﹃資本論 経済学批判﹄︵しほんろん けいざいがくひはん、独: Das Kapital. Kritik der politischen Ökonomie、英: Capital: Critique of Political Economy︶は、プロイセン王国の社会主義者カール・マルクスによる経済学書。略称は、﹃資本論﹄︵しほんろん、独: Das Kapital 、英: Capital︶。
マルクス(1861年)
エンゲルス(1877年)
マルクス直筆の草稿
マルクスは、﹃新ライン新聞﹄の編集者として、物質的な利害関係を扱う過程で、次第に、社会変革のためには物質的利害関係の基礎をなす経済への理解の必要性を認識し、経済学研究に没頭していった。
1843年以来、マルクスは経済学の研究を開始する。亡命先のパリでの研究から始まり、9冊の﹃パリ・ノート﹄、6冊の﹃ブリュッセル・ノート﹄、5冊の﹃マンチェスター・ノート﹄などとしてその成果が残っている。なお、これらのノートは、いずれも﹃資本論﹄草稿ではない。
1849年、マルクスはロンドン亡命後、大英図書館に通って研究を続け、1850年 - 1853年までの成果として﹃ロンドン・ノート﹄24冊を書き上げた。これはマルクスのノート中、最大分量を占める経済学ノートであるが、この時期のノートの内容には国家学、文化史、女性史、インド史、中世史、また時事問題など、内容の異なる多くの論が併存しており、この時期にマルクスの研究が経済学批判に特化したとはいえない。
マルクスが経済学批判に関する執筆にとりかかったのは1857年からである。これは商品・貨幣を論じるごく一部のものにとどまり、﹃経済学批判、第一分冊﹄として1859年に刊行された。また、この時期の原稿は﹃経済学批判要綱﹄﹃剰余価値学説史﹄として、マルクスの死後に出版された。
﹃資本論﹄そのものの草稿で最も中心的となったものは、1863年から1865年末までに執筆された草稿群である。ここでマルクスはおおまかな全3部の草稿の形を書き終えた。ただし、これは問題意識に基づくメモが終わったという意味にとどまり、それを再吟味・再構成し、文章として叙述し直し、清書するという作業は丸々残された。この﹁1863年から1865年までの草稿﹂のことを新MEGA[3]編集委員はまとめて﹁第3の資本論草案﹂と呼んでいる。しかしこの草稿も未完成のものであり、マルクスはそのことに自覚的であった。この第2部と第3部の草稿についてマルクスは1866年の段階でエンゲルスに宛てて、﹁でき上がったとはいえ、原稿は、その現在の形では途方もないもので、僕以外のだれにとっても、君にとってさえも出版できるものではない﹂と手紙に書いたほどであった。
1867年9月14日に第1部が刊行されたが、その後もマルクスは叙述の改善をくり返し、﹁まったく別個の科学的価値を持つ﹂と自分で称するほどに納得できる版となったフランス語版が出版されたのはようやく1872年 - 1875年であった。このように、マルクスは第1部刊行後も改訂に改訂を重ね、第2部と第3部の作業は大幅に遅れ、貧困と病苦の中で膨大な未整理草稿を残したまま、1883年に世を去った。マルクスは大変な悪筆であったので、遺稿はエンゲルスしか読めず、編集作業は彼にしか行うことができなかった︵後にマルクスの文字の読み方をカウツキーとベルンシュタインに伝授︶。エンゲルスは、マルクスが遺した膨大な草稿と悪筆の前に、夜間の細かい作業を余儀なくされ、目を悪くしたとされる。なお2004年には、﹃資本論﹄第2部の編集に際してはエンゲルスとともに、今まで﹁エンゲルス原稿編集の口述筆記者﹂として扱われていたオスカル・アイゼンガルテンが相当程度この編集作業に関与していたことが明らかになっている。
﹃経済学批判﹄という題でマルクスが最初に構想していたのは全6編であったが、それは後に﹃資本論﹄全4部構成に変更された。マルクスの﹃資本論﹄構想は理論的展開から成る第1部 - 第3部と、学説史から成る第4部であった。しかしマルクスの生前に刊行されたのは第1部︵諸版があり、独語初版、改訂第2版、マルクス校閲仏語版、ロシア語版︶のみで、あとに残ったのは膨大な経済学批判に関するノート類である。現在それらの草稿の多くはオランダのアムステルダムにある社会史国際研究所、あるいはソビエト連邦の崩壊後にロシア連邦が引き継いだモスクワの現代史文書保管・研究ロシアセンターに保管されている。
以下に述べる構成はエンゲルス編集の1890年・現行流布版底本﹃資本論﹄の構成である。この編集はエンゲルスの手によるものであり、新MEGA編集委員による検討が続けられており、いくつかの異論が提出されていることに注意されたい。
第1部 資本の生産過程
●第1篇 商品と貨幣
●第1章 商品
●第2章 交換過程
●第3章 貨幣または商品流通
●第2篇 貨幣の資本への転化
●第4章 貨幣の資本への転化
●第3篇 絶対的剰余価値の生産
●第5章 労働過程と価値増殖過程
●第6章 不変資本と可変資本
●第7章 剰余価値率
●第8章 労働日
●第9章 剰余価値の率と総量
●第4篇 相対的剰余価値の生産
●第10章 相対的剰余価値の概念
●第11章 協業
●第12章 分業とマニュファクチュア
●第13章 機械と大工業
●第5篇 絶対的および相対的剰余価値の生産
●第14章 絶対的および相対的剰余価値
●第15章 労働力の価格と剰余価値との大きさの変動
●第16章 剰余価値率を表わす種々の定式
