ベクタースキャン
原理
通常のテレビの走査線は、左上から右上に1ライン、次いで同フィールド上の1ライン下について、それぞれの点に光の点を出すか、出さないかという操作を続ける︵テレビ画面をカメラで取ると、画面の映像が斜めに切れるのはこの為である︶。これをラスタースキャンと呼ぶ。
これに対しベクタースキャンは、画面に何も表示していない時は走査線を全く出さず、図形を描く信号が出た時のみ、画面上のある座標からある座標まで直線を引くという処理を行う︵一般的にはX、Y座標にそれぞれアナログ値が入力され、対応する座標に描画する。これはオシロスコープと同じ原理である︶。つまり方向(Vector)をなぞる(Scan)のでベクタースキャン、またはベクトルスキャンと呼ばれる。英語においては"X-Y Plot"︵意訳すれば﹁座標描画﹂︶という呼び方も存在する。
こうした仕様のため描写出来るのは点、線、線を組み合わせた簡単な図形や英数字、焦点と半径から描写される円や曲線のみである。
ただし例外として、光速船用ソフトでは標準で文字描画にソフトウェアによる疑似ラスタースキャン描画を行っている、また一部の海外製同人ゲームではゲーム画面そのものを全てソフトウェアによる疑似ラスタースキャンで描画しているものもある。
なお似た様な映像技術としてワイヤーフレームやポリゴンが存在するが、ワイヤーフレームやポリゴンはハードウェア面の仕組みがどうであれ、表示された図形がその通りなら︵ソフトウェア面において︶ワイヤーフレームやポリゴンと呼ぶ。ベクタースキャンは走査線というハードウェア構造からして特種なものであり、ベクタースキャン技術で表示した線は全てワイヤーフレームだが、ワイヤーフレームで表示した線が全てベクタースキャン技術だとは限らない。
ラスタースキャンとの比較
長所
●描画データが座標点・輝度・カラーのみであるため、ラスタースキャンに対して画像メモリを少なく出来る。
●キャラクタを輪郭線のみで表現出来るため、拡大した場合でも描画時間・データ量がそれほど増えず、結果として大きなキャラクタの描画がハードへ大きな負担をかけずに行える。
●描画データが座標点のみであるため、ラスタースキャンに比べてキャラクタの拡大・縮小が容易である。
●線や点が細かい。 特にモノクロモニタの場合はブラウン管に色蛍光体が存在しないため、全くジャギーの存在しない画像が得られる。
●モニタの種類によっては、指定した走査線の輝度・描画速度を変更出来る。輝度を高く・描画速度を遅くした場合はアニメや特撮の透過光の様に強く光らせる事が出来る。輝度・描画速度の設定によっては蛍光物質に対する照射時間が常時一定であるラスタースキャンでは不可能な超高輝度描画も可能である。
●ゲームなどでキャラクターなどが破壊された時、キャラクターを構成していた線︵ワイヤーフレーム︶をバラバラに散らかす演出が可能︵ラスタースキャンでは、爆発したり壊れた時専用のグラフィックを表示させる︶。
短所
●前述の通り単純な図形描写しか行えない。
●走査線の描画速度はラスタースキャンに対して明らかに遅い︵描画速度はモニタ種類によって異なる︶ために多数のキャラクタを表示出来ない。このため背景まで描く余裕は余りない︵これは同時期のラスタースキャンゲームも同様︶。この為ゲームによってはモニターの上にオーバーレイ︵イラスト︶が置かれ、プログラム処理上はオーバーレイの位置にキャラクターが来ると障害物として判定される、という仕様のものもあった。後述の﹃アーモアアタック﹄等は背景がすべてオーバーレイのみに描かれ、ゲーム画面ではキャラクタのみ描画している。こうしたゲームはMAMEで再現した場合、同ゲームのオーバーレイを含むアートワークファイルが無いと背景が全く見えないためゲームにならない。
●線の太さは固定である。 ただし視覚上の太さは輝度に比例する。
●当初は白黒しか表示出来なかった。この為日本のタイトーにライセンスされたゲームでは、色セロハンを貼っていたものもある。ただし後年においては﹃Tempest﹄からカラー化が実現した。原理はブラウン管や液晶のカラー化と同じで、赤・緑・青と三色の色彩表示情報を組み合わせている。 ただし色蛍光体並びの影響を受けるためモノクロのベクタースキャンモニタにあった﹁全くジャギのない描画﹂というメリットが失われる。
