもそも何を行っているか知らない人も多いと思う。ずいぶん退屈なネタだと感じるかもしれない。 しかし、わたしにとってはようやく書けるテーマとなった。このブログも十五記事を重ねて、思慮深い読者にも恵まれ、こうした
昨年一二月一五日にリリースした本ブログ Q by Livesense はさいわいにも多くの人にご愛読いただいた。新春初となる本記事では、このブログの企画プロセス――なぜ縦書き長文なのか、なぜQ(Question)を前面に出したのか、なぜリブセンスがこんなメディアをつくったのか。その経緯について書いていきたい。 制作物は機能しなければ意味がない リブセンスは今年で設立から十五年になる。ぼくは二〇二〇年の春からコーポレート・アイデンティティ(以下、CI)を再考するプロジェクトを立ち上げ、社内の数十人にインタビューをしながら、現在の会社の姿を捉えなおそうとしていた。インタビューを重ねて見えてきた今の会社の実相はそれなりに新鮮で、新しいビジュアルのポスターもチームでつくりあげ、それはそれで大きな収穫にはなった。しかし、そこから「CIブック」のような制作物に落とし込んで終わりにする気にはなれなかった
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