●第6篇 労賃
●第17章 労働力の価値または価格の労賃への転化
●第18章 時間賃銀
●第19章 出来高賃銀
●第20章 労賃の国民的相違
●第7篇 資本の蓄積過程
●第21章 単純再生産
●第22章 剰余価値の資本への転化
●第23章 資本主義的蓄積の一般的法則
●第24章 いわゆる本源的蓄積
●第25章 近代的植民理論
第2部 資本の流通過程
●第1篇 資本の諸変態とそれらの循環
●第1章 貨幣資本の循環
●第2章 生産資本の循環
●第3章 商品資本の循環
●第4章 循環過程の三つの図式
●第5章 通流時間
●第6章 流通費
●第2篇 資本の回転
●第7章 回転時間と回転数
●第8章 固定資本と流動資本
●第9章 前貸資本の総回転。回転循環
●第10章 固定資本と流動資本とにかんする諸学説。重農主義者とアダム・スミス
●第11章 固定資本と流動資本とにかんする諸学説。リカードウ
●第12章 労働期間
●第13章 生産時間
●第14章 通流時間
●第15章 資本前貸の大きさにおよぼす回転時間の影響
●第16章 可変資本の回転
●第17章 剰余価値の流通
●第3篇 社会的総資本の再生産と流通
●第18章 緒論
●第19章 対象についての従来の諸叙述
●第20章 単純再生産
●第21章 蓄積と拡大再生産
第3部 資本主義的生産の総過程
●第1篇 剰余価値の利潤への転化、および剰余価値率の利潤率への転化
●第1章 費用価格と利潤
●第2章 利潤率
●第3章 剰余価値率にたいする利潤率の関係
●第4章 回転の利潤率に及ぼす影響
●第5章 不変資本の充用における節約
●第6章 価格変動の影響
●第7章 補遺
●第2篇 利潤の平均利潤への転化
●第8章 相異なる生産部門における資本の平等な組成とそれから生ずる利潤率の不等
●第9章 一般的利潤率︵平均利潤率︶の形成と商品価値の生産価格への転化
●第10章 競争による一般的利潤率の均等化。市場価格と市場価値。超過利潤
●第11章 労働賃金の一般的諸変動が生産価格に及ぼす諸影響
●第12章 補遺
●第3篇 利潤率の傾向的低下の法則
●第13章 この法則そのもの
●第14章 反対に作用する諸原因
●第15章 この法則の内的矛盾の展開
●第4篇 商品資本及び貨幣資本の商品取引資本および貨幣取引資本への︵商人資本への︶転化
●第16章 商品取引資本
●第17章 商業利潤
●第18章 商人資本の回転。諸価格
●第19章 貨幣取引資本
●第20章 商人資本にかんする歴史的考察
●第21章 利子生み資本
●第22章 利潤の分割。利子率。利子率の﹁自然﹂な率
●第23章 利子と企業者利得
●第24章 利子生み資本の形態における資本関係の外在化
●第5篇 利子と企業者利得とへの利潤の分裂。利子生み資本
●第25章 信用と架空資本
●第26章 貨幣資本の蓄積、その利子率に及ぼす影響
●第27章 資本主義的生産における信用の役割
●第28章 流通手段と資本。トゥックおよびフラートンの見解
●第29章 銀行資本の構成部分
●第30章 貨幣資本と現実資本1
●第31章 貨幣資本と現実資本2︵続︶
●第32章 貨幣資本と現実資本3︵結︶
●第33章 信用制度のもとにおける流通手段
●第34章 通貨主義と1844年のイギリス銀行立法
●第35章 貴金属と為替相場
●第36章 資本主義以前
●第6篇 超過利潤の地代への転化
●第37章 緒論
●第38章 差額地代。総論
●第39章 差額地代の第一形態︵差額地代1)
●第40章 差額地代の第二形態︵差額地代2)
●第41章 差額地代2その1、生産価格が不変な場合
●第42章 差額地代2その2、生産価格が低下する場合
●第43章 差額地代2その3、生産価格が上昇する場合。結論
●第44章 最劣等耕地にも生ずる差額地代
●第45章 絶対地代
●第46章 建築地地代。鉱山地代。土地価格
●第47章 資本主義的地代の創世記
●第7篇 諸収入とその源泉
●第48章 三位一体の定式
●第49章 生産過程の分析のために
●第50章 競争の外観
●第51章 分配諸関係と生産諸関係
●第52章 諸階級
第1部は資本の生産過程の研究である。
マルクスは、巨大な資本主義経済を構成する、最も単純でありふれた要素である商品の分析から出発する。冒頭でマルクスはいう。﹁資本主義的生産様式が支配している社会の富は、巨大な商品集合体として、個々の商品はその富の要素形態として現われる。だから、私は、商品の分析から叙述を開始する。﹂[4]
商品は、人間の欲望をみたす使用価値︵近代経済学で言うところの効用の対象となるもの︶と、他のものとの交換比率であらわされる交換価値︵発展した貨幣表現としては価格︶をもつ。等価関係におかれた二商品は、なぜ価値が等しいと言えるのか。使用価値が等しいからではない。なぜなら使用価値が異なるからこそ交換の意味があるからである。では商品から使用価値を取り去ると何が残るか。それは、商品とは、自然物になんらかの人間の労働が付け加わった労働生産物である、ということだけである。二つの商品が等価であるというとき、その商品の生産に費やされた労働の量が等しい。しかもこの労働は、シャツや綿布といった具体的な使用価値を形成するような、裁縫労働や織布労働といった具体性のある労働(具体的有用労働)ではない。労働の具体性をはぎとられた抽象的な労働、単なる人間の能力の支出としての抽象的人間労働、そのような労働の生産物として二つの商品は等しいとされる。抽象的人間労働の凝固物、これが価値の実体である。価値の量すなわち抽象的人間労働の量は、基本的には労働時間によってはかられ、その際に労働の強度や労働の複雑さが考慮される。