●表示には専用のモニタが必要である、なおモニタの種類によってはブラウン管はラスタースキャン用と同じ物を使い、制御基板のみ別の物も存在する。この為ゲームを保存するにはアーケードゲーム基板だけでなく、専用モニタ一式を含めての保存が必要となる。 専用モニタの絶対生産数が少ないため、海外の愛好家の間ではレストアが製造後30年経過した後も行われており、オリジナルと異なるモニタを接続する改造例もある。
ローゼンタール
アーケードビデオゲーム史にベクタースキャンをからめて語る際に欠かせない人物が、ラリー・ローゼンタール(Lally Rosenthal)である。
ローゼンタールはマサチューセッツ工科大学を1976年に卒業しているが、このマサチューセッツ工科大学は全てのテレビゲームの祖とも言われる﹁スペースウォー!﹂が作られた場所である。
ノーラン・ブッシュネルは﹁スペースウォー!﹂のアーケード化を目指し﹁コンピュータースペース﹂を作り上げたが、これはラスタースキャン式であった。ローゼンタールは﹁スペースウォー!﹂にも使われていたベクタースキャン技術を︵詳細は後述︶、アーケードにも使える様さらに改良、この権利をアタリ︵前述のブッシュネルが創業︶やミッドウェイにも売り込んだが、売り上げをローゼルタールと売り込み先で折半するという無茶な要求だった為、断られていた。
そこにアタリ﹃ポン﹄の大ヒットをきっかけに、ジム・ピアーズなどがサンディエゴ近辺で創業したシネマトロニクス社が現れる。同社は新しいゲームを作る力が無く倒産しかけていた為、ワラをもつかむ思いでローゼンタールに飛びついた。そして発売された﹁スペースウォーズ﹂は、アメリカでは﹁ポン﹂と﹁スペースインベーダー﹂の間で最もヒットしただけでなく、当時のアメリカとしては長期間ヒット保ったゲームとなり、同社はベクタースキャンゲーム専門の最も有名なゲームメーカーとなった。
ローゼンタールも権利料で大きな収入を得たが、他社もベクタースキャンを使用する際にはローゼンタールに膨大な権利料を払う必要があり、この時期にベクタースキャンゲームを出した会社の数が限られていたのは、ローゼンタールの権利料の問題があった為と思われる。
だが﹁スペースウォーズ﹂完成後、ローゼンタールはシネマトロニクスの販売担当者のビル・クレーバンと共にシネマトロニクスを退社してしまい、この時開発ツールをはじめ、開発に関するあらゆる資料を持ち去ってしまった。そこでシネマトロニクスでは入社したばかりのティム・スケリーが技術解析を行った事で、その後の危機は回避する事が出来た。このスケリーが最初に作ったゲームが﹁スターホーク﹂である。
そしてローゼンタールは同年末にシネマトロニクス社のビル・クレバンズとベクタービーム社を創業。﹁スペースウォーズ﹂と殆ど同じゲームを販売した。これは訴訟にまで持ち込まれたが、結局一年後にシネマトロニクスがベクタービームを100万ドルで買収する事で合意、ローゼンタールはこれに満足したのか、ゲーム業界から去った。ただしベクタービームの資産は半年年たたない内にすぐエキシディ社に売却されている。しかもローゼンタールに払った金額が多すぎた為、今度は資金難に陥る。
その後
ベクタースキャン使用製品
●ルナーランダー(Lunar Lander) - 1979年︵セガ、タイトー︶
アタリ初のベクタースキャンゲーム。
●★アステロイド(Asteroids) - 1979年︵セガ、タイトー︶
当時のアメリカとしては最大のヒット作で、6万台を出荷した︵﹁スペースインベーダー﹂は日本で30万、アメリカで5万︶。
●Asteroids Deluxe - 1980年
●バトルゾーン(Battle Zone) - 1980年︵タイトー︶
三次元視点戦車戦ゲーム。非常によく出来ていた為、アメリカ軍の戦車教習シミュレーター用として、カスタマイズしたバージョンも作られた。
●Bradley Trainer1980年
﹁Army Battlezone﹂とも呼ばれる、バトルゾーンをM2ブラッドリー歩兵戦闘車の教育シミュレータとしてカスタマイズしたバージョン。最大の違いは操作系にあり、オリジナルのツインスティックから上下左右のアナログ操作で砲塔の操作のみを行うものとなっている。この時に作られたコントローラが後にスターウォーズで採用されたもののプロトタイプとなった。
●レッドバロン(Red Baron) - 1980年
