ニュー・アカデミズム

1980年代の日本の思想潮流

1980

概要

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1980[1]西

[2][3][4][5]

沿革

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近代主義への懐疑とマルクス主義の退潮

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1960西[6][7]

19681970[8]

1960[9][10]

1968年革命 プレ・ニューアカ期の言論

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1970

=

[1] 

1980年代 ニュー・アカデミズムのブーム

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19811983 [2] [11]

寿西[12][13]GS

ニュー・アカデミズムの退潮

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退[14]1990[15]

[16]

略年譜

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ニュー・アカデミズムの定義や範囲

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1984[17]

 1975-200119831970

1986II

評価

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社会思想史研究者の仲正昌樹は『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』で、冷戦終結以後の世界資本主義が暴威を振るう現実の前では、消費社会をあえてアイロニカルに肯定してみせるポストモダン思想のアイロニーが通用しなくなった、という柄谷行人の否定的なポストモダン思想評を紹介している。仲正自身はポストモダン思想は、ポストモダン的に複雑化していく現状の分析の道具としてはいまだ有効であるとしている。

東大駒場騒動で、採用候補であった中沢新一にかわって採用された山脇直司は、中沢新一を「タレント学者」とし、また、当時ニューアカと称され話題を呼んでいた中沢らの思想が、日本だけでしか通用しない「ガラパゴス化の産物」であったと述べた[18]

参考図書

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  • 『ニューアカデミズム その虚像と実像』(新日本出版社、1985)
  • 小阪修平・竹田青嗣・西研他著『わかりたいあなたのための現代思想・入門―サルトルからデリダ、ドゥルーズまで、知の最前線の完全見取図! 』(別冊宝島、1984)
  • 栗本慎一郎『鉄の処女―血も凍る「現代思想」の総批評』(カッパ・サイエンス 1985)
  • 小阪修平・竹田青嗣他著『わかりたいあなたのための現代思想・入門II―吉本隆明からポスト・モダンまで、時代の知の完全見取図!』(別冊宝島、1986)
  • 仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』(NHKブックス、2006)
  • 佐々木敦『ニッポンの思想』(講談社現代新書、2009)
  • 東浩紀・市川真人・大澤聡・福嶋亮大『現代日本の批評 1975-2001』(講談社 2017)

脚注

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注釈

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(一)^ 

(二)^ 2626

出典

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  1. ^ 佐々木敦『ニッポンの思想』p33
  2. ^ 佐々木敦『ニッポンの思想』p47-49
  3. ^ 仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』p14-15
  4. ^ 仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』p16-18
  5. ^ 佐々木敦『ニッポンの思想』p43-44
  6. ^ 仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』 p35
  7. ^ 仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』 p112
  8. ^ 仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』p55-58
  9. ^ 仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』 p63
  10. ^ 仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』 p71
  11. ^ 佐々木敦『ニッポンの思想』p33
  12. ^ 東浩紀、市川真人、大澤聡、福嶋亮大『現代日本の批評 1975-2001』講談社 2017年
  13. ^ 小阪修平・竹田青嗣他著『わかりたいあなたのための現代思想・入門II―吉本隆明からポスト・モダンまで、時代の知の完全見取図!』
  14. ^ 仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』p215-219
  15. ^ 今の経営者はなぜ「月」の夢しか抱けないのか (4ページ目):日経ビジネス電子版
  16. ^ 栗原裕一郎さんの「平成の論壇:ニューアカの呪縛」(1)
  17. ^ 1984年1月23日 朝日新聞読書欄p33
  18. ^ 山脇直司2013「〈駒場をあとに〉西部劇から四半世紀の想い出と所感」『教養学部報』554号、東京大学 大学院総合文化研究科・教養学部HP、2013年7月12日掲載