さらに、価値量を規定する労働時間は、その商品を生産するのに必要な個別的、偶然的な労働時間ではなく、社会的に必要とされる平均的労働時間である。たとえば、ある社会に、1日8時間労働で1着のシャツをつくる商品生産者Aと、1日8時間労働で7着のシャツをつくる商品生産者Bがいるとすれば、社会全体としては16時間労働で8着のシャツが生産され、平均すれば、1着あたりに2時間労働が費やされていることになる。商品生産者Aが手にするのは2時間労働分の価値、商品生産者Bが手にするのは14時間労働分の価値である。したがってよく誤解されるように、怠け者が得をするわけではない。
商品の価値は、その商品の生産に費やされる社会的に平均的な労働量によって決まる。これがマルクスが、アダム・スミスやリカードから受け継ぎ発展させた労働価値説のあらましである。
しかし、商品は自らの価値を自分だけで表現することはできない。ある商品の価値量は、他の商品の使用価値量によって表現される。これが貨幣の起源である。商品社会で、ある一つの商品の使用価値量によって他のすべての商品の価値量を表現することが社会的合意となった場合、その特殊な商品が貨幣となるのである。貨幣商品の代表が金(gold)であり、その使用価値量、すなわち重量が貨幣の単位となった。
また、商品の価値を貨幣で表現したものが価格である。ある商品の価格は需要供給の変動により、価値と離れて変動するが、価値はこの価格変動の重心に存在し、長期的平均的には、商品が含む労働量によって、価値によって価格は規定される。
商品や貨幣は、資本を説明するための論理的前提である。一般の商品流通は、自分の所有する商品と相手のもつ商品との間の、貨幣を媒介とした交換の過程であり、商品-貨幣-商品である。この流通は﹁買うために売る﹂、つまり欲しい商品を手に入れ、その使用価値を消費することによって終わる。これに対して、資本としての貨幣の流通は﹁売るために買う﹂、…貨幣-商品-貨幣… である。この流通の目的は価値、しかも、より多くの価値を得ることであり、資本としての貨幣の流通は終わることのない無限の過程である。資本とは﹁自己増殖する価値﹂であり、これが最初の資本概念である。資本を理解するためには、価値とは何か、貨幣とはなにか、商品とはなにかが理論的に明らかにされている必要があったために、資本概念の前に商品、貨幣、価値などの概念が説明されていたわけである。
では、資本はどのようにして価値増殖し、儲けを得るのか。その答えは、自ら価値を生産する特殊な商品すなわち労働力商品を所有する、賃金労働者からの搾取によってである。
機械などの生産手段や貨幣がそのまま資本になるのではない。ある歴史的条件の下で﹁資本﹂に転化する。その決定的な条件とは、生産手段を所有するブルジョアジー︵資本家階級=生産手段の所有者︶と、封建的身分からも生産手段の所有からも自由となった、労働力商品以外に売るべき商品を何ももたない賃金労働者の存在である。マルクスは産業革命当時のイギリスでよく見られたラッダイト運動を機械などの﹁物質的な生産手段﹂ではなく、この﹁社会的な搾取形態﹂を攻撃すべきだと批判した[5]。
労働︵兵器生産︶
資本︵その人格化としての資本家︶は、労働者から労働力商品を購買する。労働者はその対価として、賃金を受け取る。賃金は労働力商品の価格である。労働力商品の価値はその再生産のために必要な費用、すなわち労働者と家族の生活費によって決まる。労働力商品の使用価値は、労働して価値を生み出すこと、しかも資本家にとっての使用価値は、賃金を超える価値を生み出すことである。賃金を超えて労働者が生み出した価値が﹁剰余価値﹂であり、資本家がこれを取得する。——これがマルクスが明らかにした搾取︵労働者が生み出した価値-賃金=剰余価値︶の秘密であり、資本の儲けの秘密である。たとえば日当1万円の労働者が2万円分の価値を生み出すなら、差し引き1万円分の剰余価値が資本家のものとなる。逆に言えば、剰余価値をうまない労働者、自分の賃金以上の価値を生み出さないような労働者は、資本にとっては購入する必要も動機もない。
資本は使用価値を消費する目的のために生産を行うのではなく、無限の剰余価値︵対象化された不払労働︶の追求、すなわち﹁もうけ﹂のために生産を行う。したがって、例えばいくら飢餓が生じ、食糧の生産が必要であっても、もうけが生じなければ資本は生産はしない。逆に兵器など社会にとって有害なものでも、もうけが出れば資本は生産する。マルクスはこのことを﹃資本論﹄の中で、﹁まず第一に資本主義的生産過程の推進的な動機であり規定的な目的であるのは、資本のできるだけ大きな自己増殖、すなわちできるだけ大きい剰余価値生産、したがって資本家による労働力のできるだけ大きな搾取である﹂と書いた。
剰余価値生産の二つの方法 絶対的剰余価値生産と相対的剰余価値生産
編集
資本が取得する剰余価値を増加させるには二つの方法がある。第一に、労働力の価値︵またはその価格表現である賃金︶が一定であるなら、労働時間を延長させることである。日当1万円の労働者が8時間労働で2万円分の価値を生み出すとき、12時間労働に延長すれば3万円分の価値を生み出し、剰余価値は1万円分増加する。これを絶対的剰余価値生産という。ただし、この方法には限界がある。まず1日は24時間しかない。さらに賃金労働者は労働時間の短縮を求めて労働組合を組織して資本家に抵抗する。