複葉機をモチーフにした三人称視点のシューティングゲーム。当時としては画期的だったが商業的には失敗だった。しかしこの作品に影響を受けてマイクロプローズ社が設立されフライトシミュレータというジャンルを確率するに至る。
●Tempest - 1980年
●Space Duel - 1981年
●Black Widow - 1982年
●Lunar Batttle - 1982年
Gravitarのプロトタイプ版
●Gravitar - 1982年
●Quantum - 1982年
世界初のCPUにMC68000を使用したアーケードゲーム。
●Alpha One - 1983年
メジャーハボックのプロトタイプ版
●メジャーハボック(Major Havoc) - 1983年
●スター・ウォーズ(Star Wars) - 1983年
ベクタースキャンゲームの最高傑作と言われる。当初はオリジナルゲームとして企画・制作されたが、ルーカスフィルムのライセンスを得て途中から﹁スターウォーズ﹂のゲーム化となった。1990年代まで渋谷のゲームセンターで遊ぶ事が出来た。
●The Empire Strikes Back - 1985年
このタイトルは﹁スター・ウォーズII帝国の逆襲﹂の事。このゲームのみアタリゲームズ社になってから発売。単体での発売は行っておらず、﹁スター・ウォーズ﹂の筐体のコンバージョンキットのみ販売された。日本への正式輸入は行われていない。
シネマトロニクス(Cinematronisc)
●★スペースウォーズ(Space Wars) - 1977年︵セガ、タイトー、レジャック→後のコナミ︶
セガは﹁スペースシップ﹂の名で発売。レジャック版は邦題不明。
●★スターホーク(Star Hawk) - 1979年︵セガ、タイトー︶
タイトーは﹁レーザーウォーズ﹂の名で発売。
●サンダンス(Sundance) - 1979年︵セガ︶
●テイルガンナー(Tailgunner) - 1979年︵セガ︶
●★アーモアアタック(Armor Attack) - 1980年︵セガ︶
光速船版は背景を描画することにより、オーバーレイが無くても遊べるようになっている。なお設定により背景を描画させない事も可能。
●★Rip Off - 1980年
●★Star Castle - 1980年
●Boxing Bugs - 1981年
●★Solar Quest - 1981年
●War of the Worlds - 1981年
●★Cosmic Chasm - 1983年
正確にはオリジナルが光速船版で、後にアーケードゲーム化。
セガ・グレムリン(Sega-Gremlin)
同社はスペースインベーダーブームに対抗する為、アメリカのグレムリン社をセガが買収した企業。またアーケードゲーム基板として、ラスタースキャンとベクタースキャンどちらでもカラーで対応可能なG80基板を採用している。
- 日本語版は音声がローカライズされており、敵が日本語で喋る。
その他のメーカー
●Barrier - 1979年 ベクタービーム(Vectorbeam)
元々はアメリカンフットボールをモチーフにした電子ゲームだったものを、魔法使いを破って城に進むゲームに置き換えたもの。シネマトロニクスの新人社員が練習用として作ったもので、売れる訳が無いと思われていた。そこに売れるゲームは無いかとベクタービームがやって来た為、シネマトロニクスはこのゲームをベクタービームに押し付けた。ところが直後にベクタービームがシネマトロニクスに買収された為、結局シネマトロニクスが売る破目になった。日本ではシグマ︵後のアドアーズ︶が﹁THE 悟空﹂としてリメイクしたが、THE 悟空自体はラスタースキャンである。
●Speed Freak - 1979年 ベクタービーム
●Warrior - 1979年 ベクタービーム
●Omega Race - 1981年 ミッドウェイ(Midway)
●Demon - 1982年 ロッコーラ(Rock-ola)
●QB-3 - 1982年 ロッコーラ
●Aztarac - 1983年 セントゥーリ(Centuri)
●Tailgunner2 - 1980年 エキシディ(Exidy)
●Top Gunner - 1986年 エキシディ
最後のアーケードベクタースキャンゲーム。