そこで、とられる第二の方法は、労働時間が一定ならば労働力の価値または賃金を減らすことである。先ほどの労働者の日払い賃金を1万円から5千円に半減させれば、剰余価値は2万円から2万5千円に増大する。これを相対的剰余価値生産という。しかし、無前提に労働力の価値を減らすことはできない。労働力の価値または賃金は、労働力商品の再生産費、つまり労働者とその家族の生活費によって決まっている。資本の側から一方的に賃金を減らすことは、労働者を生活不能にし、労働力商品の再生産を不可能にさせる。賃金労働者なくして資本は剰余価値生産できないから、短期的にはともかく長期的にはこのようなことは不可能である。ではどうするか。それは生産力の上昇によって可能となる。生産力を上昇させ、労働者の生活手段を構成する商品の価値が安くなれば、労働者の生活費も安くなり、労働力商品の価値が低下し、賃金を引き下げても労働力の再生産が可能となる。賃金を半減させるためには、生産力が二倍となればよいのである。個々の資本はより安価な商品を目指して生産力を上昇させるために、相互に競争している。この競争が諸資本を強制し、個々の商品を安くさせ、生活費を安くさせ、賃金を引き下げる前提を生み出している。
生産力を上昇させる手段には、協業、分業に基づく協業、児童労働[6]機械制大工業があり、マルクスはそれぞれについて分析している。
賃金労働者を搾取して資本が得た剰余価値は、資本家の所有するところとなる。資本家はこれを全て消費することも可能だが、﹁資本の人格化﹂としての資本家は個人的消費を節約して、剰余価値を再び資本に転化し、資本蓄積がおこなわれる(剰余価値の資本への転化)。ここから資本家の﹁禁欲﹂の結果、富が蓄積されるという社会的意識が生じ、禁欲を善とするプロテスタンティズムが資本主義の精神となる(マックス・ヴェーバー﹃プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神﹄)。
資本の蓄積の過程は、ますます多くの賃金労働者が資本に包摂されることであり、資本-賃労働関係の拡大再生産である。歴史的にヨーロッパでは、羊毛生産のために封建領主が農民を土地から追い出す囲い込みによって、農村から駆逐された農民が、産業都市に移住しプロレタリアートに転化した。資本主義の初期に現れる、国家の暴力を利用したプロレタリアートの創出を本源的蓄積という。
また、相対的剰余価値生産に伴う生産力の増大は、剰余価値から転化される資本について、不変資本︵生産手段購入に投じられた資本︶に対する可変資本︵労働力購入に投じられた資本︶の比率を相対的に小さくしていく(資本の有機的構成の高度化)。こうして賃金労働者のますます多くの一定部分が、相対的過剰人口(失業者や半失業者)に転化する。資本主義的生産のもとでは、一方で資本家の側には富が蓄積され、他方で賃金労働者の側には貧困が蓄積されていく。これをマルクスは﹁資本蓄積の敵対﹂と呼び生産関係の観点からこの現象を分析した自著の﹃哲学の貧困﹄第2章第1節を引用している。[7]
資本蓄積の発展に伴って、生産は次第に集積し、自由競争は独占へと転化する。賃金労働者によって担われる生産の社会化が進む一方で、依然として富の取得は資本家に委ねられて私的なままであり、資本と賃労働の間の矛盾はますます大きくなる。この矛盾が資本主義の﹁弔いの鐘﹂となる、とマルクスは第1部を結ぶ。
第1部では、剰余価値が生産過程において賃金労働者からの搾取によって生み出されていることを示した。剰余価値は利潤、利子、地代の本質、実体であり、利潤、利子、地代は剰余価値の現象形態である。これらについては、第3部で分析される。
第2部は資本の流通過程の研究、すなわち、資本制的生産様式の再生産に関する研究である。第1部がマルクス自身が構成や叙述の仕上げ、刊行まで関わったのに対し、第2部は、マルクスの死後、残されていたいくつかの草稿(第2部のエンゲルスによる序文を参照)をエンゲルスが編集、刊行したものである。
第1篇と第2篇は資本の循環や回転などを扱っており、個別資本の流通過程での運動を考察した。いわば資本家が経営の上で資本の動きを見る時と同じ視点である。実際、マルクスは、工場経営者であったエンゲルスにしばしば資本の回転率などについて照会の手紙を送り、経営のリアルな現実における実務を学び、この草稿に反映させている。
第3篇は社会全体における資本の流通過程の研究である。「再生産論」と呼ばれる理論分野で、社会的総資本の観点から、資本制的生産様式を維持・持続するために、資本の生産・流通・再投下が、どのような制約・条件の下でおこなわれているかを考察したものである。マルクスはフランソワ・ケネーの経済表に刺激を受けながら「再生産表式」とよばれるモデルをつくりあげ、マクロ的視点から資本の流通・循環を論じた。
第3部は、資本主義的生産の総過程の研究である。第3部も第2部と同様に、マルクス自身の手で刊行されたものではなく、マルクスの草稿をエンゲルスが編集(第3部のエンゲルスによる序文を参照)したものである。
第3部は第1部と第2部の研究をふまえ、資本主義経済の一般的・普遍的な諸現象である費用価格、利潤、平均利潤率、利潤率の傾向的低下の法則、利子、地代などを扱い、資本主義経済の全体像の再構成を試みた。
エンゲルスらの編集方針は長らく最も権威あるものとして扱われ、現在でも﹃資本論﹄というときには、マルクスが完全に責任をもった1部とともにこのエンゲルス編集の2部・3部をふくめた全3部を指すことが多い。しかし、その後マルクスが書いた﹃資本論﹄草稿の研究が進み、エンゲルスの編集成果を踏まえつつも、現在残されている草稿全体からよりマルクスの正確な﹃資本論﹄構想が浮かび上がってきた。
﹃資本論﹄の草稿とその準備労作と考えられるものを以下の7つに大別して記述する。
1. ﹃経済学批判要綱﹄とその他の諸草稿︵1857年 - 1858年︶
まず﹃要綱﹄の草稿が最初に書かれている。﹃経済学批判要綱﹄と﹃経済学批判﹄とは関係性があるが基本的には別の草稿・著作であり、紛らわしいため﹃要綱﹄のことをドイツ語読みで﹃グルントリッセ﹄ ("Grundrisse") と呼ぶのが一般的である。これらは1857年10月から翌1858年5月にかけて執筆された7冊のノートである。
これに先行して書かれた﹁バスティアとケアリ﹂︵1857年7月︶および﹁序説﹂︵ "Einleitung" 、1857年8月 - 9月︶とを総称して﹁1857年 / 1858年の諸草稿﹂と呼ぶ。これらが通常﹃経済学批判要綱﹄と呼ばれる草稿に当たる。マルクスはこの草稿を最初に書き上げる中で、全6部から成る経済学批判の体系を構想していった。日本語版では大月書店から刊行された﹃経済学批判要綱﹄全5巻に相当し、また﹃資本論草稿集﹄全9巻中の第1巻・第2巻に収録された部分に当たる。
2. ﹃経済学批判﹄第1部原初稿︵1858年 - 1859年︶
これがいわゆる﹃経済学批判﹄として刊行されたマルクスの著作の原初稿。
これは上記のように全6編として構想されたものの第1部に当たり、﹁序文﹂、﹁第1章 商品﹂、﹁第2章 貨幣または単純流通﹂からなる著作である。なお、この中の﹁序文﹂ ("Vorwort") と、﹃要綱﹄の中の﹁序説﹂ ("Einleitung") は別のものである。﹁唯物史観の公式﹂として知られる﹁上部構造・経済的土台﹂の概念がマルクスの全著作中で出てくるのは、ここのみである。
﹃経済学批判﹄は﹃要綱﹄の中の﹁貨幣に関する章﹂をもとに作成した原初稿 (Urtext) をさらに改稿して成立している。マルクスは全6部の構想のうち、第1部としてこの﹃経済学批判﹄を書いた。当然続く作品は第2部以降として構想されていたが、この計画は後年に破棄され、書名を﹃資本︵論︶﹄ ("Das Kapital") に変更し、全3巻4部に構成を改めた。
3. ﹃経済学批判﹄草稿︵1861年 - 1863年︶
紛らわしいので前2者と区別するため﹁1861年 - 1863年草稿﹂と呼ばれる。
1861年8月から1863年7月にかけてマルクスは23冊のノートを書く。マルクスは﹃経済学批判﹄第1部の続きとしてこれを﹁第3章 資本一般﹂から書き始めたが、途中でその方針は変更される。
マルクスは1862年12月28日に手紙の中で、すでに書いたものを推敲・清書して﹃資本論 - 経済学批判﹄として刊行する旨を書いているので、この頃にマルクスの“経済学批判・全6部”という構想が“資本論・全4部”構想に変化していったことがわかる。
この﹁1861年 - 1863年草稿﹂は新MEGA編集者によって﹁第2の﹃資本論﹄草案﹂と呼ばれており、大月書店から出ている﹃資本論草稿集﹄では第4巻から第9巻に相当する。
また、この﹁1861年 - 1863年草稿﹂23冊のノートの中には﹁剰余価値に関する諸学説﹂の草稿が含まれている。エンゲルスはこれを﹃資本論﹄第4部として構想されていた﹁剰余価値学説史﹂の本体になるものと判断したが、それを編集することはもはや自分には不可能であると考えたため、この仕事をベルンシュタインとカウツキーに委ね、悪筆で有名なマルクス独特の筆致の読み方を特訓した。後にベルンシュタインは﹃マルクス=エンゲルス往復書簡集﹄を編集・刊行。カウツキーは﹃資本論﹄の第4部となるはずだった﹃剰余価値学説史﹄を独自の一つの著作として編集・刊行する。
4. ﹁1863年 - 1865年経済学草稿﹂
上記﹁1861年 - 1863年草稿﹂を書き上げた後、マルクスは清書をするため、1863年8月から﹃資本論﹄第1巻第1部の﹁資本の生産過程﹂の原稿を書き始める。その後、1865年末までには第3部の全7篇までの草稿をほぼ書き上げることになる。
この﹁1863年 - 1865年経済学草稿﹂では﹃資本論﹄全4部構想が定まり、﹁第1部 資本の生産過程﹂﹁第2部 資本の流通過程﹂﹁第3部 総過程の諸形象化﹂の理論的な3部の後に第4部として学説史的叙述がまとめられることが確定する。したがってこの時期に﹃資本論﹄の理論的な3つの部分が書き上げられたと考えられている。この部分がいわゆる資本論の初稿であり、この﹁1863年 - 1865年経済学草稿﹂は新MEGA編集者によって﹁第3の﹃資本論﹄草案﹂と呼ばれている。
5. ﹁1865年 - 1867年の経済学諸草稿﹂
1867年4月12日にマイスナー書店に渡された﹃資本論﹄第1部の印刷用原稿は、同年8月に﹃資本論﹄第1部初版として出版される。
第1部の執筆・出版に執心していたマルクスだが、この時期に彼は第2部と第3部への補足の必要性を感じていた。そのため、この時期に書かれた第2部・第3部補足のための諸草稿が存在している。これに関してはエンゲルスがマルクスの死後に﹃資本論﹄第2部・第3部出版の際に部分的に利用している。もちろんこの中には実際にエンゲルス版﹃資本論﹄に採用されずに埋もれたままの草稿も存在する。これは新MEGAの第II部第4巻第4分冊に収録される予定である︵2007年現在未刊︶。
6. ﹁1868 - 1881年の﹃資本論﹄第2部諸草稿﹂
この草稿群は主に﹃資本論﹄第2部の書き直しを含む長短種々の草稿。つまり﹃資本論﹄第2部の全体草稿である。第2部は周知のようにマルクスの死によって未完成に終わった。この草稿類の中でも1868年12月初旬から1870年半ばまでに書かれたものは、﹁第2部の草稿のうちで、ある程度まででき上がっている唯一のもの﹂︵エンゲルス︶である。これもまたエンゲルス版に部分的に利用されている。
1870年の草稿を書いてからのマルクスは、執筆を中断した一時期を挟んでから1877年3月末に再びペンを執る。これもまた第2部のための補筆・書き直しを含んだ諸草稿になる。ここでマルクスは3度にわたって第2部第1章の書き上げを試み、またその後、1880年末頃から1881年にかけて第3章の新たな書き直しを試みている。これらの草稿がマルクスが生前に書いた﹃資本論﹄全3部のための最後の草稿となった。
7. それ以外の諸草稿
上記以外の草稿について、まず第3部第1章に関して次の草稿が存在する。
●第3部第1章に関する断稿︵1869年1月~1871年8月︶
●第3部第1章に関する断稿︵1875年11月︶
●第3部第1章に関する断稿︵1875年5月︶
●第3部第1章に関する断稿︵1876年2月半ば︶
このうち2つがエンゲルスの編集によって第3部の冒頭部分に利用された。これに加えて、断片的なノート類やメモ、目次、引用資料など、マルクスによる多くの別の草稿類が存在している。
またフランス語版﹃資本論﹄では、初版の後半部分にマルクスは改訂を加えているが、このフランス語版とドイツ語版との統一を完成することなくマルクスはこの世を去った。マルクスは生前にドイツ語第2版のどこを削除し、フランス語版のどこに置き換える必要があるかを﹁第1巻のための変更一覧表﹂で一括整理していたのだが、第3版編集の際にエンゲルスはその存在に気づかなかった。
エンゲルスは第3版を編集・出版する際に﹁変更一覧表﹂ではなく、その元になった第2版とフランス語版マルクス自用本の﹁書き込み﹂を参考にしている。ただ新MEGA編集委員である大村泉の研究によれば、この﹁書き込み﹂は単なる備忘録・メモの域を越えないものであり、﹁一覧表﹂の存在なしには意図が不鮮明な部分が多数あった。こうした経緯で依拠すべき草稿が取り違えられてしまい、フランス語版で訂正された箇所が第3版では訂正がされないまま不正確になってしまっている。エンゲルスが﹁一覧表﹂の存在に気づいたのは、後年の英語版を監修していた1887年の時点だが、エンゲルスはなぜか第3版でも第4版︵現行流布版底本︶でも編集の手入れをほとんど行わず、またこうした事実を率直に述べていない。
2007年現在も刊行中の新MEGA第II部﹁﹃資本論﹄および準備労作﹂は15巻24分冊が予定されており、その構成は以下のようになっている。
巻数
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収録草稿
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第1巻(全2分冊)
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「バスティアとケアリ」 『経済学批判要綱』(1857年 - 1858年)ほか
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第2巻
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『経済学批判』(1858年 - 1859年)原初稿ほか
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第3巻(全6分冊)
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『経済学批判』草稿(1861年 - 1863年)
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第4巻・第1分冊
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『資本論』第1部・第2部初稿
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第4巻・第2分冊
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『資本論』第3部主要草稿(1864年 - 1865年)ほか
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第4巻・第3分冊
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『資本論』第2部・第III、IV草稿、第3部関連草稿ほか
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第5巻
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『資本論』第1巻第1部初版(1867年) マルクスの自用本の訂正ほか
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第6巻
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『資本論』第1巻第1部改定第2版(1872年 - 1873年) 補遺及び変更、初版との異同一覧 マルクス初版自用本への欄外書き込み
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第7巻
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仏語版『資本論』第1巻(1872年 - 1875年) 仏語から独語への乖離一覧ほか
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第8巻
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『資本論』第1巻第1部増補第3版(1883年) 第1巻のための変更一覧表
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第9巻
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英訳『資本論』第1巻(1887年) 英訳の独語からの乖離一覧ほか
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第10巻
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『資本論』第1巻第1部校閲第4版(1890年) 独語第3版・第4版に採用されなかった仏訳テキスト一覧
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第11巻(全2分冊)
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『資本論』第2部第II草稿、第V - 第VIII草稿ほか(1868年 - 1881年)
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第12巻
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『資本論』第2巻第2部エンゲルス編集原稿(1884年 - 1885年) アイゼンガルテン/エンゲルスの書き込み一覧 編集原稿とマルクス草稿との異同一覧
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第13巻
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エンゲルス版『資本論』第2巻第2部初版(1885年) 編集原稿とマルクス草稿との異同一覧
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第14巻
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マルクス/エンゲルス『資本論』関連草稿(1871年 - 1894年)
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第15巻
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エンゲルス版『資本論』第3巻第3部(1894年) マルクス草稿との異同一覧
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マルクスが﹃資本論﹄で用いた方法は、資本主義社会全体の混沌とした表象を念頭に置き、分析と総合によって資本概念を確定し、豊かな表象を分析しながら一歩一歩資本概念を豊かにしていくことを通じて、資本主義社会の全体像を概念的に再構成するという、分析と総合を基礎とする弁証法的方法である。
﹁表象された具体的なものから、ますますより希薄な抽象的なものにすすみ、ついには、もっとも単純な諸規定にまで到達するであろう。そこからこんどは、ふたたびあともどりの旅が始まるはずであって、最後に再び人口にまで到達するであろう。だがこんど到達するのは、全体の混沌とした表象としての人口ではなく、多くの諸規定と諸関連をともなった豊かな総体としての人口である﹂︵マルクス﹃経済学批判序説﹄︶。
これがマルクスが﹃資本論﹄で用いた﹁上昇・下降﹂と言われる方法、ヘーゲル弁証法の批判的継承とされているものの核心の一つで、その方法の核心は、唯物論を基礎とする分析と総合による対象の概念的再構成である。﹃資本論﹄のサブタイトルが﹁経済学批判﹂であるのは、当時の主流であった古典派経済学とそれを受け継いだ経済学︵マルクスの謂いによれば﹁俗流経済学﹂︶への批判を通じて自説を打ち立てたからである。
マルクスが﹃資本論﹄において、古典派を批判したその中心点は、古典派が資本主義社会が歴史的性格を持つことを見ずに、﹁自然社会﹂と呼んで、あたかもそれを普遍的な社会体制であるかのように見なしたという点にある。すなわち資本主義社会は歴史のある時点で必然的に生成し、発展し、やがて次の社会制度へと発展的に解消されていく、という﹁歴史性﹂を見ていないというのだ。
マルクスは﹃資本論﹄第1巻の﹁あとがき﹂において、このことをヘーゲル弁証法に言及しながら、こう述べた。﹁その合理的な姿態では、弁証法は、ブルジョアジーやその空論的代弁者たちにとっては、忌わしいものであり、恐ろしいものである。なぜなら、この弁証法は、現存するものの肯定的理解のうちに、同時にまた、その否定、必然的没落の理解を含み、どの生成した形態をも運動の流れのなかで、したがってまたその経過的な側面からとらえ、なにものによっても威圧されることなく、その本質上批判的であり革命的であるからである﹂。
こんにち、マルクス経済学やマルクス主義に対しての賛否・評価は様々であるが、資本主義の経済システムが何らかの法則を有すると認める人︵あるいは、法則を有するかもしれないと疑う人︶にとって、その法則解明の第一歩は資本主義経済の価値論︵かならずしも資本論に固有の価値論ではなくとも︶の研究であり、つまりは資本論の読解、これが必須の課題となる。
﹃資本論﹄は、資本主義的生産様式とそれに照応する生産・交易諸関係を研究した著作であり[8]、共産主義の未来モデルを描いた著作ではない。ただし、マルクスは資本主義の諸特徴を、資本主義以前の生産様式︵封建制、奴隷制など︶の場合や、未来の協同社会︵共産主義社会︶の場合としばしば対比している。
﹃資本論﹄全3部の中で﹁共産主義社会﹂と記載されている箇所は第一部の﹁共産主義社会では、機械は、ブルジョワ社会とはまったく異なった躍動範囲をもつ﹂と第二部の﹁共産主義社会では社会的再生産に支障が出ないようあらかじめきちんとした計算がなされるだろう﹂のわずか2箇所である。マルクスは資本主義とは異なる協同的な生産様式を、﹁結合的生産様式﹂、﹁結合した労働の様式﹂、﹁協同的生産﹂、﹁社会化された生産﹂などと表現している。より詳細な規定としては、﹁協同的生産手段で労働し自分たちの多くの個人的労働力を自覚的に一つの社会的労働力として支出する自由な人々の連合体﹂︵第1部第1編︶、﹁労働者たちが自分自身の計算で労働する社会﹂︵第3部第1編︶、﹁社会が意識的かつ計画的な結合体として組織﹂︵第3部第6編︶などがある。
また、﹃資本論﹄において国家は重要ではなく、﹁意識的計画的管理﹂(第1部)﹁意識的な社会的管理および規制﹂(第3部)といった形で市場の﹁無政府性﹂を理性によって規制するという一般論が述べられているだけである。
マルクスは﹃資本論﹄第3部で、﹁自由の国﹂︵自由の王国とも︶と﹁必然の国﹂の問題に触れ、共産主義革命の目的を述べている。すなわち、経済が資本主義=剰余価値︵もうけ︶の追求から解放され、社会の合理的な規制の下に服して社会の必要に対する生産という経済本来のあり方を回復するが、それでも生産は人間が生活していく上で必要な富をつくりだすための拘束的な労働︵必然の国︶が要る。しかし、この時間は時間短縮によって次第に短くなり、余暇時間︵自由の国︶が拡大する。﹃資本論﹄第3部では、この時間の拡大によって人間の全面発達がおこなわれ、人間が解放されるとマルクスは主張した[9]。
元々のマルクスのプランに基づく『資本論』の復元については様々な議論が起きている。
表象された具体的なものの徹底的な分析から議論が進むため、「資本の生産過程」の部では賃金や物の価格が記載されている。例として「剰余価値率」の章では1871年4月時点の1ポンド当たりの綿の価格、「労賃」の章では当時の労働者が受け取る男女別の給与などが記載されている。
第1部のドイツ語初版は1,000冊発行された。マルクスのサイン入りは世界で15冊確認されており、日本には少なくとも4冊ある︵小樽商科大学、東北大学、法政大学、関西大学が各1冊所蔵︶[10]。
現在、マルクスとエンゲルスの全ての著作物を刊行する新MEGA[3]の試みが国際的な共同作業で行われ、この中で﹃資本論﹄の構成についても吟味されている。この新MEGAにおける第II部﹁﹃資本論﹄および準備労作﹂全15巻24分冊の編集はL・ミシケーヴィチ、L・ヴァシーナ、E・ヴァシチェンコ、大谷禎之介、C・E・フォルグラート、R・ロート、E・コップフ、大村泉、M・ミュラーなど各国の研究者により、進められている。
ウィキメディア・コモンズには、
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英語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。
資本論
フランス語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。
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ポルトガル語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。
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日本語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。
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